リ ト イ ス の 瞳
私――『前』の私。
鏡の前で目を閉じ、手を合わせている。
「次に生まれてくる時は、可愛く可憐な『女の子顔』で生まれてきますように――愛想のいい、笑顔が似合う、愛される顔。童話に出て来るお姫様のような――って、欲張り過ぎか……でも、そうだな、せめて――〈彼〉が、好ましいと思ってくれる顔であれば……」
深夜。渋々参加した会社の慰労会からこっそり抜け出し、千鳥足で帰宅した赤ら顔の大人が、玄関の姿見に願掛けする姿は、滑稽以外の何ものでもない。
仕事終わりに飲む、きん、と冷えた生ビールは好きだ。でも、酒の席は嫌いだ。
日頃は何も言わない大人たちが、やたら正直になる。ためらいもなく、本心を口にする。今日も言われた――もう聞き飽きた。
『君の顔には、やる気が見えないんだよねぇ』と、嫌味たっぷりな上司。
『能天気な顔して、仕事に対する熱意なんて持ってないんだろ』と、見下す同僚。
笑顔が笑顔に見えず、黙っていれば不機嫌に見え、意欲をもって仕事に挑んでも、無関心だと思われる。地味で、わかりにくい、残念な顔。
仕事で手を抜いたことはない。人並みには努力もして、結果も出した。けれど、人から好ましいと認識されなければ、悲しい哉――何もやってないことと同じになるのだ。
この顔じゃなければ――でも、自分の顔は嫌いじゃない。かといって、好きにもなれないけれど。わかってる。私は誰にもなれない。鏡に映る顔――これが、私だ。
その夜の私は、願うことをやめなかった。来世が、もしもあるのなら、神様――なんて、本気で『叶えてくれ』と思った訳じゃない。自分への慰めみたいなものだった――
私――『今』の私。
渡り廊下の壁に掛けられた大きな姿見の前に座っている。
事件から数日が経った。今日は大晦日――明日は新年を迎える。平時なら、年明けからの祭日は、わりとのんびりと過ごせるが、今回はそういう訳にはいかない。
体調は万全、とは言えないが、明日こそはヴィルランファ邸に顔を出すつもりだ。となれば、シメオンに会わない訳にはいかない。お叱りは覚悟の上だが、やはり気が重い。
姿見には、首から下をシーツで覆った私が映っている。髪は乱れ、長さもばらばらだ。
「せっかくここまで伸ばされていたのに……」
ガルさんは、わずかに残る長い黒髪に、名残惜しそうに
「貴族の慣習に
「そうですが……」
「着飾ることも、華やかな社交の場に呼ばれる事もない。日頃の手入れも大変だし、短くしたいと前から思ってたんだ。今まで踏ん切りがつかずにいたけど――いいきっかけになったよ」
ほとんど寝たきりで、自分の顔をまじまじと鏡で見ることもないまま、記憶が戻って初めて、『今』の自分と対面した。来世という機会を与えくれた神様は果たして、『前』の願いを聞き届けてくれただろうか――?
鏡に映る顔は、夢に描いた『愛想のいい、笑顔が似合う、愛される顔』――には遠く及ばず、せめてもと願った顔なのかもわからない。もう『前』の顔は思い出せないが、同系統の顔だという自覚はあった。
期待は裏切られた。絶望した。落胆は大きい。私のなかの『前』の私が、がっくりと肩を落とし、諦めの笑いと共に自虐した。
……フフフフフ、私の魂って、この系統の顔しか選べないんだぁ――――あ、でも……
たったひとつだけ。自分の顔に惹かれる部分を見つけた。目だ――瞳孔から放射状に、橙、緑、青と、虹彩の色が分かれた独特な瞳――〈リトイスの瞳〉。
瞳の他は平々凡々。ややきつい容姿の『今』の私も、唯一、気に入っている部分だ。宝玉のような美しさを持つ〈リトイスの瞳〉は、私を明るい世界に導いてくれた。
そして――波乱のなかに放り込んだ元凶でもある。
顎の高さで髪を切り揃えると、見た目はすっきりさっぱりで、頭も、心も軽い。ガルさんは鏡のなかの私を、じっと見つめる。
「……姫様、おかわいそうに……」と、大粒の涙がこぼれ落ちるのが見えて、ぎょっとした。
「え……? な、なんで泣くんだ? 前からこうしたかったんだよ? ほんとにほんとだって。……いや、気に病んでなんかないよ」
「良いのです! そんな強がりなど……ガルには、わかっていますから」と、指先で涙を拭っている。私が無理に笑っているように見えるのだろう。はあ、と、ため息をつく。
「弱ったなぁ。いいと思うんだけど……。似合ってないのかな。……?」
いつからそこにいたのか、遠巻きに見ていたケスと鏡のなかで目が合った。彼は慌てるように、さっと視線をそらした。
「似合わないか?」と、首を回し、直接ケスの顔を見た。
「えっ。い、いいえ、似合ってます、とても――」
「そう……? ほんとに……?」
「ケス、こちらが終わったら、手合わせに付き合ってやる。稽古場で待っていろ」
ガルさんの声に「はい」と返し、ケスは稽古場の方に向かっていった。
……もうちょっと、髪型の感想が聞きたかったのに――言葉通りに受け取ってもいいの? 本当に似合ってる……? ――まあ、いいか。この方が、前よりずっと、明るい顔に見える――誰の目に、どう見えてもいい、せめて――ケスの目に、そう映ってくれれば……。
私を見つめ返す〈リトイスの瞳〉が、「自信を持て」と、励ましていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。