第8話

 今思えば、魔王の行動は最初から不自然だった。

 国との契約は勇者の抹殺であり、僕たちを殺す必要なんてハナから存在していない。つまり魔王には、それ以上の理由が存在することになる。


 そしてたった一つ心当たりがある。

 だがそれが正しかった場合、今僕たちが狙われているのは…ユイが殺されたのは、


「はや…かったな、アマザァ。ちと血抜きしたから随分頭ァ冴えてきたぜ…」


 目の前の光景を、僕の脳が拒否する。

 横たわるユイの死体から溢れる血と、ヤシラの片腕からとめどなく流れる鮮血が混ざり合う。赤黒く変色したそれの中央で佇む魔王の軍服を濡らす。


 彼女の片腕が落とされている。

 彼女の額から飛び出たツノが削がれている。

 彼女の腹には複数の穴が空いている。


 それでも強気に、懸命に、必死に立とうとするヤシラの姿は魔力が切れたのか、人型に戻っている。しかし彼女は気づいていない。

 …もう目が見えていないのだろうか。白く濁った眼球は、額から溢れる鮮血によってアカに変色している。


「ガアアアアッ!」


 吼えるヤシラ。地面を蹴り、残った左腕を振るう。その左腕すら指がニ本欠けていた。

 思わず下唇を噛み切り血の味を感じる。

 僕は…リーダーなら、常に矢面に立たねばいけないはずだ。なのに、僕以外のみんなが傷付いていく。油断なんてしていなかった。みんなを信じて、任せてしまった僕の責任。

 手のひらを叩き短く詠唱。


Lead導け


 するとヤシラの周りを青白い光が包み、目の前からたちまち消え失せる。

 今まで使っていた魔術は僕個人の研究成果で、これが本来の由緒正しい血統の魔術。座標を操りトレースする。今回は急ぎだったので、擬似魔術臓器の情報を使い妹の座標を特定して送らせてもらった。


  幽鬼のようだった少女が見えなくなり、未だ血の池に棒立ちする魔王と対面することになる。


「おや、もう神格の名前を借りた魔術は使わなくていいのか。」


 大きな独り言が聞こえる。僕の使う魔術はネタが割れており、こちらとしても気にすることはない。

 未だ息を切らす様子のない老人化け物を一瞥し、ユイの遺体に目を向け質問する。


「魔王、質問に答えろ。」


「いいだろう。今は…とても気分がいい。」


 震える腕を抑える。

 しかし煮えたぎる感情を、とめどなく溢れる殺気を隠すことはない。

 ぼんやりと空を見上げる魔王のことを少しでも視野に入れてしまったら、理性を忘れて殺してしまいそうだ。


「お前は依頼を二つ受けたな。」


 ちらりと、魔王の視線がこちらを向いた感覚があった。意地の悪い粘着質な、吐き気を催す視線。


「今更隠すこともあるまい。その通りだ。一つは協定による勇者の殺害。そしてもう一つは…アマザ、貴様の抹殺だ。」


「なら、ならなぜ!僕以外の人間を殺した!お前ほどの腕なら僕一人暗殺することは容易いはずだ!」


 怒気を隠そうとしない僕の叫びは虚しく荒野に響く。僕の瞳からはいつの間にか涙が溢れていた。

 風が血の匂いを運び、むせかえるほどだったユイの熱、猛々しかったヤシラの気迫も今は感じられない。それが、どうしようもなく悲しい。


「残念ながら、その願いは聞けない。なぜなら彼女は刃を向けた。蹂躙されるだけの弱者ではないと示した。その姿勢に敬意を示し、殺したまでだ。」


 この問答において模範のような回答。

 そもそもお前がここに来なければ…卵が先か、鶏が先か。


 ただの八つ当たりだという事は自覚している。

 だが、上手くいけば被害は僕一人に収まったはずなのだ。僕の愚行は魔術史の未来を潰す行いであり、一つの家系の終わりを意味する。


「そしてもう一つ、有益な情報を教えてやろう…貴様らの血統は魔王に対する対逸脱者カウンターだ。未完成の勇者に対するカウンターに、完成品は相応しくない。」


 そして最悪な予想が当たってしまう。

 ならば、この騒動の原因は僕さえいなければ起こらなかったものであり、僕がユイを殺し、ヤシラに致命傷を与えたも同然という事だ。


 だがしかし、同時に一つの疑問が生じる。


「つまり、勇者へのカウンターではないのか。お前は。」


「ああそうだ。世界の意思は、私如きでは釣り合わないとのことだ。」


 そして魔王は、勘違いしてほしくはないのだが、と話を続ける。


「これは連鎖的な事象だ。逸脱者が出たからカウンターが覚醒した。私が覚醒したから貴様の家系が身を結んだ。そして貴様らが目覚めたのならば…」


「僕たちに対するカウンターも、目を覚ました?」


 僕は言葉の真贋を見破る術はない。しかし、こうも澱みなく言われて仕舞えば疑う気も失せるものだ。

 僕に対するカウンターが現れたから…勇者が、カイがこの世界に呼ばれたということか。


「ああ。勘違いするな、という話はここからだ。先ほどの魔術…空間操作の魔術で合点があった。私は、先の戦争で貴様の親を殺している。降りかかった火の粉を払っただけとも言うが。」


 どくん、と。心臓が大きく跳ねた気がした。

 急いで脳内の演算を全て止める。

 魔王を殺すために練っていた魔術式も、座標の特定も、全てだ。


「……やめろ。これ以上言ったら殺す。」


「言わなくても殺されるだろう、私は。しかしだからこそ言おう。私は、最後まで盤上の駒でしかなかった。」


 やめろ、頼む…やめてくれ。


 脳内がスパークを起こす。魔術式を中途半端に、突然停止させた代償。だがそのおかげで、一瞬だけ忘れる事ができた。

 これから宣告されるであろう最悪の未来、魔王が人間である理由とシステムの謎。


「そして、次は貴様が魔王になる!魔王である貴様の対逸脱者カウンターとして呼ばれたのがあの坊主、勇者だ!」


 ああ、魔王の仕組みが今明かされた。地球の意思によって催される、最悪なラッドレースに悪意はない。『星の営み』という大規模な運営によって生じた不具合バグが、意図せず人類に牙を向いただけなのだから。


「情報を漏らした所で運命は変わるまい。得意の運命操作をしてみるか?無意味だと思うがな。」


 座標操作をしヤシラを逃した時点で、僕はすでに星の意思に目をつけられている。どんなに鈍感だと言っても、一部の皮膚を違う場所と交換してしまったら違和感を拭えまい。

 簡単に座標を入れ替える、と説明したがそれは大魔術に他ならない。なぜなら今回は、直径数メートルの地面と大気ごと置換せざるを得なかった。精緻な操作を戦闘中に行うのは、強化した脳味噌といえど負荷による熱で溶けかねない。


 通常時はそもそも座標置換の魔術を行使する前に魔力が尽きる。だから、メンテナンスと称して魔術臓器に僕と妹、そして母の三年分の魔力を注いだ。その魔力を持ってしても、あと2回が限界だろう。


「アマザよ、貴様がこれからどんな残りの人生を送るか見ものだな!この目で見届けられないのが残念ではあるが…せいぜい、健闘を祈る。」


 へその上、鳩尾の下辺りを意識する。

 とめどなく流れる魔力を手のひらに集め、魔術を起動するために演算した座標を、脳内で描いた術式に落とし込む。

 世界に、意思を示す。

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