(朧月夜に納得がいかないけど、憧れの光源氏さまに会えるならやる気しかない)第2話
女の姿が見える。
このまま寝たふりをして、もう少し様子を見るか。それとも起きあがろうか。
女は髪を後ろに軽くゆわえ、
年齢的にはおばさん?
まっ白に顔を塗りたくっているが、白粉がヒビ割れてて、ちょっと怖い。疲れているのか、軽くあくびをして袖で隠した。
相手の出方を伺っていると、女の動きが、ふいに止まった。
空気がぐっと重くなる。
まるで、時が止まったかのようだ。
『源氏物語』には時が止まる場面はなかったはずだが、生き霊や怨念が人を殺す世界でもある。
息を殺していると、またあの声が脳内に響いてきた。
──驚くな。俺だ。おまえを愛する同級生。
声の男に気づいて力が抜ける。また変なことを言っているが、いちいちつっこんでいたら効率が悪そうだ。
「すぐ戻ったのね」
──寂しくさせたくなかった。それに、調べてきたんだ。
「なんなら源氏を振って、次の帝の妃になる女性よ」
──おまえなら知っていると思っていた。
とてつもない能力を有する、面倒な奴に好かれたということか。
でも、信じられない。
自分で言うのも悲しいけど。私を愛するなんて、そもそも嘘っぽい。女としては、なんの魅力もないはずだ。そう思うと心臓がズキッと痛む。
──時間がない。もう一分しか話せない。なにが知りたい。
え? 後付け情報が多いよ。
物事に取り組むには、まず状況をすべて洗い出して「条件の確認」を行い、次に具体的事象をすべて抽象・概念化、そこから「目標設定」を行なったのち、「優先順位」を設定して計画を立てる。
これは基本中の基本。この男はたぶんそれができてない。
ということは、この状況は男の単なる思いつきかもしれない。
「一分って、どういうことよ」
──接触できる時間は短い。残り五十秒だ。知りたいことは。
「ここから私は、帰れるの?」
──ああ、俺が満足し……。いや、こうしよう。ミッションをクリアしろ。そうしたら、帰れる。
「ミッション?」
やはり間違いない。このミッションも彼の思いつきにちがいない。
しかし、侮ってはいけない。この世界に私を送り出した張本人だ。ということは、簡単に私を消せるだろう。
ふうう、ため息しかない。やはり、とんでもなく厄介だ。
──あんたは
どうだって聞かれても、須磨への左遷は源氏物語では既定コース。順調に物語を進めさえすれば達成できる条件を、なぜ、あえて。やはり、この条件も適当に作ったにちがいない。
だけど……。
そんなのダメだ。私の光源氏を追い落としたくない。最愛の推しなんだから。だから、でも、どうしたらいいだろう。
この男の真意はわからない。彼に直接反抗する姿勢を見せるのは、今のところ愚策だ。とりあえず、間接的に抗議してみよう。
「そんなことしている時間はないわ。だって、受験もあるのよ」
──大丈夫だ。ここの時間は現実世界と別に流れる。ミッションを完了すれば、もとの時間軸に戻れる。残り、十秒。
「残り時間なんて、融通が効かないったら」
──あと三秒。
「あなたは誰?」
返事はなかった……。
目の前にいる女房の口が開いた。
「お目覚めくださいませ、姫君。
とりあえず、この場所がどこなのか確認しよう。この女官を恐れる必要はない。
一瞬のふいをついて寝台から飛び出してみた。
板張りのフロアに置かれた几帳を倒して、先にある
空を見上げると、薄赤いところと、
ということは、この部屋は東に面しているのだ。庭の先には別の
「ひ、ひっ、姫君さま」
背後から声がする。
「名前は?」
「はい?」
「あなたの名前を聞いているの。名前は?」
「
私は右大臣の六の姫君だから、お付きの女官も、それなりの身分だろう。
声の男が言っていた通り、
父親は右大臣という最高権力者のひとり。姉が現帝の女御であり、東宮(皇太子)の実母だ。
この姉が、かなり厄介でクセモノのはず。
光源氏の敵で悪役として名高い
で、ここはどこだろう。
内裏(帝の住まい)なのだろうか? だとしたら、おそらく、姉が住む
権力者の娘が後宮に入ったとき住居するなかでも、もっとも格式が高い場所が
「イタッ」
裸足のまま庭に降りたので、石が足裏を傷つけた。
「姫君さま、どうぞ中にお入りくださいませ」
「筑紫」
「はい」
「姉君に、ちょっと待っててと伝えて」
筑紫は言葉を失っている。
見るまに顔が青ざめていく。そうだった。姉は
命令に逆らえば、どんな難がくるかわからない。そんな顔つきをしている。
「どうか、お許しくださいませ。ど、どうか、この場で、わたくしめを殺してくださいませ」
「それほど、姉が怖いか」
「め、めっそうもございません」
「怖いんだな」
なるほど、これは立ち回りを考えなければいけないようだ。
(つづく)
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