第7話 女刑事との話し合い

 都内の最高級ホテルのスイートルームに成明は滞在していた。ホテル代金は藤巻病院の支払いである。一週間の滞在予定であったので、依頼完了後はここで余暇を楽しんでいるところであった。

 

 その来訪者が姿を見せたのは、藤巻病院の一件から三日後のことだった。


 部屋に入ってきたのは、二十代半ば過ぎのスーツを隙間なく着こなしたキャリアウーマン風の女性である。冴々とした相貌は、美しさよりも冷たさが際立っていた。まさにクールビューティといったところだ。


 二人は二十畳ほどの広さがあるリビングのソファセットに、向かい合わせになって座った。バスルームからシャワーの音が聞こえてくるが、二人はその音をとくに気にすることもなく話を始めた。


「たしか、君とははじめまして――だったかな?」


「ええ、そうなるかしら」


 女性は形だけ笑みを浮かべると、スクエアの黒い手帳をテーブルの上に置いた。

 

「――ひょっとして刑事さん?」


「まあ、そんなようなものよ」


 笑みを浮かべたまま、女性はあいまいに答えた。


「警視庁刑事部捜査0課れいか須佐之麗子すさのれいこよ」


「0課――噂だけは聞いたことがあるけど、まさかこうして実際に会うことになるとはね。怪異現象によって引き起こされた人外の事件を専門に扱う部署らしいね」


 成明も形だけの笑みを返した。


「まわりの連中からは『霊課れいか』と陰口をたたかれている、いろんな意味で肩身の狭い部署よ」


「で、その肩身が狭い刑事さんが、どんなご用でわざわざここに? 普段の肩身の狭さを忘れるために、ハメを外しにわざわざスイートルームに遊びに来たというわけじゃないよね」


「あなた相手ならわたしは遊んでもかまわないんだけどね」


 麗子は成明のイヤミを艶然と受け流した。


「今日は遊びではなく、大事なお仕事の話で来たのよ。藤巻病院の一件について、報告をしにこさせてもらったわ。他の部署の人間は、こんな幽霊事件なんてかかわりたくないみたいだから、こちらに出番が回ってきたというわけ。それと、陰陽道の開祖安倍晴明に匹敵する力の持ち主と噂されている陰陽師さんに、一度お目にかかってみたかったからね」


「あいにくと、それは噂話がひとり歩きしているにすぎないよ。ひとり歩きが過ぎて、もはや噂話が迷子になっているぐらいだからね。ぼくは見ての通り、ごく普通の善良な一般市民だよ」


「まあ、その話はいずれ時間が出来たときにでも、ゆっくりとさせてもらうわ。――とりあえず、今日は事件の報告をさせてもらってもいいかしら? 一応、刑事としての仕事はしていかないと、ごく普通の善良な一般市民を名乗る方から、税金泥棒とか言われかねないからね」


 イヤミの言葉でさえ妖艶に聞こえる麗子の口調だった。


「――そこまでいうのであれば、そちらのご自由にしてください。ぼくはここに座って、黙って聞いているから」


「ありがとう。それじゃ、さっそく話をさせてもらうわね。――まずは藤巻について。警察の取り調べで、藤巻俊幸は病院の発展と自分の功名心のために、不完全な新しい手術法を試したと供述しているわ。その結果、手術は藤巻の医療ミスで失敗して、橋本雅也くんは昏睡状態になってしまった。雅也くんの両親は離婚裁判のことでいっぱいで、医療ミスについてはいっさい疑わなかったみたいね。藤巻も佐千代も、それで医療ミスを隠蔽することにしたわけ。佐千代はホストクラブにはまって、消費者金融に多額の借金があった。そのことで藤巻に弱みを握られていて、片棒を担ぐことになったみたい。二人とも医療ミスについては、全面的に認めているわ。ただ、雅也くんを殺そうとしたことについては、二人とも怯えてしまって話にならない状態よ。ごく普通の善良な一般市民の方が、二人にキツイお仕置きをしてくれたみたいね」


 麗子は成明に意味ありげな視線を向けた。


「へぇー、そんな正義感に満ちた一般市民がいるんだ。世の中まだまだ捨てたものじゃないね」


 成明の視線は露骨にあさっての方向に向けられている。


「それから、雅也くんに関してだけど、良いニュースがふたつあるわ。ひとつは――」


「これを機会に両親が離婚を取り止めた。そんなところじゃないかな」


 麗子の言葉を先回りして、成明が答えた。


「正解よ。それから、もうひとつの良いニュースは――」


「あまり奇跡という言葉は当てにしていないけど、ひょっとして雅也くんの病状に良い兆しがあったかな?」


「さすがね。正解よ。ひょっとして千里眼せんりがんの力もあるのかしら」


「千里眼があったら、きみがここに来る前にチェックアウトしてるよ」


「あら、残念。わたし、あなたに気に入られてないのかしら?」


「戯言は止めて、一秒でも早く話を再開してくれるかな」


「ふっ、散々な嫌われようね。――それじゃ、話を戻すけど、雅也くんはあの後すぐに大学病院に転院して、そこでの治療がよかったのか、意識を取り戻したということよ」


「これで今回の一件のお話は終了ということでいいかな?」


「ええ、これでわたしの話は終わりよ。長時間、ご苦労さま。ごく普通の善良な一般市民の方に最大限の感謝をします」


 話を終えると麗子は成明の目の前に名刺を一枚差し出した。


「またこの手の不可解な事件が起こったときには、ぜひご協力をしてもらえるかしら?」


「言い忘れたけど、単独行動が好きな男なんです、ぼくは」


 成明は棒読み口調で返した。


「警察と協力した方が、なにかと融通がきくことだってあるわよ」


「警察と美人の言葉にだけは気を付けるようにと、先祖代々、平安時代から言い付けられているんでね。とくに警察は自分たちの依頼ばかり押しつけてきて、こちらからの相談にはいっさい耳を貸さないと聞かされているから。中には、呪術的な技を持っている人間のことを、その辺の安っぽいインチキ新興宗教家みたいに考えている刑事が今だにいるみたいだしね」


「それはひと昔前のことよ。相互に不信感があったのは確かだけど、それをなくすために0課が出来たんだから。協力出来るところは、お互いに歩み寄りましょう」


 麗子がしかめ面を浮かべる成明を無視して、名刺を強引に成明の胸ポケットに押し込もうとしたとき、シャワーの音が止み、バスルームから一人の女性が顔をのぞかせた。


「ねえ、成明くん、バスタオルある?」


 女性の目がリビンクにいる二人の姿をとらえる。


「きゃあっ」


 女性は慌ててバスルームに姿を消した。


「あら、単独行動がお好きなはずじゃなかったかしら?」


 麗子が冷ややかな視線を成明に向ける。


「今回の一件で、あの病院を辞めたそうだよ。病院の寮暮らしで、そこを出たら他に行くところがないということだったから、とりあえずここに泊まってもらっている。彼女には力を貸してもらったから、そのお礼だよ」 


 成明は面倒くさそうに説明をすると、目の前に差し出された名刺を心底嫌そうに引き取った。


「それじゃ、わたしはこれで。また会える機会を楽しみにしているわ」


 麗子は何事もなかったかのように、さっそうと部屋を出ていった。


 しばらくして、赤いバスタオル一枚で体を包んだ女性が、バスルームから姿を現わした。女性は藤巻病院の看護師だった奈良原香奈である。


「ねえ、今の人は――?」


 香奈はドアの方に目をやった。


「なんというか、僕のビジネスパートナーといったところかな。せっかくうるさい人間がいる京を離れて、久しぶりにゆっくり出来ると思っていたんだけれど、これでまた厄介事がこちらに回ってきそうな予感がするよ。出来れば二度とお会いしたくないんだけどね」


 成明はさらに独り言のように続けた。


「でも、こういうことを言っていると、必ず腐れ縁になって、いずれまたどこかで会うことになるんだろうな。まったく、やれやれだよ」 

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