第1話 不自然な交通事故

 午後四時を過ぎると、校門から出てくる高校生の姿が多くなってきた。クラブ活動をしていない生徒たちは、これからいっせいに羽を伸ばす時間である。


 土屋学つちやまなぶはいつもの三人といっしょに校門を出た。


「ったく。かったりーな」


 学の前に立つ松野清まつのきよしが、だるそうな声で言った。


「おまえは数学の手塚にみっちりしぼられたからだろう」


 ブレザーのポケットに手を突っ込んでなにか探している川上武彦かわかみたけひこが、からかうような口振りで言った。


「しょうがねえだろう。課題が今日までだったなんて、知らなかったんだよ。それを手塚の野郎、いつまでもねちねちと嫌味ったらしく言うからよ。あと一分説教が続いてたら、絶対におれはキレてたぜ」


「キヨシ。おまえ、今度キレて暴れたら退学だろう?」


 武彦はポケットからようやく目当てのモノ――タバコの箱を手に取ると、まだ校舎が背後に見えるというのに、当たり前のように一本取り出して口にくわえた。


「シンゴも吸うか?」


 慣れた手つきでライターでタバコの先に火を付けると、左手に持った箱を一番前を歩く駒井伸吾こまいしんごに差し出す。


「おい、タケヒコ。おれにはないのかよ」


 清が横から武彦の持ったタバコの箱に手を伸ばした。


「だから、おまえの場合は、次になにかあったら退学だろう。喫煙がバレたらどうすんだよ。おれはおまえの将来を思ってだな――」


「けっ。よく、言うぜ。退学一歩前は、おまえだって同じだろうが」


「へへへ。まあ、そうなんだけどな。――ほら、おまえにもやるよ」


 武彦がタバコの箱を清の方に向けた。


「さーんきゅー」


 清は箱から一本タバコを取ると、さっそく火を着けて一口吸う。


 四人が高校を出てから、最寄りの川崎駅までの間の道のりは、決して人通りが少ないというわけではなかった。しかし、制服を着ていて一目で未成年と分かる三人に対して、喫煙を注意する者は誰一人いなかった。


「マナブ、どうしたんだよ。最近おまえ、やたらと暗いぞ」


 話をしている三人から少し離れ、うつむいて歩いていた学に向かって、武彦が声をかけてきた。

 

「なんだ。もしかして恋の悩みかよ。マナブもこれで、とうとう晴れて童貞卒業か」


 清が冷やかすように、学の股間の辺りを触る。


「そ、そんなんじゃ、ねえよ……」


 学は清の手を払いのけながら言い返したが、その口調は弱いものだった。


 清と武彦、そして国会議員を父に持つ伸吾の三人は、中学時代からの友人同士だったが、学はこの四月に別の高校から転入してきて、それから三人と友人になった。三人は伸吾の父親の名前を傘にきて、校内では好き勝手やっていた。完全に他の生徒たちから浮いている存在であった。


 だからこそ学は、この三人の仲間に入ったのだ。前の高校にいた時のようにいじめられたくなかったから。強い人間といっしょにいれば、いじめられることはないと思ったから。


 三人の仲間に入ってからというもの、初めて夜遊びをするようになった。学校を無断欠席することもあった。三人に勧められて、吸ったことのないタバコも吸うようになった。三人の仲間に入って本当に良かったと思った。


 でも『ゲーム』だけは違った。


 昔、家で犬を飼っていたせいかもしれない。バッドで殴り付け、身動きのとれなくなった犬を、まるで生物の実験のように切り刻んで殺していく。そんな『ゲーム』を何回しただろうか。

 

 今だに小さな脚の筋肉を切断するときの、ぷちんぷちんという音が耳から離れない。ナイフで腹をえぐるときの感覚が手から離れない。そして、断末魔の犬の姿が脳裏から離れない。


 確かにいじめられる心配はなくなったが、今は『ゲーム』のことが新しい心配と不安の種となり、学はここ一ヵ月間、精神的にかなりまいっていた。


「おい、マナブ。おまえ、本当に大丈夫か? 顔が真っ青だぜ」


 武彦が学の前に立ち、顔を下から覗き込むようにした。


「……だ、だ、大丈夫だって。ちょっと……体調が悪いだけさ……」


 学は武彦の視線から逃れるように顔をそむけた。


「おまえ、今日はもう帰れよ。体調が悪いって、カゼじゃねえのか。カゼだったら、おれたちにうつっちまうだろう」


「おいおい、カゼで家に帰るなんて小学生だろうが。――そうだ。そういうことなら、久しぶりに『ゲーム』でもするか。『ゲーム』をすれば、カゼなんかすぐに忘れちまうぜ」


 今まで黙っていた伸吾が、カラオケにでも誘うような軽い口調で言った。

 

「『ゲーム』か――。そういえば、前にやった『ゲーム』から一週間はたってるな。そろそろ再開する時期だよな」


 武彦が頭の中でなにかを想像しているのか、両手の指の関節をぽきぽきと鳴らしてみせた。


「だ、だ、だけどさ。ヤバくないか……」


 慌てて学は口をはさんだ。


「なんだよ、マナブ。おまえはやりたくないのかよ。シンゴはおまえのカゼのことを心配して、『ゲーム』をやろうって言ってくれたんだぜ」 


 武彦が学に絡みつくような剣呑な視線を向けてきた。


「……そ、そうじゃ、ないけど……」


「じゃ、なんだよ。おまえ、ひょっとして『ゲーム』をするのが怖いのか? ただの野良犬狩りだぜ」


「ち、ち、違うよ……」


 このタイミングで、『ゲーム』から抜けたい、とは口が裂けても言える雰囲気ではなかった。『ゲーム』から抜けるということは、イコール、この三人を敵に回すことであり、それはつまりこの三人からいじめを受けることを意味していた。

 

 もうイジメられるのだけはゴメンだった。あんな悲惨で情けない経験は二度としたくない。そこから逃れる為ならば、例えそれが悪魔が差し出した手だと分かっていても、喜んで掴む。そして、もう二度と絶対に放すつもりはなかった。


「そ、そう、そうだよな……。久しぶりに『ゲーム』でもやれば、気分も良くなるかもしれないよな」 


 学は他の三人に合わせるように、心とは真逆の返答をした。


 四人はすでに川崎駅前の交差点まできていた。歩行者信号は赤で、四人と同じような制服姿の学生たちが、青信号に変わるのを待っている。


「よし、それじゃ、決まりだな。今からマナブの元気付けの為に狩りに行くぞ」


 リーダー格の伸吾が音頭をとる。


 だが、学は伸吾の声に反応することが出来なかった。目を大きく見開き、向かい側の歩道を凝視するのでいっぱいだったのだ。頬のあたりの筋肉がぴくぴくと細かく痙攣して、額にねばついた嫌な汗が浮かんできた。


「――マナブ……おまえ、どうしたんだよ?」


 いち早く清が学の異変に気づいた。他の二人も学の方に目を向け、同じように学の異常に気が付く。 


 まわりの人間も学の異常に気が付いたようだが、伸吾たち三人の姿を見て、関わらないほうが賢明と判断したのか、再び視線を前方の信号機に戻す。


「――あの子だ……。あの子が……立っているんだ……」


 学は震える指先で向かいの歩道を指し示した。


「おい、あの子って、誰だよ?」


 清が学の肩に手をやり、乱暴にゆする。


「……だから、あの日……神社で見た女の子だよ……。ほら、ずっとこっちの方を……見てる……。さっきからずっと……ずっと、見てるんだ……」


「女って……あっ、あのときの女じゃねえか! くそっ。なんで、ここにいるんだよ!」


 清も学の視線の先に少女の姿を見つけた。


 信号待ちをしていた女子高生たちが清の方を見て、すぐにまた視線を前に戻す。


「ああああああ……い、い、い、犬だ! ほら、女の子の隣に、あの犬がいるよ! あのときの犬だよっ!」


 突然、学の視界に神社で殺したはずの犬があらわれたのだ。


 まわりにいた人間も、ここにきて学の異常な状態を無視できなくなったのか、視線が学に集中する。携帯片手に会話をしていた二人組の女子高生は、気味の悪いものでも見るような目で学の顔を見ている。


「犬? おい、マナブ、犬なんかどこにもいねえぞ! なに言ってんだよ! いるのはあの女だけだぞっ!」


 清が怒ったような表情で学の体を大きく揺さぶる。



 そのとき――。



「ひぃぃぃっ! なんだよその犬。バケモノみたいな犬……。く、く、来るなよ。来るなよ。あっち行けよ!」


 学は清の手を強引に払いのけると、その場から走りだした。全速力で走った。



 おかしい。なんで、みんなには見えないんだよ。あんなにはっきり見えるじゃないか。あのとき殺したはずの子犬が、子犬が、突然、バケモノみたいな犬になって――。 



 学はそのままのスピードで知らぬ間に車道に飛び出していた。歩行者信号はまだ赤である。駅前の道路は夕方のラッシュ時で車の往来が激しかった。


 その車の列から、一台の大型トラックが交差点に侵入してくる。


 耳をつんざくクラクションが鳴り響いた。


 横断歩道で信号待ちをしていた女子高生の口から、クラクションに負けないくらいの甲高い悲鳴があがる。

 

 すべては一瞬のうちに起こった。

 

 固い物体と柔らかい物体が激しくぶつかり合う音が、交差点の中央付近であがった。

 

 駅前の交差点は、たちまち大混乱におちいった。

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