六. アイヌの力

 天正十九年(1591年)。南部氏の有力家臣の九戸くのへ政実まさざねが突如、反旗を翻す。

 九戸政実の乱と呼ばれる戦いの始まりである。


 九戸勢の兵力は5000。当初、南部氏が独力で鎮圧しようとしたのだが。

 九戸勢は思った以上に暴れ出し、上方の統治になびく南部氏に不満を持った一揆勢も加わり、勢力が拡大。

 南部氏はこの鎮圧に手こずり、結局、中央の秀吉に訴える羽目に陥る。


 実は九戸以外にも、奥州各地で一揆が起きていたこともあり、それの鎮圧も目指して秀吉は軍を派遣。


 南部領に程近い位置にある、蝦夷地の蠣崎氏にも動員令が下った。


「戦か。腕がなるのう」

 すでに44歳になっていた慶広は、傍らに仕える「義兄弟」のような武将に声をかける。

 小平こだいら季遠すえとお


 小平氏は、祖父の代から仕える重臣であり、季遠の正室は、蠣崎季広の娘、つまり慶広の妹だった。慶広とは年齢も近く、相談役として重宝している男だった。


 義理の弟にも当たる重臣の彼は、しかしながら心配そうに、

「されど殿。この蝦夷地の者たちは、戦に慣れておりませぬ。こたびの戦には、中央より名だたる名将が集まると聞いております。無様な戦をお見せすることになれば、蠣崎氏の恥かと」

 そう告げていた。


 事実、この戦に駆り出された者の中には、徳川家の「赤備え」として知られる井伊直政、若き天才で織田信長にも認められた蒲生がもう氏郷うじさと、秀吉の古くからの家臣でもある浅野長政、南部氏を裏切って独立した狡猾な男と噂の津軽為信ためのぶ、南部氏の南部信直などが参陣するという噂だった。


 もちろん、蠣崎慶広は、戦に不慣れな自軍のことはわかっていたし、訓練自体は続けていた。


 そして、同時に、最良の策をすでに用意していた。


「いるではないか、我が方にも戦に慣れた者たちが」

「はて。そのような者は……」

 渋り、考える季遠に対し、慶広はほくそ笑みながら、告げるのだった。


「アイヌよ。彼らを呼べ」

 はっと我に返った季遠は、見る見るうちに表情を明るくし、


「ただちに!」

 そう叫ぶと、使者をアイヌ首長の元へと走らせるのだった。


 結局、9月には総勢6万人にも拡大した「天下人」の軍が、九戸城を完全包囲。


 九戸城は、西側を馬淵川、北側を白鳥川、東側を猫渕川により、三方を河川に囲まれた天然の要害だった。


 城の正面にあたる南側には蒲生氏郷と堀尾吉晴が、猫淵川を挟んだ東側には浅野長政と井伊直政、白鳥川を挟んだ北側には南部信直と蠣崎慶広、馬淵川を挟んだ西側には津軽為信、秋田実季、小野寺義道、由利十二頭らが布陣した。


 奥州の九戸城に、蠣崎家の旗指物がはためいた。なお、蠣崎家の家紋は、丸に割菱。これは武田菱とも言われた、武田家の家紋に、丸を足したような紋で、そのことからも彼らが若狭武田家の末裔だとされている。


 九戸政実はこれら再仕置軍の包囲攻撃に対し、少数の兵で健闘した為、包囲軍は思いの他苦戦していた。


 特に蠣崎軍のすぐ隣に布陣していた、南部信直、津軽為信、秋田実季と名を改めたかつての主筋の安東実季の軍が苦戦を強いられる。


 そこで、蠣崎慶広は、家臣たちに命じる。

「アイヌ隊、前へ!」


 その時、周辺にいた、武士たちは、思いも寄らない者を見る。


 色鮮やかなアットゥシに身を包み、笠を被り、髭が濃く、彫が深い、まるで異人のような集団が、隊列を作り、見たこともないような、細い弓を携えて出てきた。


「放てえっ!」


 かと思ったら、彼らが一斉に矢を放った。

 その矢が次々に九戸軍の兵士に当たるが。

 その有り様が不思議だった。兵士たちは倒れるものの、いずれも致命傷とは思われないものだった。

 せいぜい、腕や足に当たった程度。

 ところが、いずれの兵士も苦悶の表情を浮かべて、地面をのたうち回るのだ。


「何だ、あれは」

「おぬしら、一体何をしたのじゃ」


 近くにいた、津軽の兵たちが物珍しそうに駆け寄ってきた。

「あれはな。アマッポよ」

 慶広が、馬上から得意げに告げる。


「アマッポ?」

「左様。アイヌは、ヒグマやエゾシカを射るのに、毒を塗った矢を使う。それがアマッポじゃ」


 アイヌが狩猟で使うアマッポは、矢の先端にスルク(トリカブト)を使っていたため、その威力は絶大だった。

 その上、日常的に狩りをしていた彼らは、弓の扱いに長けていた。


 しかし、当然ながら、彼ら侍たちは、驚嘆の声を上げると同時に、蔑みの感情を持って、接してきた。

「おぬしら、卑怯じゃな。武士として、恥ずかしくないのか」


 それに対する答えも、もちろん慶広は事前に用意してあった。

「我らは元々、武士ではない」


「では、一体何者なんじゃ?」

蝦夷者えぞものよ」

 慶広は、得意気な顔で言い返していた。彼にとって、出自はどうでもよく、武士でも商人でも良かったのだ。


 彼にとって、蝦夷地は故郷であり、自分をはぐくみ、強く育ててくれた大地。蝦夷地の厳しい自然は、本州以南のいわゆる「内地」には決してない物だ。

 ましてや、当時は、現在のようにストーブというものが存在しない。


 暖房器具もロクになく、寒さで死ぬ者が多数出るくらいに厳しく、寒い北の大地。

 しかし、そこに息づく「アイヌ」という民族を慶広は、決して「侮っても」いなかったし、「蔑んでも」いなかった。


 むしろ、利用すべき物は何でも利用するのが、彼の戦術だった。


 後年。明治維新後に、多数の和人(日本人)が蝦夷地になだれ込んで来て、アイヌを迫害することになるが、この頃はまだ蝦夷地の「真の支配者」はアイヌであることを、蠣崎慶広はよく知っていた。


 だからこそ、彼らを決して「ぞんざいに」扱うことはなく、この兵役ですらも、謝礼として金銀や海産物を渡していた。

 慶広にとって、アイヌは「共闘すべき相手」という認識であり、祖父や父の代の時のように、彼らとの間にいさかいを起こすことは少なかったのだ。


 ともかく、この異様なまでのいで立ちは、九戸政実の乱において、一種の注目を浴びており、蠣崎慶広の名は、戦場においても高まってしまったのだった。


 しかも戦国時代が終わろうという頃に差し掛かり、ようやく力を発揮した「遅咲きの天才」、それが彼だった。


 九戸政実は、9月4日に降伏して、戦は終わった。

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