三. 姉の狂気と、運命の時
姉・文の元に向かった蠣崎慶広は。
当時、姉の文は、夫である南条広継の屋敷に住んでおり、それは大館から沿岸沿いに進んだ、勝山館(現在の上ノ国町)にあった。山に面した場所にある小さな館だった。
なお、この時、慶広は父の季広から密命を帯びていた。
(広継が怪しい。奴を探れ)
と。
最も、慶広自身、姉の夫、義理の兄でもある広継のことはよく知っていたが、そんなことをするような男ではないと思っていたから、彼を疑ってはいなかった。
文は、いつものように笑顔で弟を迎え入れてくれたが。
大広間で、夫の広継と共に、慶広に立ち合った文に対し。
慶広は、初手から勝負に出ていた。
饅頭を差し出したのだ。
そこには、血の跡が薄くついてあり、それは亡くなった明石元広の物だった。つまり、毒殺された証拠品を持ってきていたのと同時に、その手法が舜広の時と同じことを示すための理由もあった。
「そ、それは……」
姉の顔色が若干ながらも変わったことを、慶広は見逃さなかった。
「姉上ですね。饅頭を送ったのは」
「な、何を根拠に左様なことを? 大体、私が兄上を殺して何の得があるのですか?」
「そうだ、慶広。自らの肉親を疑うとは、乱心したか」
姉どころか、義理の兄にも責められる慶広だったが、当然、彼はひるまずに「自論」を切々と展開する。
当時、姉の子には娘しかいなかったが、その夫、婿に
かねてから、姉を疑っていた慶広は、姉の普段の言動から察して、彼女が「自分が女ゆえに家督が継げない」ことを悔しがっていることをよく知っていた。
そして、その代わりとして、自分の娘婿である基広に、家督を継がせたいと望んでいることも。
つまり、彼女にとって慶広は「ダシ」に過ぎず、本命は娘婿の基広であり、そのために邪魔な兄二人を毒殺したのだ、と。
切々と、そして堂々と自論を展開する、優秀な弟に、姉の文は、だんだんと冷や汗を掻いているように見えたが。
「いかがですか、姉上? 反論は?」
そう弟に、問われると、顔面蒼白となり、
「……」
無言になって、うつむいてしまう有り様。
反論が出来ないことは、すでに図星であることを認めていることに相違ない。そう察したのは、慶広と、同じく広継だった。
「誠なのか? 基広に左様なことをするために、そなたは」
震える声で、問いかける夫に対し、彼女は、鬼のような形相に豹変して、声を荒げた。
「そうです! 本来は、私が、私こそが蠣崎の
かねてから、姉が父に、「家督」のことで相談があると言っては、頻繁に大館に来たことを知っていた慶広の推論は当たっていた。
慶広は、冷静に事実を受け止めていたが、信じられない物を見る、と言った表情を浮かべたのは、広継の方だった。
「そなた、誠に左様なことを。お館様に対して、何と申し開きをすればよいのか……」
その表情が見る見るうちに、真っ青になっていくのがわかる。
慶広は、静かに短刀を差し出した。
そして、物静かながらも、鋭い眼光の奥に、確かな敵意を剥き出しにして、告げるのだった。
「姉上。父上は自害をお望みです」
「……」
さすがに、文は押し黙ってしまい、動けていなかった。
だが、その代わりに動いたのは、夫の方だった。
おもむろに家臣を呼んだ。
幾人かの家臣が、集まる中、慶広は、広継に促されるままに、再び父の言葉を継げるのだった。
「姉上。仮にも当主を目指したのでしたら、ここで潔くご自害下さい」
姉の顔色が恐怖の色に変わっていた。
そして。
床に転がっている短刀をゆっくりと抜いたが、抜いたまま固まって動けなくなってしまった。
仕方がない、と言った表情ながら、悲壮な決意の籠った瞳を向けた広継が、短刀を持った妻の手を、ごつごつした両手で握り、そのまま短刀を力任せに、妻の腹部に向けて、勢いよく突き刺していた。
「ひっ!」
短い悲鳴と共に、血塗れになり、見る見るうちに鮮血していく、黄色い小袖をまとった文の姿。
そこへ家臣たちが日本刀を抜いた。
一人の男が、後ろに回り、広継が、短く頷く。
閃光のような煌きと同時に、男が降り下ろした日本刀が、女の首を根元から斬って落としていた。
こうして、慶広の姉、文は凄惨な最期を迎えたが。
主の季広は、今回の一件に、彼女の夫の広継も関わっていると信じていた。慶広がいくら説明しても、彼は聞かなかった。
そのため、南条広継は、思いきった行動に出る。
広継は、自分の身の潔白を誓うため、自ら
「この水松が根付いたら身に悪心ない証、三年の後にも遺骸が腐っていなかったら潔白のあかしである」
と遺言。棺桶の中で青竹で呼吸しながら経文を読誦し、その声は三週間も続いたというが、その後、自害。3年後、その水松が成長し、逆さ水松になったという。
ともかく、蠣崎慶広はいつの間にか「後継者候補」になっていた。
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