第5話 式神の正体

 その日の夕方――。院長室には昨日と同じ三人が集まっていた。


「――それで、この折り紙がシキガミとかいうバケモノに化けた。つまり今回の幽霊騒動の原因はすべて、このただの折り紙にあったというわけか?」


 藤巻は目の前の机上に置かれた白い奴さんの折り紙を見つめた。ぱっと見は、ただの折り紙にしか見えない。


「君の話を信じないわけじゃないが、どういうことか、もう少し詳しく説明してもらえるかな」


 藤巻は目に力を込めて、成明に視線を向けた。このガキに任せたのが間違いだった、と内心で思っていることが、そのまま目の光に現われていた。もっとも藤巻自身は、そのことに気が付いていなかったが。


「――式神というのは紙に偽りの生命を宿らせて使役する陰陽道の呪術とさきほど説明しましたが、それには特別な技術が必要になります。しかし、今回の一件にはそのような技術を持った呪術者の関与はありませんでした。では、誰がこの式神を使役し、また一連の幽霊騒動を引き起こしたのか。調査の結果、偶然が重なり起こったことだと分かりました」


 成明は藤巻の態度を気にすることなく、淡々とした口調で説明を進めていく。


「こちらの病院に長期入院中だった橋本雅也くんは、友達がいなく、また両親は離婚調停で忙しく見舞いに来ていませんでした。そんな独りぼっちの入院生活のさびしさを紛らわせるために、雅也くんは折り紙で奴さんを何体も作りました。その折り紙には、雅也くんの深い思いが込められていたのはいうまでもありません。そんなとき変化が訪れます。雅也くんの症状が悪化し、手術をすることになりました。残念ながら手術は成功することなく、雅也くんは昏睡状態におちいってしまった」


 成明が手術の話をしたとき、藤巻の体がびくっと大きく震えた。隣に座る佐千代は、なにかに耐えるように、膝の上に置いた両手を固く握り締めている。


「そのあとで、いったいなにが起きたのか。まだ十歳にもならない雅也くんの魂は混乱してしまったのです。体は死んだわけでもない、かといって正常とはほど遠い状態のまま、ベッドに横たわっているのです。天国にもいけず、自分の体にも戻れず、雅也くんの魂はさ迷っていたわけです。さ迷い続けた雅也くんの魂が見付けたもの――それがこの折り紙の奴さんです。雅也くんの魂はこの奴さんを依代(よりしろ)にして乗り移ったわけです。自分の思いが強く込められている折り紙ならば、呪術的な教養のない雅也くんでも、簡単に魂を乗り移すことができたんでしょう。こうして雅也くんの魂が入り込んだ奴さんは、式神のように行動できるようになりました。つまりそれが皆さんが見たという幽霊の正体なのです」


 成明は長い説明を終えた。


「――細かい呪術に関しては分からないが、まあ、君の説明はだいたい理解は出来た。それで肝心の幽霊騒動の方は、これで収まったと考えてもいいんだね?」


 藤巻が一番聞きたいことはそれだった。


「確かに収めることはできましたが――」


「なら、これで――」


「いえ。まだ完璧ではありません。一時的に式神の騒動を収めたに過ぎないので」


「それはどういうことだ?」


 藤巻は眉をひそめた。


「式神は退治できましたが、雅也くんの魂はそのままです。つまり不安定な雅也くんの魂は、まだこの病棟のどこかでさ迷っていると思われます」


「だったら、すぐにそのさ迷っている魂とやらを消してくれ!」


 藤巻の言葉に、しかし、成明は冷笑を返した。


「人の命を守る医師の言葉とは思えませんが」


「何を言ってるんだ! いつまでもそんな魂にうろちょろされたら、誰もこの病院に寄り付かなくなってしまうだろうが! それに入院中の患者にも悪影響が出て、最悪、精神がどうにかなってしまう可能性だってあるだろう!」


「――でも魂を消したら、雅也くんは死んでしまいますよ」


 氷のような冷たい響きを持った成明の言葉。

 瞬間的に藤巻の顔がさあっと青ざめた。


「い、いや……わたしはそういうつもりで言ったわけじゃないんだ……。とにかくこの病院を守らなければいけないから……責任者として、それでつまり……」


 藤巻は慌てて釈明した。


「今出来ることは、雅也くんが昏睡状態から回復するまで待つか、あるいは雅也くんが静かに息を引き取るのを待つか、その二つしか解決の道はありません。体が回復すれば、魂はすんなりと体に戻ります。逆に体力がなくなって息を引き取ったとしたら、魂は素直に空の上に導かれていくはずです。――どちらにしても、ここから先はぼくの仕事ではありません。医師の仕事です」


 成明はそう言い終えると、机上に置かれた謝礼金のたっぷり詰まった白い封筒に右手を伸ばした。そこで、ふと思い出したかのような口調で言葉を続けた。


「そういえば最近ニュースでよく聞きますよね。――『医療ミス』の話を」


「――――!」


 藤巻の顔に、決して拭いきれない暗い影が落ちた。それは後ろめたいなものを持っている人間だけが浮かべる表情であった。


 隣に座る佐千代の顔は、藤巻以上に悲惨なものだった。今にも泣き出しそうな表情で、両頬は痙攣したかのようにぷるぷると震えている。こめかみを伝う脂汗が目に入っても、まばたきする余裕すらないほどだった。

 

「な、な、なにを、言い出すんだ! わたしがなにかしたとでも思っているのか! 言いたいことは分かっているぞ。どうせ口の軽い看護師にでも聞いたんだろう。確かにあの少年は、わたしが手術をしている最中に昏睡状態になった。しかし、それはあの少年自身の体力が持たなくて――」


 藤巻はなにかにせかされるようにして早口でまくしたてた。


「――そうか。きさま、金が目当てなんだな。はじめからそうやってウソを並べて、この病院から金をむしり取る気だったんだろう! まったくとんだインチキ霊能力者だなっ! その金はくれてやる。だから、いますぐこの部屋から消え失せろっ!」


 藤巻は完全に本性丸出しの下卑た言葉で罵倒した。


「――依頼された件については完了したので、ぼくはこれで失礼します」


 成明は悠然と封筒をコートのポケットにしまうと、何事もなかったかのように院長室を出ていった。


 ドアが閉まり、二人だけになった。


「院長、わたし、わたし、これ以上はもう――」


 佐千代がすぐに藤巻に詰め寄る。


「君は何を焦っているんだ。いいか。あれは事故だったんだ。わたしたちにはいっさい責任はないんだ!」


 藤巻は怒ったように佐千代に言った。


「でも、あの手術法は欠陥だらけで、明らかに医療ミスでは……」


「バカな。あの手術にはなにも失敗はなかったんだ! あれは画期的な手術法だったんだ! あのガキの体力さえ持てば、成功していたはずなんだ。それを医者のせいにするなんてとんでもない」


「そうだとしても、結果的にあの少年は……」 


 佐千代のおろおろとした態度は変わらない。


「おい、まさか君はわたしを裏切るつもりなのかっ!」


 藤巻はさらに声を張り上げた。


「いえ、そんな……」


 佐千代はいやいやするように首を左右に大きく振った。ナースキャップから飛び出た髪が、汗ばった額や頬にべったりと絡み付く。


「いいか、もしもわたしを裏切るようなマネをしたら、君はこの病院にいられなくなるんだぞ。そうなったら君だって大変だろう。なにせ年甲斐もなくホストクラブにはまったあげくに、消費者金融から多額の金を借りて、その返済に困っているんだろう」


 藤巻は弱者を見つめる強者のぎらぎらとした目で、佐千代をにらみつけた。


「どうするんだ? この病院を辞めて、働く口はあるのか? その年じゃ、今さら風俗に勤めるというわけにもいかないだろう?」


「…………」


 返す言葉もないまま佐千代はがっくりとうなだれた。


「とにかく、あの手術のことは忘れるんだ。あの男だって恐喝なんてバカなまねはしてはこないさ。わたしたちが黙ってさえいれば、そのうち誰も言ってこなくなる。それをじっと待つんだ」


 自分自身に言い聞かせるように藤巻は言った。


「――いや、待てよ。あの男が言ってたじゃないか。あのガキが死んでしまえば終わるんだ。だったら、自分の手で証拠を消してしまえば早いじゃないか」


 藤巻の顔に医師とはとても思えない、邪悪な表情が浮かんだ。

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