別れた元妻に「息子に会わせてあげる」と言われたので、その場でお断りした。
バネ屋
相談女に引っかかったバカな男の話
元妻のカナコは所謂「相談女」だった。
コレは、その相談女にターゲットにされ見事に引っ掛かり、結婚までして後に後悔するハメになった俺の情けない話。
地元の工業系短大の自動車科を卒業し、大手自動車メーカー系列のディーラーに整備士として就職。 しばらくは現場の整備士として勤務していたのだが、勤続5年を過ぎた年に、毎年開催されている自動車メーカー本家主催の整備士の大会に選手として選抜された。
大会では3人1チームとなり、同じ系列他社の多数チームが集まり、技能や時間やコストなどを競う。このチームに選抜されると、1年間通常業務からは完全に離れて、この大会の為だけに日々勉強と訓練漬けになる。そして大会が終わると、次は翌年の選抜チームを支援するスタッフになることが決まっている。更にその先は、国内外のレースチームのスタッフに推薦されたり、整備士の為のマニュアルや教本を制作する部門に配属されたりするのだが、つまり整備士としては、ウチの社内ではトップクラスの出世コースだった。
但し俺の場合は、選抜チームを経て支援スタッフ(具体的には技術関連を教育する講師)を3年続けた後は、現場(店舗での整備士)へ戻った。
現場に戻ったのは自分の意思で、いくつかレースチームへの推薦を打診されてはいたが、全て断り度々現場復帰の要望を出していた。
理由は、当時交際していた女性との結婚を考えていたから。
丁度結婚を意識しはじめた時期に選抜チームに選ばれてしまい、そこから最低でも2年は結婚が厳しい状況になってしまった。
それで、選手としての大会を終えてからは毎年現場復帰への要望を出していたのだが、結局は店舗への復帰が決まった頃には彼女に「別の人と結婚する」と言われ、既に別れた後だった。
彼女に対しては、待たせ続けた申し訳無さもあり、恨むことなど無かった。
勤続年数10年を過ぎ、出世コースには乗っているが独身で彼女も無し。
そんな俺は、開き直ったかのように独身生活を謳歌するようになっていた。
カナコと出会ったのはそんな時期だった。
俺の所属店舗で採用した接客担当のパートタイマーの一人だった。
当時、俺は課長職ではあったが一日中現場で作業をしていたので、同じ店舗でも店内フロアで接客業務をしているカナコとは業務上絡むことは滅多に無かった。
そんな同僚としても希薄な関係だった俺たちが接近したのは、「課長に相談したいことがあるんですが、お時間頂けませんか」とカナコから相談を持ち掛けられたのが最初だった。
業務上の相談事だと思い、その場で「ミーティングルーム行こうか?」と答えると、「いえ、プライベートな事なので、退勤後にどこか食事でもしながらお願いします」と言う。
プライベートだと言われても、カナコのことは独身でシングルマザーだと言うことくらいしか把握していなかったので、適切なアドバイスが出来る自信はなかったが、いつも小奇麗で容姿の整った年下の独身女性に「プライベートな相談」と言われたことで舞い上がってしまい、食事をしながらの相談に応じてしまった。
食事には、見栄を張って普段は行かない様な個室のあるイタリアンレストランを会社の定休日に予約した。
当日は事前に聞いていたカナコの自宅までナビを頼りに迎えに行き、俺の運転でイタリアンレストランへ向かった。
車中は仕事の話題で会話をしていたのだが、同じ店舗の同僚と言えども共通の話題が少なすぎて、お互い沈黙の時間のが多かった。
それでもレストランへ到着して個室に案内されると、目に見えてカナコの機嫌が良くなった。
もし「こんな高そうなお店だと財布に厳しいです。もっとお手頃なお店でお願いします」と言われたら、「今日は全部僕が持つから遠慮せずに」と言うつもりだった。 俺の認識では、今日の相談はカナコの方からであり、食事しながらと言ったのもカナコであり、本来なら今夜の食事はカナコが持つべきだと思うが、俺としては会社の上司である以上は、そういったやり取りを経て最終的に俺が全部持つのが一番ベターだと考えていた。
なので、遠慮や申し訳なさそうな態度を見せずにご機嫌な様子でワインのメニュー表を眺めながら店員と会話しているカナコにモヤモヤを感じた。
今おもえば、俺はこのモヤモヤにもっと注視して慎重になるべきだった。
食事代のことだけでは無い。
自動車業界に従事する者にとって、飲酒運転は絶対的なタブーだ。
もし飲酒による事故でも起こそう物なら即懲戒解雇になる。
そしてこの日は俺が運転して来ており、俺は絶対に飲めない。
上司である俺が飲めない状況で、部下であるカナコが上司に断りも無くワインを注文していた。 勿論、一言「飲んでも良いですか?」とでも確認してくれたら、「僕のことは気にせずにどうぞ」と言うつもりだが、さも当たり前の様に注文されてしまったのには閉口するしか無く、モヤモヤを感じていた。
とは言え、美人の部下との二人きりでの食事という状況に舞い上がっていた俺は、結局は何も言えずにカナコの話を黙って聞いていた。
カナコの相談内容は、離婚した経緯と元旦那が養育費を支払ってくれないから子育てが大変で、子供がまだ小さいからフルタイムでは働けずパートでなんとかやっているという、要は生活苦の愚痴だった。
カナコの年齢は俺の4つ下でウチの弟と同じ歳だった。
今は実家暮らしで親に子供の世話を頼みながらなんとかパートで働いていると言うわりには、服装やメイクは派手な方で、普段会社での様子や今日の態度、あとは服装やメイクなどの見た目から、プライドが相当高い女性だと思えた。
恐らくは、10代20代の頃はかなりモテたのだろう。
常にチヤホヤされていたのでは無いかと思う。
後に入籍後には「貧乏臭い恰好は死んでも嫌」とか悪役令嬢みたいなセリフを口癖のように言ってたし、特に容姿や服装で他人に馬鹿にされる事が心底許せないタイプだった。
聞いてもいないのに話してくれた離婚の理由は、元旦那の実家で義父母と同居で凄いマザコンだった。義母の過干渉が酷く元旦那は全然守ってくれず、心が休まる時間が無くストレスが爆発して子供を連れて飛び出し離婚した。とのこと。
後になって思えば、この時の話がどこまで真実なのか怪しい物で、養育費の件だってキチンと話し合って取り決めてあったのかも怪しいだが、久しぶりの女性と二人きりでの食事で浮かれていた俺には「うんうん」と相手に合わせて同情の態度を見せることしか出来ていなかった。
この時の食事を切っ掛けに、以降も「相談したいことがある」と言っては度々食事に誘われ、毎回見栄を張って俺が全額支払い、カナコが財布を出すことは1度も無かった。
当時のことを振り返って述べているから、「普通こんな女に引っ掛からないだろ」と思える様な女に聞こえるが、その当時は違和感を感じても拒絶する様な態度をとること無く、むしろ自分に都合が良い部分だけを見て「モテキが来たか」と調子に乗ってしまう程だった。
それに、その違和感だって、「こういう時こそ、男としての甲斐性の見せ所だ」とか考えてたりもした。
要は、モテない男が相談女に上手いこと掌で踊らされていただけ。
そして俺は、その事を自覚するのが遅すぎたマヌケだった。
カナコと男女の仲になってから入籍するまではあっという間だった。
カナコからは「早く実家を出たい」「パートを辞めて子育てに専念したい」「息子を有名私立の幼稚園へ入れる為には、片親のままだと不利だから早く入籍して欲しい」と言われ、相談無くパートは辞めてしまうし、血の繋がりは無くとも親としてずっと面倒を見ていこうと考えていた息子のことを持ち出すし、俺に口を挟む隙も無く、言われるがまま流されるまま入籍して、住む所や家具や自家用車、スーパーなどで買う食材などのグレード、ありとあらゆる物にも口出しする様になった。
まだ男女の仲になって間もない頃、俺は賃貸のアパートに住んでいたのだが、最寄りのJR新幹線駅に近い新築マンションのパンフレットを見せられた。 まだ建築中なのだが売り出しは既に始まってて、抽選の申し込みを受け付けていた。
カナコはそのマンションの立地の良さを熱弁し、要は俺にそのマンションを買って引っ越せと要求していた。
そして、馬鹿で盲目な俺は勧められるがままに応募し、購入した。
マンションが完成する頃には既に入籍しており、引っ越しと同時に同居が開始されたのだが、3人家族には大きすぎる冷蔵庫、最新機種のドラム式洗濯機、大型の薄いテレビ、掃除機やエアコンと何から何まで俺のお金でカナコが買い揃えた。
他に自家用車に関しても、色々要求された。
独身時代は、趣味用と通勤用とで2台所有していたのだが、入籍時に2台とも売却した上でファミリー用のワゴン車への買い替えを要求され、カナコ自身が使う車も「軽は恥ずかしい」とセダンの新車を購入させられた。
趣味用にしていた車は、学生時代に苦労して購入し長年自分でメンテし、現在はアパートに近いガレージを借りてそこに保管していたほど大切にしてきた愛車で、コレを売るのが一番辛かった。
息子に関しても、有名私立の保育園の入園に留まらず、英会話や学習塾へ入れて今から英才教育が必要だと言い、息子本人の意思関係無く通わせ始めた。
結婚前後のこれらのやり取りの中で、最初は「離婚後お金に苦労してたから、お金のことで苦労はさせない様にしなくては」と考えてたのもあり要求には従う様にしていたが、行き過ぎた高級志向に俺が少しでも「贅沢すぎないか?高い物ばかり選ばなくても安い物でも問題ないよ?」と言おう物なら、「息子の為に必要な物です!」とか「貧乏臭い物なんて恥ずかしくて使えない!」とか「私や息子のことを家族として大事にするつもりがあるのなら、このくらいは当たり前です!」とヒステリックに騒ぐので、早い段階で諦め、俺はお金を出すだけで口は出さない様になっていた。
流石にここまでされると、「厄介な女」「早まった結婚」と自分でも不安を覚え始めるが、既にカナコとの交際や結婚準備に多額のお金を使い、愛車を売ったり簡単には手放せないマンションを購入したりと、後戻り出来ない状況に陥っていた俺は、『同居生活を始めればお互い絆も深まり、俺の意見も聞いてくれるようになるはずだ。俺と結婚したいと思ってくれたということは、俺を旦那として頼りにしている部分もあるはずだ』と、盲目のまま甘く希望的な期待を信じて、耐えるだけの道を選んでいた。
カナコとの夫婦生活についても異常だった。
入籍前に3回
入籍後、離婚するまでの約2年、ゼロ
カナコにとってセックスは、出世頭の俺を捕まえるのに必要な行為で、入籍してしまえばする必要が無いと判断されてしまう物で、愛情表現とか夫婦や恋人のコミュニケーションとの認識が無かったのだろう。
入籍後同居を始めてからも何度か誘ってみたが、「息子に聞こえたらどうするのよ!」とヒステリックに怒鳴られ、最初は一緒だった寝室も追い出され、俺は来客用の和室で寝る様になった。
洗濯物や食事などの身の回りの世話に関しても、して貰えず自分でしていた。
整備士だから仕事で使う作業着は油汚れが多く、家族の衣類と分けて洗濯するのは当然だとしても、下着など他の衣類も俺の洗濯物は洗濯カゴに入れることすら拒否され、食事に関しては、やたらグレードの高い食材ばかり買うくせに、カナコはまともに料理が出来ず、結局は俺が家族の食事も作るハメになっていた。
朝は自分で起きて家族の朝食を用意してから一人で食べ、ゴミの日にはゴミ出しをしてから出社し、仕事を終えて帰宅してから洗濯機を回し、夕飯を作って、カナコと子供に食べさせ、その食事に散々文句を言われるのを聞き流して、食べ終えると家族分の洗い物をして、洗濯物を干して、お風呂の準備をすると、息子とお風呂に入り、息子を寝かせる頃には俺も疲れて畳の部屋で寝る。
カナコがまともにやっていた家事は、食材の買い出しと自宅の掃除。
後は息子の幼稚園や塾の送り迎えやママ友との付き合いで、忙しいそうだ。
これらも後から考えると、カナコの行動原理は、見栄と自尊心なのだろう。
住む所やスーパーでの買い物、自分や息子の着る服に息子の通う幼稚園や塾、その全てが他人の目にどう見えるかを一番に気にしており、自宅の掃除だって散らかってたり汚れた部屋で生活するのが自尊心が許さないからするのであり、俺が掃除しても気に入らずちょっとした汚れや配置の乱れすら我慢出来ないから自分でしていたのだろう。
新婚ながらもこんな生活を1年以上続けていると、俺の方が慣れてしまい当たり前の生活サイクルとなっていた。
しかし俺と違い、息子の方に影響が出始めた。
これまで日中のカナコと息子の様子は把握しておらず、俺に対してヒステリックなカナコでも、実の息子に関しては可愛がっているものだと思っていた。
それが、俺の前でもヒステリックに息子を怒鳴ることが徐々に増え、その度に俺が息子を庇い、息子の代わりに俺が怒鳴られるというパターンが出来上がった。
そうなると、息子は母親であるカナコに怯え、俺が仕事から帰ると、洗濯や料理をしている俺から離れなくなり、それが面白くないカナコが更にヒステリックに喚き散らす様になった。
この頃になると、思い描いていた結婚生活と全く違うこの状況にウンザリしつつも、「もし俺たちが離婚すれば、カナコの矛先が全て息子に向かってしまう」と考える様になり、ただひたすら我慢し、夢も希望も無いまま、時間が過ぎるだけの生活を送っていた。
カナコと入籍してから2年が過ぎた頃、弟から連絡が入った。
用件は弟の車の車検に関してで、毎年弟夫婦のそれぞれの車をウチの店で車検をしていたので、連絡自体は珍しくないのだが、その時に「兄ちゃんの新居にまだお邪魔してないからウチの子も連れて1度くらい遊びに行ってみたいんだけど」と言われ、ハッとした。
弟としては、たまには兄弟としてお互いの家族揃って交流を持とうと気を使ってくれて、雑談の中でそう言ってくれたのだろうけど、自宅に弟家族を招いたりしたらカナコがどれほど怒り狂うか想像に容易く、そして、兄として結婚して2年以上経つというのに弟家族を自宅に1度も招くことも出来ないことに、どうしようも無いほどの情けなさと惨めさに襲われ、結婚してから最も気持ちが沈んだ。
弟から連絡のあった次の日。
仕事を終えて帰宅すると、息子よりも先にカナコに捕まり、俺が洗濯や料理をしている間ずっと横でガミガミ文句を言われた。 文句の内容は、同じマンションに住む同世代の住人の話から始まり、「○○さんのお宅はご主人がドコドコに勤めてて、お子さんは今年から私立の小学校に入学した」だの「△△さんのお宅のご主人はご実家がドコドコの会社経営をしてて、将来は跡継ぎで羨ましい」だの言っては、「それに比べてウチは、私ばかり気苦労が絶えなくて、アナタは気楽で―――」と俺に対する不満をぶつけてきた。
口答えすれば更に酷くなるので、いつもなら「苦労させてすまん」と一言謝り後は聞き流すのだが、昨日の弟との電話以降、腹の底で黒い感情が燻っていた俺は、カナコに向かって「これだけ贅沢して家事も全部俺に押し付けて、お前は気苦労が絶えないだと? 本気で今の俺が気楽に見えてるのか? お前はこれ以上どうしたいんだ? ずっと我慢して来たけど、俺はこれ以上お前に何もしてあげられないぞ?」と言い返した。
その途端、激昂したカナコは発狂したかのように喚き散らしながら手あたり次第モノを俺に向かって投げつけ、その様子に気付いて部屋から出て来た息子を庇う様にして、俺は息子の部屋に閉じこもった。
幸い息子の部屋の扉には鍵があったので施錠したが、カナコは扉をドスドス叩いて怒鳴り散らし、息子は完全に怯えてしまっていたので、息子を抱きしめ「ごめんな」と何度も謝りながら寝た。
朝起きると静かになっていたので、息子を起こさない様に起き出して、出勤の準備をしてカナコに見つかる前に自宅を出た。
この日、仕事を終えて帰宅すると、カナコも息子も居らず、「実家に帰ります。アナタが反省するまで戻りません」と書置きがあった。
俺はその手紙を見ても、カナコやカナコの実家には一切連絡を入れなかった。
カナコが出て行って三日後に電話が掛かって来たが、無視して出なかった。
10日ほど経った頃、仕事を終えて自宅に帰ると、冷蔵庫や洗濯機にテレビなどの家電や家具がごっそり無くなっており、そしてキッチンに記入済の離婚届と「離婚します。家具と預金は慰謝料として頂きます」と書置きが置いてあった。
その日の内に離婚届の残りの項目を記入して、翌日の会社帰りに市役所に行って提出してきた。
預金に関しては、カナコが散々贅沢した結果、ローンこそあれど銀行の口座には大して残ってはなかった。
家電に関しても、カナコが選んで買った物に執着は無かったし、これで結婚生活から解放されると思えば、どうでも良かった。
血の繋がらない元息子の事は心配だったが、あくまで元親としての同情心であり、親としての責任感では無かった。
更に1カ月程経過した頃、家でのんびり家事をしていると、カナコが訪ねて来た。
部屋に入れたくなかった俺は、玄関から先には入れない様にし、そのまま近所の喫茶店に連れ出し話を聞くことにした。
カナコの話は、文句なのか愚痴なのか不満なのか、相変わらずだった。
要は、実家に帰ればカナコを愛している俺が焦り反省して頭を下げに来るはずなのに、何故謝りに来ないんだ。 そんな生意気な態度を取る俺に痛い目を見せる為に離婚届を置いて家具や家電に預金も持ち出した。いい加減反省しろ!ということらしく、俺が本当に離婚届を出して、そのことを知って焦って押しかけて来たらしい。
そんなことだろうなと分かっていたので、コチラからは連絡しなかったし電話が掛かって来ても無視して、離婚届も速やかに出したんだけどな。
俺が「預金も家電も要らん。お前のことは一日も早く忘れたいから、今後は関わらないでくれ」と言うと、カナコは心底驚いた表情をした。
俺からはこれ以上言いたいことも無いので、席を立って帰ろうとすると、「息子に会いたければこれからも会わせてあげる」と言い出した。
それを聞いて更にウンザリした俺は、「いや、その必要は無い。俺の息子じゃないし、もう会うつもりない」と断り、カナコを置いたまま店を出た。
お終い。
別れた元妻に「息子に会わせてあげる」と言われたので、その場でお断りした。 バネ屋 @baneya0513
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