(光源氏とかいう発光人間より、2番手の男だったはずの東宮に恋しそうで大層今後の展開が難しくなる)第7話
「
筑紫が身体を縮こませながら告げている。
おいおいおい、さっき、生理と言ったら状況を悪化させると言っただろう、筑紫。どうするつもり?
冷静な筑紫が珍しく額に汗が滲ませ、困ったように私と東宮の間で視線を泳がせている。
できる女官の鏡のような筑紫が動揺している。ちょっとだけ愉快だと思った。本当は、私が動揺すべきところなんだけど。
この世界、生理は『ケガレ』である。
生理中の女性は別室で安静にするのが慣例だ。
私は東宮から筑紫に視線をうつし、それから、もう一度、東宮を見た。
目があった瞬間、彼の目尻が下がり、口角が品よくあがる。私を見る目が優しげで、愛が溢れたかのようにやわらかい。
この笑顔、ぜったいルール違反だ。
まるで、愛していると声に出して言われたようで、ドキっとするしかない。
純粋な無垢な感情に触れたときはどうしたらいいのだろう。それは触れてはいけない何かのような気もする。
この男は東宮だ。
後の朱雀帝で、光源氏の母違いの兄であり、姉の息子。弟の光源氏の存在により、常に二番目に甘んじた、哀れな存在でさえある。
決して、彼が悪いわけじゃない。
何をやらせても上をいく天才、光源氏が弟だったという不幸な巡り合せだったというだけだ。
「困っているんじゃないか?」と、その声はあくまで優しい。
「ええ、あの」
「心配ない。ここに残っている者は少ない。起き上がれないのだろう。昔から無鉄砲で目が離せない人だが。……足がしびれたのかい」
「なぜ、おわかりに?」
「わたしの目を誤魔化すことはできない」
そもそも東宮ともなれば、お付きの者は多い。
私の視線に気付いたのか、彼は背後の者たちに命じた。
「そなたたち、先に戻っておれ」
「しかし、東宮さま」
彼が断固とした態度で手を振ると、従者はスススッとすり足で背後に下がり、その場から消えていく。
「さあ、わたしの肩に手を」
朧月夜と東宮は結婚する予定ではあるけど、でも、ここでの接触はなかったはず。それに、優しいだけの大人しい男だと描写されていた彼だ。
こんな大胆な行動をするとは思わなかった。
『源氏物語』内で、決して
実際の東宮は細身で背が高く、そして、少し神経質そうな顔つきをしている。その彼が私を強引に抱きかかえると、そのまま紫宸殿から弘徽殿への
「おや、扇子で顔を隠さないとは、やはり昔のようにお転婆さんだね。六の姫は」
うっわ、近くでみるとイケメンだ。なんとも言えない気品がある。胸に抱かれていると、彼の肩あたりに耳が触れ、鼓動が伝わってくる。
ドックドックドック。
規則正しく、冷静に鼓動を打ち続ける心臓の音。
あれ?
変?
私、なんかときめいていない?
ど、どうしよう。耳が熱い。
「姫、大きくなられましたな。あの小さかった少女が、このように重くなるとは」
「重いって、それ、失礼ではありませんか」
「ああ、落としそうなほど、重い」
「嘘、ここで落とさないで」
「冗談です」
東宮は失礼なことを言っても、おおらかに包み込んで許してくれそうな気やすさがある。
なぜだろう。
光源氏の前では緊張して自分を飾りたくなるが、この人の前だと、自分のままでいられる。なにもかも受け入れてくれそうなのだ。
「覚えておいでですか?」と、掠れた声で東宮は笑った。
「弘徽殿の庭から、ふたりで鬼ごっこをして、表に出てしまったことを。あなたは木に登って、そこから見える景色を眺めていました。わたしは窮屈な宮中の外へ出ることができませんでしたから。あなたの、その奔放な態度に憧れていたのですよ。いつも背中を見て追いかけていた気がします」
「そ、そうですか」
東宮の立場では、内裏から出ることはかなわなかったろう。せいぜい、御所内しかいられない。
完璧に世の中から遮断され、多くの従者たちに囲まれた生活。
考えるだけでも窮屈なものにちがいない。
右大臣の六の姫である朧月夜は、実家の屋敷で育ち、宮中に訪れた際には弘徽殿で遊んだはずだ。
「さぞかし、わがままを言ったのでしょうね」
「わたしは褒めておりますよ。宮中の公達たちが噂をしておりました。弘徽殿の妹御は大層な美貌の姫だと。小さいころを覚えておりますか?」
「い、いえ」
「それは、寂しいことだ」
後ろめたくて謝りたい気分だ。わたしに、その思い出はない。
わたしの母はシングルマザーだった。
離婚後に、母と住んだアパートで、ひとり孤独だったことを思い出すだけだ。
あれは木造建てアパートで、地下鉄の上に建てられているのか、電車が通過するたびに、ゴトゴトと部屋に響くような場所だったことが、幼い頃の記憶だ。
「あなたは幼い頃から活発でしたね。宮中で共に遊ぶような者も少なく、母君のところでお会いする、あなたの姿は慰めでした。それにしても、昔から、どれほど振り回されたことでしょうか」
ゴホ、ゴホッと咳をすると、彼は目尻を下げちょっと茶色がかった優しげな瞳で私を眺めると、その頬を私の額につける。
「熱はないようだ。仮病でしょうか。なんの悪さを考えていらっしゃる」
その声は低く落ち着いていた。大人の余裕と色気があって、なんとも魅力的だ。
ダメだ。ここは、ときめいている場合じゃない。
花の宴の後、朧月夜と光源氏の重要なイベントがある。
藤壺の宮に恋焦がれながら、会うことができなかった光源氏が、そぞろ歩きをして弘徽殿に現れる。
そして、扉が開いている私の部屋へ忍びこみ一夜を共にするという一大イベント。大胆不敵で恐れを知らない光源氏らしい行い。そのときが、『源氏物語』で朧月夜がヒロインとなる章。
でも、私は、その情熱的で刺激的な光源氏よりも、この穏やかで優しい東宮に、どうしようもなくときめいていた。
(つづく)
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