糸 を 引 く 影

 今、三人の、屈強な男たちに囲まれている――俺は短剣を握り、対峙する。

 男たちはじりじりと迫る。一人が我先にと飛び出すが、脇が甘い。突き出された丸木の長棒をかわし、足を引っ掛け、刃先で背中を突く。男はつんのめったまま、たどたどと俺から離れていく。

 短剣を奪おうと伸ばされた別の男の手を短剣の背で払い、がら空きの胸に刃先を突き立て、腕を掴んで強く引き、男を地面に転がした。残った一人は俺を捕える好機を逃し、やぶれかぶれの様子で飛びかかってきた。俺はわざと男の懐に入り込み、その腹に短剣を滑らせた。

「今ので三人とも死んでるぞ! 確保対象に気を取られ過ぎだ!」

 さっきから、同じ様な場面の繰り返しだ。始めは意気揚々としていた三人も、今は息が上がり、額から玉のような汗を滴らせている。

 ここはヴィルランファ邸の敷地内にある警備隊の稽古場――俺のもう一つの職場。握る短剣は、もちろん模擬だ。

 目下カナンは、ガルさんの厳しい監視下に置かれ、未だベッドの上だ。

 床払いも済まないうちから『仕事に戻る』と言い出した。ガルさんが――もちろん俺も、それを許すはずがない。

 事件の捜査状況を聞くだけのつもりでここに顔を出したが、今日、俺は非番だと言うのに、警備隊長の一声で稽古をつけることになってしまった。

 警備隊は基本、二人以上で行動する。来年から入隊する新人三人を相手に、俺は確保対象役を引き受けていた。

「取り押さえることも大事だが、お互いの身を――命を守ることも忘れるな。その為の三人だ。いいか、息を合わせろ!」

 気合が効いたのか、荒く、まとまりのなかった動きが、徐々に良くなり始めた。と、一人が皆に目配せし、俺の背中へ回った。俺が振り返ると同時に、もう一人が右手の短剣を棒で叩き落とし、さらに足を払う。よろけた俺を、背後から素早く羽交い締めにし、腕からすり抜ける間も与えず、残りの一人が仕上げとばかりに覆いかぶさり、手際よく後ろ手に手錠を掛けた。

「よし、いいぞ。飲み込みが早いな。今の感覚、忘れるなよ」

 拘束を解かれ、俺が立ち上がると、三人は崩れるように倒れ込んだ。荒い息で稽古の礼を言われたが、声になっていない。稽古場の隅で見学していた警備隊長が大きく拍手をし、手招きをした。

「あれだけ動いて、涼しい顔だな。どうだ、ここに移って来ないか?」

「いえ、私は〈守護者〉業の方がしょうに合っているので」と、やんわり断ると、「部下からの評判もいい。君ならすぐに出世できるぞ」と、返ってきた。

 ここへ顔を出す何回かに一回は、こんな風に勧誘を受ける。社交辞令だと思い、軽く受け流していたが――

「今は臨時教官としての報酬だが、ここに正式に入ってくれれば……」と、上着の懐から紙を取り出し、俺に差し出した。広げてみると、給料や手当の内訳がこと細かく書いてある。彼はどうやら本気だったようで、俺を驚かせた。

 人種にこだわらないルドフィスでさえ、警備隊に獣人族が入隊することは稀だ。声を掛けて頂くことは、とても名誉なことだ。それでも俺は「いいえ」と首を振る。

「有り難いお話ですが……姫様の警護を、他の誰かに任せる訳にはいかないので」

 そう答えると、隊長は肩をすくめ、「残念だな」と言って、毎回この話は結ばれる。

「……で、聞きたいというのは、カナン殿の一件?」

「はい。今、どんな状況なのかと……」

「直後に数人を拘束したんだが、これがまた……口の軽いやつらでな。あっさりと白状した。やつらは即席で集まっただ。溜まり場に、たまたま居合わせた連中だ。ちらつかされた高額な報酬に目が眩んで――馬鹿な奴らだよ。自分たちの標的が王族の橇だと知ったのは当日だそうだ。橇馬を見て我に返り、逃げ出した奴もいたらしい」

 森が占めるルドフィス――ここにも、かつては大きな街があった。

 一日も掛からず王都へ移動できる好立地にありながら、〈外獣〉が頻繁に出現するようになったことで、区外に分散移転してしまった。

「ルドフィスは、昔の名残のような、小さな集落が点々とある。畜産や工房を、細々とやってる所が殆どだ。だが――なかには吹き溜まりのような集落もある。我々が巡回し、悪事を算段する前に散らしているが、しばらくすると、何食わぬ顔で戻ってくる。カナン殿を襲ったのは、この手のやつらだ。取り逃がした連中も逮捕できたんだが、主犯だけがな……手詰まりだ。どうやら――」

 警備隊長は渋い顔で、ちらりと俺に目をやった。その様子に、小さくため息をついた。

「そうか……タルバが噛みついた男が主犯か……」

 あの夜のタルバの行動は、すでに報告済みだ。いつもは陽気なタルバが、止める間もなく、殺意を持って男に牙を剥いた。主人の血の匂いを漂わせる男に、怒りを抑えなかった。

 同じ主人に仕えているせいか、こういうところは俺とよく似ている。

「日が昇ってから森を捜索したが、二つの血痕があった。ひとつはカナン殿。もうひとつは男のものだな。かなりの出血量で……生きていたとして、あれでは一人で動けんはずだ。だが、連中は手を貸していない。別の協力者がいる可能性が高いな」

「別の……」……やはり、こいつらでしまい、という訳にはいかないか。

「脅すつもりで刃物を出したんだろうが、勢い余ったんだろう。カナン殿も抵抗したというし……いや、命があって、本当に良かった」

 警備隊には、やつらの真の目的は伝えていない。あくまでも誘拐事件で通している。

 主犯が消え、誰の依頼か探り様がなくなったことに苛立つ反面、どこか、ほっともしている。この一件が〈本家〉の依頼だったとして、表沙汰になれば、間違いなく波乱を呼ぶ。できることなら、カナンをわずらわせたくない。

「それにしても……カナン殿が、あのような行動に出るとは――」

「姫様は、王族の方々が被害に遭われることを避けたかったようで……」

 隊長は小首を傾げながら、短く生えた顎髭を、指の背で上下になぞり出した。

「……そうかなぁ? あれは誰かに……義理立てしたんじゃないかな?」

「……はい。スビノザ様に迷惑を掛けたくなかったと――姫様からそう聞いています」

「あ、いや。そうではなくて。カナン殿を守るのことを許されているのは――命を預けられるのは『君だけ』ということだよ」

「……? もちろんです。私は姫様の〈守護者〉ですから」

 俺の答えに、警備隊長は何故か、困ったような笑みを浮かべた。


 稽古場をあとにし、犬舎へと足を進めながら、悶々とする。

 ……カナンに殺意を持つ輩は、ここ数年現れなかった。今になって――何故だ? 

 『ヘヴンリ』という重い名前を背負いながら、〈想像師〉の使命を果たすことに懸命なカナン。そんな彼女の努力を踏みにじり、存在すべてを否定する人間がいる。

 計画はずさんで、横の繋がりが弱く、あっさりと仲間を暴露するような連中。相反するように、自分たちの存在を隠し、痕跡を消そうとする何者か――二つは同じものなのか?

 ……一体、どこに繋がっている? やはり……〈本家〉か? それとも何か別の……?

 捕えておけば、と、今更思う。けれど、カナンの元に案内するはずの〈鳩〉が、目の前で形を崩して消えた瞬間に、そんな余裕は消し飛んだ。それに――タルバがやったか、俺がやるかの違いだけで、今と結果は変わらないだろう。

 ふと、警備隊長の謎かけのような言葉を思い出した。あれは何だったのか――その意味がやっとわかった。一瞬で顔が熱くなり、足を止めた。

 ……本当に……? カナンはそんな風に思っているのか? 俺に命を預けると――もしそうなら――ああ、それなのに! カナンをあんな目に遭わせてしまった……。

 悔しさが蘇る。あんなへまは二度とするものか! カナンは俺が守る――彼女を苦しめる者は、どこの誰であろうと許さない。


 たとえ、それが、恩義あるスピノザ様の――血を分けた者であったとしても。

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