二. 動き出す運命
同年、元服して蠣崎慶広と名乗った、天才丸。
そもそも、戦国時代にはよくこの「幼名」が使われたが、それでもこんな変わった名前をつける親は数少ない。
変り者の織田信長が長男の信忠に「奇妙丸」や次男の信雄に「
つまり、今で言うところの「キラキラネーム」にかなり近い存在が、この「天才丸」であった。
父の蠣崎季広は、その父である義広の代から抗争により苦戦していた、アイヌとの問題を天文十八年(1549年)にアイヌ首長のチコモタイン及びハシタインとの和睦によって解決し、道南地方(現在の渡島総合振興局、檜山振興局)の支配権を確立。
さらに、家臣団の編成やアイヌとの交易権の独占によって、蠣崎氏を強化したという。
その父が長男でも次男でもなく、三男に「天才丸」と名づけた。
それだけ、この少年に「光」を感じていた証拠だった。
実際、次男を養子に出したのに、三男の彼は養子に出されることなく、大館で父の元に留め置かれていた。
だが、当の天才丸、蠣崎慶広本人にとっては、所詮は三男坊に過ぎないから、自分が「家督」を継ぐなどと思いもしなかった。
ところが。
「お館様! 一大事にございます!」
家臣の一人が、大層慌てた様子で、大館の大広間に入って来た。
たまたま、その時、父から勉学の手ほどきを受けていた慶広は、驚嘆すべき事実を耳にすることになる。
「舜広様が、何者かによって毒殺されました!」
「何!」
「なんと……」
ありえない話だと思った。この蝦夷地には、他の地域のように「戦」によって、互いの権謀術数を尽くすような争いはほとんど存在しない。
真っ先に疑うべきは、長年、蠣崎氏と対立してきたアイヌたちだったし、和睦したとはいえ、父の季広は最初からアイヌを疑っていた。
だが、慶広だけは違っていた。
(まさか姉上が)
あの戦慄すべき、姉の「狂気」の一端。
あれは、もしかすると、本当に姉が密かに兄を殺す前兆だったのではないか、と疑念を抱いた。
だが、もちろん「証拠」がない。
実際、賢い慶広は、「事件現場を見たい」と言って、父に許可をもらい、兄の舜広の屋敷に出向いた。
そこに広がっていたのは、悲嘆に暮れて涙を流す舜広の妻である、河野
将来を嘱望されていた蠣崎舜広は、たったの23歳の若さで亡くなった。
「姉上。死因は?」
非常時にも関わらず、少年とは思えない冷静さを見せる慶広に対し、姉の文は「冷たい」と思ったのだろうか。
「天才丸、いや慶広。やめなさい。かような時に」
と、たしなめるが、少年は、
「かような時だからこそです。兄上を殺した相手を私は許さない」
強い瞳を宿した眼光を姉に向けた。
一瞬、ひるんだような目を逸らした文に代わり、その夫である広継が、泣き崩れている舜広の妻に聞こえないような小声で、
「毒入りの饅頭を食べたらしい」
と慶広に伝えた。
「その饅頭はどこから?」
なおも、突っ込もうとする慶広に、姉の文が、鋭い声で、
「やめなさい」
と突っ込んできた為、慶広は一旦は退いた。
だが、夜になり、通夜と葬式が無事に済んだ後、彼は密かに、信頼する家臣を呼んで、告げるのだった。
「姉上を探れ」
と。
最初から、彼は「姉」が犯人だと疑っていたのだ。洞察力、観察力に優れた少年は、あの姉こそが最も「やる」立場に相応しいと見ていた。動機まではわからなかったが。
ところが。
ひと月、ふた月経っても、一向に「証拠」は掴めなかった。その「饅頭」の出どころさえ掴み、それが姉から贈られた物なら、証拠になるが、その出所はわからず終い。
ついには、犯人捜索を父にもたしなめられ、慶広は犯人捜しを諦めてしまった。
だが、内心では、
(姉上。一体、何を考えておられるのですか)
依然として、苦手な姉のことを、猜疑心の籠る瞳で見守っていた。
翌永禄五年(1562年)夏、7月。
雪深い蝦夷地にもわずかながらも、短い夏が訪れる頃。
またも大館に急報が入る。
しかも。
「お館様!」
「何じゃ、騒々しい」
今度もまた、同じように父の元で勉強していた慶広の元へ、家臣が慌ただしく入ってきて、告げたのだ。
「元広様が、お亡くなりになりました!」
「なんと……」
「……」
再び、仰天する父に対し、慶広はもはや驚かなかった。
それどころか、彼の中で、疑念は確信に変わる。
賢い慶広は、事前に医者を手配しており、彼に長兄・舜広の身体を調べさせると、確かに毒によるものということがわかった。当時の医療では、まだ解剖は出来ないが、容体の急変によって、推定は出来る。
従って、今度も同じように医者に調べさせることにした。
結果は、慶広の想像通り、「毒」だった。
早速、彼は姉の元に向かう。
そして、そこで驚愕の真実を知らされることになるのだった。
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