(桐壺帝の退位宣言に、光源氏が暗躍して、弘徽殿の女御が最悪の手を使ったかもしれない)第20話
「退位いたす」
朝議で桐壺帝が宣言したとき、集まった殿上人たちは儀礼的に「ご再考くださいませ」と頭を下げた。それはあくまでもポーズであり、その瞬間から次帝即位へと裏では進んでいく。
左大臣側は用意周到だった。
「藤壺の宮さまがお産みになった皇子さまは、まだ幼くはあられますが、中宮さまのお子が次帝と立たれるのは長い皇室史の伝統。官吏の方々が、藤壺の宮さまの立后に反対なさったのは、この前例が崩れるからでございましょう。今こそ、律するべき時でありましょうな」
つまり、藤壺の皇子を東宮を飛び越して帝にするという
誰かの指示であるのは間違いなく。
それは、婿である光源氏だと誰の心にも浮かんだろう。
東宮と光源氏の対立は、表だっては右大臣と左大臣の戦いになった。
「そもそもが間違いがあったのだ」と、即座に右大臣が唾を飛ばして否定した。
「東宮さまの母君である弘徽殿の女御さまが大后となるべきであった。官吏たちが眉を顰めたのは、東宮さまの母が立后されないことへの疑問であったのだ。まさか、畏れ多くも、なんの落ち度もない東宮さまを廃位なさるおつもりか」
「東宮さまには、いまだ皇子もいらっしゃらぬ。中宮もお決まりではないではないか」
「では、幼子である皇子さまに、中宮がいらっしゃるのか」
興奮する右大臣に、おたおたする左大臣。しかし、光源氏が加わったことで、次第に右大臣側は劣勢になった。
弁舌もさわやかな彼には誰も敵わない。
ただ、数の論理でいえば、右大臣側に利がある。
「どうか、東宮さまを次の帝に」と、右大臣の意を汲んだ大臣や上級官僚たちが声を合わせる。
政治は数だ。左大臣側は数の点において不利だったが、決定権は桐壺帝にある。その根拠さえ示せれば、東宮は廃位される。
その日は、結論がでずに朝議は終わった。
しかし、事態は、それで終わらなかった。
日が
なにか起こるかもしれないと用心していた私は、
弘徽殿のちょうど西側に、藤壺の宮が住む
すぐに、また別の女官たちが走り出てきて、
「筑紫」と、私は呼んだ。
『源氏物語』では、東宮はその夏に即位したとしか書かれていない。
こんな騒ぎが宮中で起きたなど一筆もなかった。
これはブラックホールのような出来事なのだろうか。この世界に私を送った男は言っていた。私の対応次第で物語は変化すると。
「ここに」
「何が起きた」
「今、調べさせております……。あっ、ご覧になれますでしょうか、姫君。今、部屋に入って行ったあの者は宮中の御医にございます。彼が飛香舎に入ったということは、誰かが倒れたのやも」
「もしかして……、やられたかも」
「姫君」
「今日の朝議のあとの、この事態。何かあれば、疑われるのは東宮だ」
筑紫が消えた。
じれじれして待っていると、彼女が髪を乱して戻ってきた。
「た、大変にございます……。
「その者は無事なのか」
「わかりません」
宵闇が迫っていた。
渡殿の
しばらくして、桐壺帝や左大臣までが飛んできた。
「筑紫。
「御意」
それにしても、皇子の食事に毒を入れるなど、あまりに稚拙な攻撃だ。そんな愚かなことを、右大臣側がするだろうか。
いや、いやいや。
いやいやいや……。
こちらには、稚拙な
あの姉なら、頭に血がのぼって愚かなことをやりかねない。否定できない自分が嫌になる。
まさか、短絡的に帝の皇子を毒殺しようとして、その上に失敗したのだろうか。
「筑紫、厄介なことになりそうだわ」
「姫君、わたくしがついております」
「力になれるのか」
「お慰めすることは得意にございます」
「ふぅ……、
「お供します」
足取りは重かったが、弘徽殿に向かった。
近づいてつれ冷や汗がでてくる。嫌な予感というのは、たいてい当たるものだ。良い予感よりも、数字的にかなり多いのではないだろうか。
姉の部屋からは、
女官がひとり部屋から出てきて、私と目が合うと、その場に跪いた。
「何があった」
「お許しくださいませ」
「許すから、話せ」
女官はもごもごを何かを言ったが、言葉の意味を取れない。
(つづく)
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