第6話 双子美少女、ホストと大乱闘

「――おまえたち、二人そろって頭がイカれているのか? ガキだからって、なにもされねえとでも思ってるのか? おれたちはそんなに甘くねえからな。それとも、まさかこれだけの人数の男を相手にして、本気でなんとかなるとでも考えているんじゃねえだろうな? それこそお笑い種だぜ!」


 マヤが凶相を浮かべる。もはやホストの表情は消えてしまっている。


「ふふふ。そうよ、なんとかなると思っているわよ」


「なんだとっ! 本気でナメてんのか! こっちは十人近くいるんだぜっ!」


「ああ、言い忘れていたけど、わたし、こう見えて複数プレイが大好きなの。得意中の得意なんだから」


 セイの明らかに小馬鹿にしたような言葉に、店内はまさに一触即発の雰囲気になった。


「そこまで言うならば、歌舞伎町に来たことを一生後悔させてやるからな! おまえら、このガキに歌舞伎町のルールを教えてやれっ!」


 マヤがあごをしゃくると、背後に控えたホストたちがマヤの前に立ち、セイと対峙した。どの顔もセイを見下すような、下品で野卑な表情を浮かべている。暴力的な行為に及ぶことなど、微塵もためらわないという顔つきだ。


「お嬢ちゃん、可愛い顔してまちゅね。今からぼくちゃんが遊んであげまちゅからね」


 一番前に立った男がセイの体をなめ回すように凝視しながら、イヤらしい口調で言った。


「――――」


 対して、セイは醒めた目で相手を見つめるのみ。


「へへ、なんだよ。やる前からもうビビって、声も出ないのかよ。それなら、おれがムリヤリあえぎ声を出させてやるぜ」


 男は右手をセイの首元に伸ばした。制服の衿をつかんで、自分の方に引き寄せ、あとは力ずくでそのまま床の上に引きずり倒してやる――つもりだった。


 実際はそうはならなかった。

 

 男の右手がセイの制服の衿元に触れることはなかった。男が制服の衿元をつかむよりも先に、男の体は『見えないなにか』に引っ張られるようにして前のめりに体勢を崩すと、そのまま見事に体が半回転して、床に背中を叩きつけられていた。男は自分の体になにが起こったのか理解する間もなく、床に激しく打ち付けられた衝撃で失神していた。


 二番手に控えていた男たちの顔に初めて動揺が走った。明らかに体格差があったはずなのに、今床の上で伸びているのは自分たちの仲間である男の方なのだ。目の前でなにが起こったのか分からず、次に前に一歩出る者がいなかった。


「あれ? この男だけでもう終わりなの? 複数プレイを楽しませてくれるんじゃなかったの?」


 セイは今だにいたって冷静そのものである。


「くそっ! ガキ一人になに手間取ってんだよ! 全員で一斉にかかればいいだろうが!」


 二の足を踏んでいる男たちに向かって、マヤが声を張りあげ命令をだす。


 上下関係が厳しいホストの世界では、トップの命令は絶対である。男たちは互いに顔を見合わせると、軽くうなずき合う。


「いくぞっ!」

「やってやるっ!」

「おりゃあーっ!」


 口々に声を張り上げて、セイに向かって一斉に突進していった。


 男その1は、不意に顎に『見えない衝撃』を受けて、前歯がすべて砕け散った。口の中を血だらけにしながらも、果敢にセイに向かっていこうとした瞬間、鼻の中央に再度『見えない衝撃』を受けて、床の上に崩れ落ちた。骨の折れた鼻からは血が流れだし、口からあふれ出た血と一緒になって、壮絶な表情が出来上がった。


 男その2は、突進していったときに、カウンター気味にみぞおちに『見えない衝撃』を受けて、その瞬間に悶絶して、胃液を吐き散らかしながら床の上を転げまわるハメになった。


 男その3は、一歩足を出した途端、首根っ子を『なにかに掴まれた』ような気がした。そのまま壁ぎわまで引っ張られていき、勢い良くコンクリート剥出しの壁に顔面を打ち付けられた。壁に鼻血の赤い筋で現代アートを描き残して、そのまま気絶した。


 男その4は、『なにもないはずの空間』で、急に足元をすくわれたようにして転んだ。立ち上がろうとしたとき、『見えないなにか』に額をがっちりと掴まれて、後頭部をおもいっきり強く床に叩きつけられた。反撃のチャンスさえ与えられずに、口元からよだれを垂れ流しながら、失神という強制的な眠りに落ちた。


 男その5は、武器代わりに持ったワインボトルを振り上げたところで、カウンターの奥にある棚から、『なんの前触れもなく』飛んできたウィスキーボトルを後頭部にまともに受けて、ガラスの割れる音とともに床に沈んだ。ワインボトルを使うことすらなく、男の意識は飛んでいた。


 男その6は、少しだけ頭を使った。カウンターの前に並べてあったオシャレな金属製のイスを武器代わりしようと手にとったのだ。だが、その武器が使われることはなかった。残っていたイスが『なぜか』男目掛けて一斉に飛んできたのだ。一発目のイスを足に受けて膝から崩れ落ちると、二発目のイスを背中に受けて全身が倒れかかり、三発目のイスが頭部に当たったと同時に、男の脳はブラックアウトしていた。 


 男その7は、一番危険な凶器を持っていた。両手にアイスピックを一本ずつ。鋭く尖った先端部分は、セイの白い肌など簡単に貫いてしまえる代物だ。もちろん、先端が当たればの話だが。残念ながら、アイスピックがセイの体に触れることはなかった。アイスピックを持った両手を構えたところまではよかったが、その後、『見えない力』によって、左右の両腕が自分の意思とは関係なく、徐々に下へと押さえ込まれていく。男はその力に懸命に対抗したのだが、両腕は太ももの部分まで降りていき、アイスピックがぐさりと男の太ももに突き刺さった。男は苦痛の声で悶えあげ、太ももを必死に左右に振って、なんとか痛みから逃れようとしたが、アイスピックは『見えない力』によって、さらに深くえぐるように突き刺さっていった。そして男は声をあげることを止めて失神した。


 八人の男たちが凄惨な姿と化して、床の上に倒れ込んだ。驚くべきは、わずか二分もかからずにこの結果がうまれたことであった。カップラーメンを作るよりも速い。しかも、その中心にいたセイは少しも体を動かしていなかった。男たちが呻き声をあげて倒れていく様を、万年氷土のような冷たい視線で見つめていただけである。


 これで無傷で残っているのは、マヤ、セイジ、ナオトの三名のみとなった。その顔には、すでに絶望的な敗北感がありありと浮かんでいる。


「――お、お、おい……いったい……な、な、なにが、なにが起こったって……いうんだよ……」

 

 店の出入り口を守ることを忘れて、惨劇に眼を奪われるセイジだった。目の前で起きた現実は、完全にセイジの理解の範疇を越えていたのだ。


「だから止めた方がいいって、あれほど忠告してあげたのに」


 この惨状に少しも驚く様子を見せないのは、メイ一人だけである。


「今からでもまだ遅くはないよ。土下座でもすれば、セイちゃんだって許してくれるかもしれないよ」


「マ、マ、マヤさん、ヤバイっすよ。こ、こ、こいつら……絶対におかしいですよっ!」


「――だ、だ、だまれっ! まだ、まだ……終わっちゃいねえよっ! いいか、セイジ。菜緒を押さえるんだ!」


 顔を強張らせたまま、マヤが指示を出した。


「人質が出来れば、こっちのもんだ」


「――わ、わ、分かりました」


 一瞬の躊躇の後、セイジは素早く菜緒の背後に回り、羽交い絞めにした。


「セイジ。そいつの腕を折ってやれっ! こうなったら、こっちの本気を見せてやるんだよ!」


「――悪く思うなよ。リーダーの命令は絶対だからな」


 だが、苦痛の声をもらしたのは、菜緒ではなく、セイジの方だった。

 

 セイジの左手が、突然、背中側にひねりあげられたのだ。あまりの苦痛に、セイジは押さえていた菜緒の体から手を離した。


「わたしの耳が正常ならば、たしか今、『腕を折る』とか言ったわよね?」


 セイは氷の笑みを深くした。


「それって、こういうことかしら――」


 セイの言葉と同時に、店内にぼごぎっという、肉体の一部が力ずくで無理矢理破壊される音があがった。


「うぎいいいいいいいーーーーーーーーっ!」


 セイジは白目をむくと、その場に絶叫だけを残して、床に落ちていった。


「これで人質は無事に解放されたわね」


 セイはセイジの様子に1ミリも関心を示すことはない。


「菜緒さん、大丈夫でしたか?」


 解放された菜緒のそばにすかさずメイが寄り添う。


「……お、お、おまえ……いったい、何者なんだよ……?」


 マヤはバケモノでも見るような目でセイを見つめる。


「さっきも言ったでしょ。正義の味方よ。――さあ、これで残すは悪の親玉退治だけね」


 セイがマヤに一歩近付こうとする。途端に──。


「――ま、ま、待ってくれ……。わ、わ、悪かった。許してくれ。オレが、オレが悪かった。謝るよ。なんでも謝るよ。だから、だから……た、た、頼む。頼むよ……許してくれよ……」


 マヤは床の上に正座で座り込み、必死の形相でセイに土下座を始めた。


「悪かった。悪かった。本当に悪かったよ……。だから、だから……もう許してくれよ……」


 さらに涙交じりの声で続ける。


「――菜緒さんっていったかしら? この男はこんなこと言ってるけれど、どうしますか?」


「――えっ、あたしは……その……。今後一切、あたしに近付かないと約束してくれるのならば、もうそれで十分なんだけど……」


 この数分の間に起きた理解不能な数々の現象に、菜緒の頭は付いていけなかったが、マヤが謝罪しているのだけは理解できた。


「わ、わ、分かったよ。約束する。ちゃんと約束するから……。今後一切、おまえには近付かないし、歌舞伎町で擦れ違っても、他人の振りをする。そ、そ、それから……もちろん、賠償金の話も忘れる。だから、許してくれよ。お願いだから、許してくれよ」


 さきほどまでの強気な態度から一転、マヤは床に額を擦り付けるようにして謝罪を繰り返した。


「――それじゃ、これで話し合いは終わりってことで、いいかしら?」


 セイがマヤから眼を離して、菜緒の方に顔を向けた瞬間――。


「危ないっ!」


 菜緒は声を張り上げた。土下座をしていたマヤが素早く立ち上がって、セイに向かってきたのだ。


 マヤが土下座をしていたのは全部演技だったのである。マヤはセイが視線を逸らした、その一瞬の隙を見逃さなかった。隠し持っていたナイフを手にすると、セイに走り寄っていこうとして――。


「ぐぎゅぎゃあああーーーーっ!


 マヤは店の剥出しのコンクリートの壁に、背中から尋常為らざる勢いで叩きつけられていた。背骨に伝わった衝撃に激しく咳き込みながら、しかし、床の上に倒れこむことがなぜか出来なかった。『見えない力』によって、体を壁に押さえ付けられていたのだ。


「あーあ、ケガをしない最後のチャンスだったのに。ズルイ手を使おうとするから、そうなっちゃうんだよ」


 メイは当然の報いだといわんばかりの顔で、マヤのことを冷たく見つめる。壁に磔状態になっているマヤの様子を見ても、なにも驚きはしない。むしろこうなることなど、はじめから分かっていたかのような表情を浮かべている。


「さあ、悪の親玉退治も終わったことだし、セイちゃん、もう帰ろうよ」


「――メイちゃん、この男がさっき言ったことを忘れたの? この男はわたしたちの『顔を傷付ける』って言ったのよ」


 セイの視線は、マヤが右手に持ったナイフに向けられている。


「セイちゃん、まさか、そのナイフで――」


 メイの言葉が終わる前に、ナイフを持ったマヤの右手が、徐々にマヤの顔の方に持ち上がっていった。衝撃で意識が朦朧としていたマヤも、自分の右手の異常にようやく気が付いた。『自分の意志とは関係なし』に、徐々に顔に近付いてくるナイフの切っ先。必死に逃れようとこころみるが、頭部は『目に見えない力』でがっちりと押さえ込まれていて、まるでコンクリートで固定されているが如くまったく動かせなかった。


「……や、や、止めろよ……。じょ、じょ、冗談だろう……。なあ……脅す、だけなんだろ……? そう、だよな……? 本気で……刺そうなんて……思って……」


 マヤは逃げることも視線をそらすことも出来ないまま、ナイフという名の恐怖が少しずつ自分の顔に近付いてくるのじっと待つしかない。


 ナイフはマヤの首筋まで上がってくると、喉仏の辺りをゆっくりといたぶるような調子でなぞり、さらに上がっていく。唇を通過し、鼻の脇を通過し、眉間で止まった。


 あまりの恐怖にマヤはまばたきすら出来ずに、両目をかっと見開いたまま、生きた彫像と化す。その両目の上を、ナイフの切っ先が移動し始めた。右目から左目に、そしてまた右目に。ナイフの刃先とマヤの眼球は1センチも離れていない。ほんの少しナイフが前に進めば、マヤの眼球に刃先が突き刺さる距離である。


 すでにマヤの精神は半分崩壊しつつあった。目尻からは涙があふれだし、半開きになった震える口元からは涎がだらだらとだらしなく垂れ落ちていく。


「――セイちゃん、さすがに眼はダメだってば……」


 セイを止めようとするメイの声に、はじめて動揺の響きが混じった。


「――メイちゃん、大丈夫だよ。わたしだって、そこまで冷酷じゃないから」


 セイの言葉を聞いてマヤが安堵の表情を浮かべかけたとき、マヤの顔前で鋭い擦過音が走った。



 シャジャッ!



 同時に、マヤの鼻の両脇に赤い色が浮かんだかと思うと、たちまち赤い筋が出来上がり、すぐに大量の血の流れと化して、口元を真っ赤に染めあげていく。


「ぐぎゃあああああああーーーーーーーーーーーっっっ!」


 マヤの絶望的な悲鳴を合図にして、マヤの鼻がぽとりと床の上に落ちた。さきほどの擦過音の正体は、ナイフが高速でマヤの鼻を切り落としたときにあげた音だったのだ。あまりにも高速過ぎて、マヤ自身、なにが起こったのか一瞬分からず、鼻に生じた激痛によって、ようやく自分の身に起こった不幸を理解したのだった。


「あ、鼻にシリコンが入っているじゃん。なんだ、ニセモノの鼻だったんだ。今度からはナイフでも切り落とされない、もっと頑丈な鼻を作ってもらった方がいいんじゃない」


 床の上に転がる血まみれの出来損ないの鼻を見て、セイは少しだけ眉をひそめた。この惨状を前にして、唯一、セイが人間味を見せた瞬間だった。

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