目 覚 め
目を開けると、世界は光に包まれていた。真っ白な光――なんて、きれいなんだろう。
やっぱり私、死んだんだね。ここは……天国?
それとも……今、まさに、召されていく途中なのかな?
――まぶしい!
あまりの光の強さに、瞼をぎゅっと閉じた。そして、今度はゆっくりと目を開けた。光に慣れてくると、梁のある白い天井が見えてきた。ここは――
見慣れた机。その上に置かれたお気に入りの犬の置物。天井まで本が詰め込まれた本棚。陽の低い冬場でも部屋を明るく見せる漆喰壁と、外光がたっぷり取り込めるよう幾つも並ぶ長方形の小窓――まぶしいのは、雪の照り返しのせいだ。
そして、暖炉にくべた〈改良型複製石炭〉が、ぱちぱちと爆ぜて燃えている。ベッドに横たわる体には、肌触りの良い、綿入りの毛布が掛けられていた。
「あったかい…………私、生きてるんだ……」
ここは、私の部屋だ――そう、現世の――『今』の私の。
死に際の脳が、慰めに見せた
何の因果か――私の魂は、分かつ壁を破り、世界を――次元の境界を超えていた。
瓶のなかで混ざり合った水と油のように、『前』と『今』――区別がつかないままの記憶と思惟が、ぐるぐると頭のなかで渦を巻く。
時間が経てば、似て異なるふたつは、はっきりと分かれてゆくのだろう――
あの日は――非番だというのに、ヴィルランファ邸から、急遽、呼び出しが掛かった。それに応じ、私とケスはそれぞれの犬に乗り、邸宅へと向かった。
六歳年上のケスは、私の〈守護者〉――身辺警護を任されている獣人だ。獣人、といっても普段の見た目は人間とさほど変わらないが、その身体能力は人間を遥かに凌駕している。皆、もれなく背が高く、筋肉質で無駄な肉がない。彼の場合、武術の腕前も群を抜いている。
邸宅に到着するなり、私たちは、シメオン・ヴィルランファの執務室に通された。
シメオンは邸宅の
「……お茶会……? 本日……って、今からですか……?」
「今年の新年会はルドフィスで行われる。僕がここを任されて初めてのことだ。それで――兄上たちが、ルドフィスに来ているのは知ってるよね? 年末年始の催事で忙しくなる前に、湖の別邸でお茶会を、ということになって。実はね、兄上たちから〈
「〈装甲傀儡〉の……? 待ってください。下準備もないのに、そんな――」
「別邸に行ってみたいって、言ってたよね?」
湖の小島にある白亜の別邸。橋はなく、夏は舟で、冬は氷上を橇で渡る。
雪の季節は特に美しい佇まいだと聞かされ、確かにそうは言ったが、それはあくまで見学という意味で――王族とお茶会なんて、勘弁して欲しい。
「君は王室付きの〈想像師〉で、現〈装甲傀儡〉は、君が国防のために『想像』した〈想像物〉。君が一番適任だ。下準備なんて、必要ないよね?」
決して誤字ではない。創造ではなく――『想像』。
「これは正式な仕事の依頼だ。是が非でも――受けてもらうよ、カナン」
王族男子は皆、
王族直系にしか着用を許されない、深い赤紫色の羽織風の上着は、艶やかな絹地で仕立てられ、その詰襟や折り返された幅広の袖口には、金糸で柊の刺繍が刺してある。王族の風格を身に
「……わかりました。お引き受け致します」
心のなかで、大きなため息をついた。〈想像師〉の仕事は好きだが、もれなくおまけに付いてくる、上との『付き合い』は本当に苦手だ。六年経った今でも尻込みしてしまう。
私の気持ちを知ってか知らずか、シメオンは何かにつけてそういう席に呼びたがる。どこの世界でも、『仕事だけしていれば良い』――という訳にはいかないのだ。
承諾した途端、王族の風格をあっさりと取り払い、彼は身を乗り出すように立ち上がった。
「来てくれるんだね。良かった! 兄上たちは婚約者と同伴するんだ。それなら僕の同伴はカナンだって決めてたんだよ。今日の――君の二十歳の誕生日を祝ってあげたくて、いろいろ準備もしてあるんだ。僕としてはこっちの方が最優先だから――」
「……は?」
破顔したシメオンが区切りなく話す予想外の内容に、うっかり、ぶっきらぼうに返すと、彼の後ろにいる付き人の眉がぴくりと上がった。
「あの……お話の趣旨が変わっていませんか? 何故そこで私の誕生日の話が出るんです? それに、同伴って……殿下の口から、異性相手にそのような言い回しは……勘違いを招くとあれほど――」と、私の抗議に、シメオンは拗ねたような顔を見せる。
「だって。カナン、いつも誕生会に呼んでくれないじゃない。理由をつけて呼び出さないと、僕の所に遊びにも来てくれないし……」
遊びにって……貴方はそんな気軽な立場では――そもそも、人を招いての誕生会なんて、やったことありませんから――という、喉まで出かかった更なる抗議を、ぐっと飲み込んだ。
……手の込んだ誘い方をする。これじゃあ、逃げられない。
「とにかく。今から出発するから。よろしくね」
上機嫌で執務室を出るシメオンを見送り、私とケスも玄関広間へと向かう。廊下を歩きながら、「……めんどくさい」と、ぼやきが出た。
「姫様、心の声が洩れています」と、声を抑えてケスがたしなめる。私も小声で返した。
「人事だと思ってるだろう? 王族の――それも次期国王同席のお茶会だぞ。美味しいお茶やお菓子が用意されても、気軽に手は出せないし、食べる頃合いが掴めないし。でも、緊張してるから、食べても味なんかわからないだろうし、なのに味の感想を聞かれるだろうし――」
「え、めんどくさいって……そこですか」
ちらりと隣のケスに目をやった。何が壷だったのか、口元を手の甲で隠し、声は押さえているが、笑いを堪えきれず、肩を震わせている。ケスとのこういうやり取りは嫌いじゃない。
この数時間後――自分が生死の境を
玄関広間へと続く階段を降りる。下では、見慣れぬ男が馭者や警備隊長と話し込んでいる。
目が合った途端、男は表情に不快を浮かべ、その目は私の後ろにいるケスにも向いた。その様子に、今日はいつものようにはいかないことを悟った。
「獣人を
……不似合いって、誰の目を気にして……見てるのは森の動物か鳥ぐらいじゃないか……。
喉まで出かかった反論を、ここでも、ぐっと飲み込んだ。
この国に、愛玩を目的とした犬は存在しない。見た目はオオカミそのものだが、大きさはウシやウマと変わらない。移動手段として利用され、特に積雪のある森林では、足腰が強く、小回りの効く犬が重宝される。
生存競争の末に肉を諦めたのか、鋭い牙に似合わず、主食は果実や木の実といった植物性のものだ。その特性が人間との距離を縮めた。飼いやすく、従順で頭も良い彼らは、必要不可欠な存在となった。フィンルアルト国内の野生の犬は随分と昔に姿を消し、家畜化された大型種だけが残っている。
一方、橇馬は――ウマにヤギを付け加えたかの様な姿の草食動物。足首は太く、蹄も大きい。長毛で、頭頂には二本の長い角がある。持久力があり、名前通りの橇引きや乗馬が主だが、畜産にも重宝されている。足の速さは犬に劣るが、移動手段としては不足がない。
王室御用達の橇馬は、他のそれとは比べ物にならないほどに美しい。巻貝のような天を指す純白の角と、艶やかな淡い蜜色の毛――長年の品種改良の成果だ。王族やその関係者の移動の際には、常にこの橇馬が利用される。
……このお茶会は『王都』の仕切りか。第一王子が御見えなら、当たり前か……。
貴族や、王族に仕える人間のなかには、未だに獣人族を蔑視する者がいる。そして私自身も、この男のような人種から見れば、『大いに問題あり』の人間なのだ。
……無理に押し切れば、火の粉は私を飛び越えて、『ヘヴンリ』の名前に降り掛かる。議論するのは時間の無駄。こちらが折れたほうが得策だ……。
「……わかりました。ご指示に従います」
男は満足そうに頷き、仕事に戻っていった。様子を伺うケスに向き直り、小声で打診する。
「ケス、ごめん……。ここで待っててくれないか? 夕方過ぎには、殿下から解放してもらえるだろうし――」
けれどもケスは、引いてはくれない。
「いえ。距離をとって、ロベと後方からついていきます。橇の列には加わらず、別邸のなかにも入りません。ですから――」
「大丈夫だよ、君がいなくても。カナンは僕の橇に乗ってもらう。滅多な事はないよ」
いつの間にか、私の後ろに立っていたシメオンが、話に割って入ってきた。
「誰が乗る橇か、橇馬を見れば一目瞭然だ。重罪になると知ってるのに、わざわざ僕らの橇を襲う愚か者なんていないよ。ね?」
――この時は、私もそう思っていた――
シメオンは私の両肩に手を置くと、自分の方に引き寄せた。私を見るケスの顔が、少し曇ったように見えた。
「四六時中、君に見張られてたら、カナンだって息が詰まるよ。たまには女の子らしく、そう、今日ぐらいは、自由にさせてあげないと」
息が詰まる――そんな事、一度も思った事はない。けれどもケスは? 彼こそ四六時中、私と一緒にいて、本当はどう思っているのだろう――そんな疑問が頭を
「……私はひとりでも平気だよ。王都からの警備隊も同行するだろうし――」
警備隊は警察のような役割を担っている。その地区ごとで統制されているが、第一王子の警護に関しては、王都警備隊が派遣される。
「…………わかりました。ここで、姫様を待つ事にします」
シメオンの言葉を気にしたのか、先ほどとは打って変わって、拍子抜けするくらい、ケスはあっさりと引き下がった。
「あ……う、うん。すまない。タルバたちと待ってて」
一礼すると、踵を返し、屋敷の使用人に案内されていく。振り向くこともせず去っていくケスの背中を見送りながら、胸の奥に寂しさを憶えた。
……待ってろ、と言ったのは自分なのに。我儘だな、私は。
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