(興奮すると、より光り輝く光源氏に、ひと泡ふかせるための)第24話




 光源氏は鷹揚おうように構えている。


「あなたの怒った顔もそそられる。もっと怒ってください。わたしは……、無視されることに慣れておりません。嫌われたほうが、よほど興がのろう」


 余裕のあるイケメン顔って、ある意味、とてつもなくムカつく。いい顔なだけに腹がたってくる。


 私は大きく息を吸いゆっくりと長く吐く。

 空を見上げた。底抜けに青い空と太陽のもとでも、彼の光は消えない。

 遠くで、チラチラとこちらを伺う武官も気づいていることだろう。光源氏がまた新しい女と逢引きしていると。


「武官があなたを見ているわ。その理由は簡単よ。どこにいても光の君は輝いているから。誰も、あなたの存在を無視できない。それが普通だから、誰も何も思わないようだけど。その常識が命取りよ」

「なにを訳のわからないことを仰っている」


 彼は誘うような表情で右頬を釣りあげて笑うと、優雅な仕草で指を伸ばす。

 自然な仕草で触れようとする。まったく女に対して警戒心がない。どんな女も自分に惚れるという甘えが自信につながり、こういう態度になるのだろう。


「この際、細かい説明は置いておくわ。光の君、取引きしなさい」

「取引き?」

「ええ、女官の筑紫が囚われた。皇子に毒を盛った嫌疑よ。知っているでしょ」


 光源氏はまったく動じない。つまり、すべてをあらかじめ知っているからだ。


「皇子さまが毒を盛られたと言っても、とても冷静なのね」

「大事はなかった。ただ怒りは消えないが。そなたのお付きの者は大罪を犯したようだ」

「いえ、犯したのは、そちらでしょう」

「開き直りかね」

「スエという女嬬をどこに隠したんですか。毒を入れたのは彼女ではないってわかっている。あの毒は、おそらく、毒味役が持ち込み自ら飲んだ。あっ、ムダに否定しなくていいわ。この事を筑紫が調べたから、それで危ないと、手を打ったんでしょう」


 光源氏の身体は微動だにしない。

 だから、怪しい。嘘をついているのを見破られないようにと、わざと動かないよう気をつけているのだ。


「夢想のような事を、かわいい顔で語るのですね」

「光の君。あなたはわかりやすいの。いい? 興奮すると身体が光る。これが異様だと思うのは、どうもわたしだけのようだけど。この世界の常識は普通の世界の非常識ね」


 光源氏はパサッと音を立て扇子を広げ、口もとを隠して、おおらかに笑った。その雅なこと、まあ、この男が魅力的だってことは認めるしかない。


「筑紫は有能な女官なのよ。毒味役の母親が病気で、突然、いい医者が往診に行ったとか。それに羽ぶりが良くなったそうね。近所の者が悔しそうに話したらしいわよ」

「ほお、それが毒味役が犯人という根拠なのかね。必死にお付きの女を助けようとしているのも、健気で泣けてきます。どうだね、わたしのものにならないか? そうしたら、一考する価値があるかもしれない」


 言葉とは裏腹、彼は威圧するように視線を逸らさない。私も真正面からにらみ返した。


「桐壺帝に頼んで欲しい」

「頼む価値のあるのかな」

「あなたにしかできないことよ。東宮さまを次の帝に即位させなさい。あなたたちにとって幸いなことは、東宮さまには皇子がいない。だから、次の東宮は藤壺の皇子さまで。この条件でどう」

「今日の朝議を知らないようだが、兄君は窮地に陥っている。どうも自分より、あなたのお付きの者のほうが大事なようだ」


 東宮が、まさか私を守ろうとして無茶をしているのだろうか? 私たちは同時にお互いのために動こうとしているとは、それを知れば胸が痛む。


「東宮さまが窮地なのは、あの方を黒幕かのように、その自信たっぷりの弁舌で、あなたが朝議を仕切ったからにちがいないわ」

「いいかな、朧月夜の君」と、光源氏は低く、しかし、しっかりした発音で言葉を区切った。

「東宮は廃位になってもかまわないと言ったことで、右大臣たちは青ざめ、今日は散会になったのだ。審議は明日へ持ち越しだ。明日になれば、筑紫と言ったか。強情もはれずに、毒を盛ったと白状するだろう」

「もう、拷問したの! 胸糞悪いわ、光源氏!」

「毒づくな、朧月夜」

「わたしが静かに話している間に、この条件をのみなさい」

「のむ理由がない。たとえ、そなたがわたしのものになるとしても、そんな時期はもう過ぎた」

「それでも、あなたの秘密は守ってあげる」


 切り札の仄めかしが意表をついたのか、光源氏が素の顔で驚いた。後ろめたい思いを抱く人間は、常に心の怯えを感じているものだ。


「わたしの秘密とは」


 目を閉じて開いたのは、次の言葉を決意をもって堂々と言えることを願ったからだ。


「藤壺の皇子の出生よ」

「……」

「あなたの子ね。証拠もあるわ。その身体よ。光輝くその身体を誰も不審に思っていないけど、でも、誰もがあなたの行く先々を知る。その姿を隠すことができない。藤壺の宮さまの所へ忍んだ日。その日を知っている人がいる。そして、皇子が生まれた」


 反論させないために断定した。屈服させるために、前に進んだ。ほとんど抱き合うくらいの位置に追い詰める。


「ほら、見える? あっちの武官。あなたを見ている。わかる? それほど、光源氏は目立つの。最初に言ったでしょ。あなたは目立つ! 帝の女御を犯して子を産ませ、次の帝に即位させるなんて。それに比べれば毒殺未遂なんて、子ども騙しのかわいいものよ……。それに、必ず、わたしは毒味役の嘘を暴く!」


 一歩、一歩、光源氏は後ずさりして、一歩一歩、私は詰め寄った。


「さあ、すぐ、筑紫を釈放して、東宮さまを次の帝にしなさい! さもないと、御所内から市井しせいまで、藤壺の皇子出生の真実がばら撒かれるわよ。それも否定できない証拠とともに。いずれにしろ、成長すれば、あなたの面影が色濃くでるはず。ちょっとした噂でさえ命取りになるわ。夜までに、筑紫が戻ってこなければ、わたしはすぐに動くわよ」


 光源氏は何かを言おうとして、口を閉じた。光が薄れていく。


 この勝負、私は勝ったと確信した。



(つづく)

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