第一章 破壊

 ある男がフランツ・リストの「愛の夢」を口ずさみながら、女の首を絞めている。


 その男のいる場所はどこかの山奥だ。


 様々な木々が均等に立ち並び、昨日は少し雨が降っていたからか、地面はまだ乾ききっておらず少し濡れた土と草が覆っている。


 今男の立っている場所のすぐ近くにはもう使用されていない古井戸があり、井戸の上に乗せられていたと思われる鉄板の板が今は横にずらして地面に置かれている。


 井戸の石詰みされている表面は地面から八十センチくらい高さがあり、所々苔が覆っている。井戸の深さは底知れず中は暗闇の中で見えない。


 今晩が雨ではなくてよかったと男は思う。

 暗闇の中、月明かりと地面に置かれたキャンプ用の持ち運び式LEDライトだけが頼りだ。


 このライトは持ち運びも出来るし、地面に置いたまま使用も出来るので重宝している。暗闇の中に半径三メートルくらいの明るさが灯っている。


 暗さは問題ない。問題は熊や野犬などの野生生物だ。近くに自分とこの女以外の生物の気配がしないか、男は不安そうに一瞬耳を澄ます。


 間近にある不気味な井戸が気になったが、そこからは何も音はしない。男は井戸が苦手だった。


 男は、虫の鳴き声と木々が風にそよぐ“音”を聞いた。

 今日は風が穏やかで生ぬるい。まだ季節は八月半ばだ。


 男は今、先ほどまで意識が朦朧としていたために井戸にもたれかからせるように座らせていた女をその井戸の横の空き地に引っ張っていき、抵抗しない女の首にロープを巻き付け、女の背後からその首を絞めている。


 女は最初締められる前は酒と薬で眠っていて意識がなかった。だが首にロープを巻かれた後に何故か男に一度声を掛けられ、頬を数回叩かれ起こされていたために、苦しそうな音をあげる。


 苦しくて声にならない“音”だ。


 いっそのこと眠っていた方が幸せだったかもしれない。しかもかなり酔っているため大きな音は出せない。音が出たところで誰もこの時間帯、この近辺の山には近づかないが。


 女は苦しそうに呼吸を荒げ、朦朧としている意識の中で自分の出せる渾身の力でロープを外そうと足掻いていた。目が充血し何度か目をぎゅっと閉じては開く。


 脳に酸素が回らなくなってきている事を感じる。目の前が徐々に暗くなる。ロープで絞められた首元から、どくんどくんと必死に脈打つ音が聞こえてくる。


 女は充血している目から涙が、口からは苦しさに耐え切れず涎が出てきた。自然と手が震えてきた。

 ここがどこだか分からない。何故自分が首を絞められているのかも分からない。

思考をする前に呼吸が乱れる。


 男は、女の悶え苦しみ必死に抵抗する様を後ろから見て段々と呼吸が荒くなる。

自然と右側の口角だけ上がり、自分の表情が痙攣しているのが分かる。


 もっと苦しみ足掻く様を見せてくれ。

 男は自分の内に嗜虐的な感情が高まるのを感じた。

 男はこれから来る幸福感に耐え切れずつい高揚してしまい、自分の好きな曲であるリストの「愛の夢」を口ずさんでいた事に気付く。


 女の背後から首を絞めているのは、女の顔をあえて見えないようにするためだ。

男は一度瞳を閉じ、空想に浸った。

 再度瞳を開けると、男は自分がロープを引きながら革手袋をはめた自分の手に何重に巻き付けたロープが、女の首にも巻いてある様子が目に入る。


 女の力なくも左右に暴れロープを外そうと抵抗していた手も、徐々に弱弱しくなった。

 男はもう少しこの時間を楽しみたかったが時間が経つ事を考え、女の首に巻き付けたロープを勢いよく左右に引っ張った。


 先程まで暴れていた女の動きが少し早まったかと思えば急に大人しくなり、音が枯れ、暴れる力が無くなった。

 両手がぶらんと地面に落ち、遺体の体重が後ろに居る自分に掛かって来る事を男は感じた。

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