(光源氏さまが好きすぎてアイドルに見向きもしなかった私の光源氏さまファーストライブ「花の宴」が読める)第五話




 翌日、檜皮葺ひわだぶき屋根も豪壮な紫宸殿ししんでんで、春を愛でる『花の宴』が開かれた。


 明るい日差しに、満開の桜がひときわ映える。これこそ、想像通りの平安絵巻。


 女房たちは趣向を凝らした衣装で着飾り、地位に即した席につく。表向きは平和だった。弘徽殿の女御こきでんのにょうごの怒りと恥辱を、誰もが知っているが、ひとりとしておくびにも出さない。

 これ、ある意味、恐ろしい。


 私は十二単じゅうにひとえの重さだけでなく、空気の重さに押し潰されながらも、なんとか持ちこたえていた。


「主上が、いらしゃいました」と、筑紫が耳もとで囁く。


 きょろきょろすると、皆、すわったまま頭を下げ、お辞儀をしている。

 それに習って上半身を曲げた。十二単では苦行で、ぐううっと腹筋に力をいれて我慢していると。


 帝、東宮、藤壺の宮……。

 三人の主役があらわれた。


 帝は典雅な顔つきで背後に従う藤壺の宮を気遣っている。側から見れば、深く愛し合う恋人のようだ。


 いや、もうね。

 どうしようか、このふたり。光源氏が来たら、どんな顔をするんだろうか。てか、その前に、早くすわって欲しい。ずっとお辞儀じぎをしているから。


 さらに東宮の登場で、母である弘徽殿の女御が上座をうかがう。視線のなかに、帝と藤壺の宮が入ったのだろう、ピクッと口もとが痙攣けいれんした。


 帝が上座に着席すると、東宮は左に、右に藤壺の宮が顔を扇子で隠して優雅に腰をおろした。


 その間、みな拝礼している。


「皆、ゆるりと楽しめ」


 帝の声が甲高く響くと、やっと解放され、身体を起こせた。


 上座にすわる三人の姿がはっきりと見える。


 藤壺の宮は桜色の唐衣が華やかで、ひときわ映えている。帝が宮の方を振り返り、口もとに溢れるような笑みを浮かべた。


 弘徽殿の女御こきでんのにょうごは、扇子に顔を隠してはいるが、その動揺が手に取れるようだ。仕えている女官たちもピリピリした。


『源氏物語』で朧月夜が登場するのは、この『花の宴』だ。

 光源氏と会えるチャンスでもある。彼は遅れて登場して、その美貌と舞い、漢詩の見事さで圧倒して人びとを魅了する場面が書かれている。


 宴が終わったあと、藤壺の宮に未練タラタラの失意の光源氏はそぞろ歩きをする。

 そこで、私と出会うはずだ。

 正直言って、須磨へ光源氏を左遷させるなんて簡単なことだ。ストーリーに沿って動けばいいだけなのだから。


 今はそんな細かいことは、重要じゃない。


 ドキドキが止まらない!

 はじめて出会う光源氏って、実際には、どんな人物なんだろう。女よりも美しいと描写されていたから、たぶん、中性的な魅力に溢れたイケメンなんだろう。才覚といい、容姿といい、特別な存在で光輝いているから、光源氏と噂された。


「六の姫」と弘徽殿の女御こきでんのにょうごが呼ばれたが、私は聞き逃した。


 背中を軽く押され、背後を見ると筑紫が目配せしている。


「なに?」

「お返事を」


 弘徽殿の女御こきでんのにょうごを振り返った。


「姉君さま、なんでしょうか」

「六の姫。東宮が先ほどから、ずっとあなたを見ているのです。幼い頃から仲が良かったでしょう。そのように完全に見向きもしない態度は、よろしくありません」


 東宮? そうだった。右大臣家としては、東宮に私を入内させ、権力の基盤を築きたいと考えている。


 一方、藤壺の宮の後見人は宰相である光源氏だ。

 二十歳の若さで宰相とは、驚くべき出世だが、それもこれも帝が溺愛している結果だろう。


 この『花の宴』では、親王方や多くの上達部を間近に見る場所にすわっているが、几帳きちょうなど、遮蔽物しゃへいぶつも多い。


 扇子で顔を隠さなければならないなどの、うっとおしい決まりのせいで、ますます厄介だ。


 と、その時、どよめきが起きた。


 宴のイベントとして、詩を披露して競うためのお題が、帝の御前に用意してある。

 自信のあるものは前に進みでて、お題をとり、その場で開いて披露するのである。


 どよめきは、ひとりの男が前に進んだからだ。


 ついに来たぁああ!


 光源氏さま、その、そのお姿は!


 そ、その、その、お姿。


 そそそそそ……、その……。


 え? あ、あれが光源氏……、さま?


 ひ、光っている。

 本当に光っているのだ。


 あまりにも、わかりやすく全身が光っていたので、私は別の意味で仰天した。


 あ、あれは宇宙人か。

 確かに身体から光を発している。


「ひ、光っている」


 思わず、声が漏れた。


「なんと、尊いのでしょうか」と、筑紫が感嘆している。

「筑紫、あれが尊いのか。人は普通は光らないぞ」

「だからこその光源氏さま」

「いや、ないないない」


 筑紫もだが、周囲の女官たちは、みな見惚れている。いや、普通に考えて変でしょう。身体から光を発しているなんて、だって文字通り光っているから。

 イケメンかもしれないけど、光ってる段階で怖い。


 謎の発光人間。


 アワアワアワ。

 憧れが強かっただけに落胆も大きい。


「あ、あれを誘惑など、私には……、無理だ」

「姫さま、いったい何を仰っているのでございますか」

「将来に対する、漠然とした不安に打ち震えている」


 筑紫が首を振った。


 これは、つまり驚いているのは、私だけということか。

 周囲を見渡した時、ふと、ある貴公子と目があった。光源氏には、全く興味を持たず、ひたすらに、こちらをガン見している。

 東宮だ。

 わたしの視線を捉え、彼はにっこりとほほ笑むと光源氏に向かった。


「源氏よ。舞いを所望したい」


 源氏は、おおらかにほほ笑むと、「東宮さまのご所望となれば、春鶯囀しゅんおうでんを、ひとさし」


 光源氏は得意気にひらりと袖をひるがえす。

 さすがに得意気なだけあって、その舞いは優雅このうえない。所作も美しい。

 あちこちから、感嘆ため息がもれてくる。まるで推しアイドルを愛でるファンの集いの様相になった。


 しかしだ、現代のピップホップダンスなど見慣れた目には、なんともおっとりした踊りである。当然のことだが、床の上を背中で回転もしない。


 雅といえば雅なのだろうが、私はヒップホップ派。


 その上、火の粉のような光が源氏の周囲を輝き包んでいる。これも慣れてみれば、確かに美しいのかも。少女漫画で、主人公が薔薇ばらを背負っているのと、同じかもしれない。


 いやいやいや、アニメなら許されても、実写版で薔薇を背負っていたらギャグだから。


 光源氏は舞う。

 細く長い目が印象的な色白の顔に影が色っぽい。

 これが光源氏、長い間、わたしの推しだった男。


 でも、光っているから。


(つづく)

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