引き際

深茜 了

儚い彼女

「水島さんは、物語は好き?」


バイト先のファミレス。今日はお客さんの入りが少なく、そんな時は従業員同士で軽い雑談をすることがあった。勿論、客席に気を配りながら小声でだ。


茶色を基調とした落ち着いた店内の一角、木の柵で仕切られた待機所で、私達はお冷のグラスに氷を入れたりシルバーのケースを磨いたりしていた。


「物語、ですか?読書とかってことですか?」


私が聞き返した相手はバイト仲間の北条さんだった。

高校生の私より8つも歳上の彼女は、当時の私にとっては十分な大人だった。


ウェーブがかかった黒い髪は仕事の時は一つに括られていて、それが更に北条さんを大人っぽく見せたし、たまに感じられるミステリアスな雰囲気にも拍車を掛けた。


「そう。本でもいいし、映画でも、漫画でもいい。音楽も。とにかく創作の世界」


北条さんは客席の方を見ながら言った。しかしその目は客席ではない何かを映している気がした。


「あ、漫画とかよく読みますよ!音楽も聴きますし」

私が元気よく答えると、北条さんは私を見ずに少しうつむいて微笑んだ。


「私、出来ることなら物語の世界にずっと浸っていたいの。・・・現実はとにかく醜くて、汚くて、つまらないでしょう。その点物語は綺麗で、都合の良いとこだけを切り取れて、何よりちゃんと終わりがある。

人生は綺麗な部分では終わってくれなくて、だらだらと続いていくでしょう。だから私はずっと物語の中に居たいとよく思うの」


北条さんの言っていることは当時の私には難しかった。まじまじと北条さんを見つめた私は、「素敵ですね」と言うことしか出来なかった。



北条さんが自宅のアパートで見つかったのは、それから二週間後だった。

彼女は机に伏せるようにして、眠るように自ら命を絶っていた。

その彼女の傍らには本が開かれた状態で伏せて置いてあり、もう傍らではCDプレーヤーが止まらずに音楽を奏でていたという。


8年経って彼女と同じ歳になった今でも私はそのことを忘れられない。

創作の世界と共に消えていった彼女。「終わり」を望み、自ら終わりを作り上げた彼女。

あの時、私がもう少し彼女の話に理解を示していたら結果は違っただろうか。

けれど、理解ができないからこそ北条さんは私に話してくれたような気もするのだ。


確かに、現実は辛いこともある。退屈なこともある。物語のようにうまくいってはくれない。

けれど、あんなに感受性豊かで魅力的な彼女だったのに、あんな若さで死んでしまうなんて勿体無いではないか。

生きていればもしかしたら物語より素晴らしい体験だって出来たかもしれないのに。



私は北条さんの命日に毎年彼女の墓へ行く。


手には花と、彼女が好きだったと前に聞いていた作家の新刊を持っている。

新しい本を供えることで、まだ彼女が生きてくれるような気がどこかでするのだ。


終わりを望んだ彼女。

彼女の中では美しい終わり方をしたつもりだったのかもしれないが、生を味わい尽くして堂々と然るべき時に終わりを迎えて欲しかった。

物語にも負けない光を放って生きて欲しかった。もしもあの時に戻れるのならば、私は必死にそのような言葉を掛けただろう。



墓に花を供え、その傍らに本を置く。

合掌して目を閉じると、脳裏に北条さんの遠くを見る眼差しが浮かんできた。


どうか生まれ変わってまた物語を愛することがあるならば、今度はそれを糧に人生という物語を生き抜いてくだい。悲しい終わりではなく、必死に生きたと胸を張れるような終わりを作り上げてください。


私は心の中でそう呟くと、おもむろに立ち上がり、陽光が降り注ぐ墓石を後にした。

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引き際 深茜 了 @ryo_naoi

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