五. 北の果ての希望

 天正十年(1582年)。蠣崎氏の家督を継いだ、蠣崎慶広。


 そこから、ようやく彼の「天才」が発揮されることになる。

 まず、彼が取り組んだのは、「安東氏」だった。


 父も、そして祖父もまたある意味では、「苦しめ」られてきた、辛酸をなめさせられてきた相手でもある。


 その安東氏に対し、反逆をするどころか、あえて従順になることで、発言力を増した。

 この頃、出羽国比内ひない郡には、浅利あさり氏という領主がいたが、これが安東氏との私闘により、没落する。


 しかも、この浅利家没落の原因を作ったのが、他ならぬ蠣崎慶広だった。


 ある時、安東氏の拠点、檜山城に呼ばれて舜季に謁見した慶広。


 彼が見た舜季という男は、油断ならざる雰囲気を持つ男だった。


 熊の毛皮を小袖の上から羽織り、鋭い眼光と、服の上からでもわかる筋肉が目立つ。


 そして、他者を封じるような、有無を言わせない迫力があった。


 そんな舜季が、


「慶広。勝頼をやれ」

 とだけ、命じたのだ。


「ははっ」


 彼は、安東氏の命令を従順に遂行し、浅利家当主の浅利勝頼を、配下の忍びを使って、密かに暗殺することに成功。


 このことにより、蠣崎氏が安東氏内での立場を強力な物とし、発言力を向上させていった。


 だが、安東氏最大勢力を築いた、その安東舜季が、天正十五年(1587年)、角館城主戸沢盛安と戦った際、仙北淀川の陣中で病死した。


 後を継いだのは、彼の実子で実季さねすえだったが、この時まだ12歳。その継承に不満を持った従兄で12歳年長の安東通季みちすえ(豊島通季)が「上国湊安東氏の復興」を掲げて反乱を起こした。


 安東実季は、この反乱に手こずり、鎮圧に数年かかり、徐々に国力を落としていった。


 そして、運命の時がやって来る。


 天正十八年(1590年)7月。

 豊臣秀吉が「小田原征伐」を終えて、「奥州仕置」を始めた。これはつまり、奥州の支配権の確立、石高の策定などを含んでいたが、これによって秀吉に逆らったことで改易させられたり、伊達家のように減封げんぽうさせられた大名が多かった。


 安東氏の被官である蠣崎氏は、主筋である安東実季に従って、蝦夷地代官として帯同し、上洛した。


 北の辺境の土地から上洛するだけでも大変な苦労がある時代だったが、この年、43歳になっていた慶広は、すでに「天下の趨勢」を数年前の家督相続の時から見抜いていた。


(これからは豊臣秀吉の時代だ)

 と。


 そこで、ようやく京都にたどり着いた12月。

 彼は密かに、使者を送った。

 送った先は、豊臣家の重臣にして、秀吉の親友とも目された男、前田利家。


 利家はすぐに会ってくれることを約束してくれるのだった。

 そして、ここでも「天才丸」の本領が発揮される。


 その頃、中央で流行っていた「茶の湯」の席に案内された蠣崎慶広。

 当然ながら、向こうは慶広など、「北の辺境に住む田舎者」くらいにしか思っていない。

 茶の湯の席で、恥をかかせて笑ってやろう、ぐらいにしか思っていなかった。


 通された、小さな茶室で慶広を見た前田利家は、茶を飲む前に目を見張ることになった。かつて「槍の又左またざ」と呼ばれた傾奇者かぶきもの、猛将として知られた彼もこの年、53歳の老境に入っていた。

 彼が真っ先に驚いたのは慶広の着ていた服装だった。


 色鮮やかな青色の染料に、不思議な縞模様が入った、見たこともない着物を小袖の上に羽織っていた慶広。

 物珍しさに、利家はつい声を発していた。


「それは珍しいですな。どこで手に入れましたか?」

「これは、アットゥシと呼ばれる物でして、アイヌから譲ってもらいました」


「はあ。アイヌですか。しかし、見事な物ですな」

「でしたら、前田様。これを殿下にお見せしたいと思いますので、お取り次ぎ願いますでしょうか?」


「ええ、それはもちろん」

 慶広は、内心、ほくそ笑んでいた。

 作戦は、大成功だった。最初から、慶広は、安東氏を「隠れ蓑」にして、「天下人」に取り入るつもりだったのだ。


 しかも、田舎者と思って、無作法を晒すだろうとすら思っていた前田利家の思いとは真逆に、慶広は蝦夷地に来る京都の商人から得た知識で、見事に茶の湯の作法を学んでおり、利家を感心させていた。


 そして、前田利家によって、蠣崎慶広が豊臣秀吉に謁見する日がやって来た。


 大坂城。秀吉が築いた天下の名城の中にある、金箔だらけの派手な大広間。そこが謁見の場所になったが、慶広は、もちろん「派手好き、珍しい物好き」な秀吉の性格を調べてきていた。


 やがて、秀吉が豪奢な着物を着て、上座に現れると、前田利家と全く同じように、

「おお、蠣崎殿! 遠路はるばるご苦労だった。それが、利家が言うとった、着物か。アツシと言うそうじゃのう」

 と、子供のように目を輝かせて、慶広に近づいた。


 その瞬間、慶広は示し合わせたように、アットゥシを脱ぎ、そのまま差し出していた。

「アットゥシにございます、殿下。よろしければ差し上げます」

 その殊勝にして、あまりにも出来すぎた振る舞い。


 普通なら疑ってもおかしくはなかったが、秀吉は大いに喜ぶのだった。

 そして、

「よし。遠いところからわざわざ来てくれた上に、この土産物じゃ。わしは気分がいい。そなたの所領の安堵はもちろん、従五位下じゅごいのげ民部大輔みんぶだいゆうに任じる」

 あっさりと、蠣崎氏の所領の安堵と、官位まで授けるのだった。


「ははっ。ありがたき幸せ」

 平伏しながらも、慶広は内心では、笑いが止まらないのだった。


 何しろ、これは事実上の「蝦夷管領かんれい」からの「独立」だったからだ。

 蝦夷管領は、その名の通り、蝦夷地を治める役職で、古くは鎌倉時代からあったそうだが、この役職をずっと務めてきたのが、他ならぬ安東氏であり、つまりは蝦夷地を治める権限を持つ安東氏を飛び越えて、直接、天下人から蝦夷地支配の「お墨付き」をもらったことになる。


 蝦夷地に帰った慶広が、父の季広に報告する。

「父上。私は関白殿下より、この地を安堵されましたよ」

 まるで何でもないことのように告げた、慶広に対し、すでに84歳の高齢になっていた季広は、感動のあまり平伏してしまった。


「父上。何をされているのですか。頭をお上げ下さい」

 笑いながら慶広が声をかけるも、父の季広は、しわがれた声で絞り出すように言うのだった。


「お前を『天才丸』と名づけたわしの目に狂いはなかった。わしはこれまで檜山ひやま屋形(安東氏)に仕えてきたが、お前は天下人の臣となったのだ」

 そのまま、まるで「神」か「仏」でも拝むかのように、手を合わせる父に、困惑しながらも、慶広は笑顔で父に手を差し出すのだった。


 こうして、慶広は、「天下人の臣」となる。

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