第三話 A snowy sound takes you, tear, and courage.

 年が明け、高校受験はもう目の前に迫っていた。

 晶子しょうこ涼子りょうこは違う高校への進学を選んだ。それは極当たり前の選択で、涼子は地元の公立高、晶子は陸上部の強い学校を選んだ、というだけのことだった。

「いいわねー、涼子は合格確実でー」

 帰宅途中、晶子がぼやいた。部活動は夏の大会で引退。バレーボール部の涼子は地区大会三位で負け、陸上部の晶子は県大会の四位にまで行ったが敗退し、中学生活の部活動は終わりを告げた。

 晶子達が通う中学校はそもそもが陸上強豪校ではない。晶子が狙っている陸上強豪校からのスカウトなど来る訳はないし、オーディションに受かる自信もない。自己推薦できるほどの成績も残してはいない。県大会四位程度ではスポーツ推薦は取れないのだ。それを解っていた晶子は夏が終わってからというもの、勉強しかしていなかった。

「それでも油断できないけどね」

「涼子は英語苦手だしねぇ」

 三人の中でひと際大人びた少女、夕香ゆうかも言う。色素の薄い癖っ毛が見事なウェーブヘアになっているせいで、高校生にも女子大生にも見られてしまうほど大人びている上に、超がつくほどの美人だ。生まれながらに童顔である晶子と涼子は二人で口を揃えて夕香の大人っぽい顔立ちやスタイルなどを羨ましがっている。晶子も涼子も、夕香ほどの大人びた姿や見事なまでのウェーブヘアは持ち合わせてはいなかったが、髪の色が明るいため、地毛であることの証明が記されている生徒手帳をいつでも取り出せるスカートのポケットにしまってある。

 夕香は部活動には所属していなかったため、こうして一緒に下校できるようになったのは晶子と涼子が部活動を引退してからだった。

「うん……」

「夕香も楽勝なんでしょー。はぁぁぁぁ、ほんと憂鬱だわ」

「んじゃさ、今度息抜きにライブ行こう、知り合いのバンドが出るんだ」

「夕香の友達?」

「そ。隣のさ、北中と前中の奴なんだけど」

 すぐ隣の学区のきた中学と前谷まえや中学の一部の男子は良く涼子達のみなみ中学と三つ巴の対立をしている、と聞いたことがあった。それはもちろん男子生徒だけでの話なのだが、夕香に北中学と前谷中学の友達がいるとは知らなかった。

「へぇ。女の子バンド?」

「違うよ。男。何度かライブは見たことあってね。ついこの前のライヴん時に打上げで友達になったの」

「えぇ!だ、だってうちの男子と前中と北中の男子って仲悪いんでしょ?」

 よく縄張り争いの喧嘩をしていて、北中の誰それがヤバイ、だとか前中の誰それは強い、だとか、そういった噂が一部の男子生徒の中で飛び交っているという話を響一きょういちに聞いたことがある。

「別にバンドやってるからってツッパッてる訳じゃないってば」

 苦笑して夕香は言う。確かに夕香の言う通りかもしれないが、どうにも晶子にはロックバンドと不良という言葉が親密な繋がりを持っているように思えてしまう。偏見なのかもしれないが。

「もしかしてこないだ言ってた谷崎たにざき君?」

 涼子が口を挟む。涼子は何度も夕香と一緒にライヴハウスに足を運んでいたようなので知っているのだろう。

「そうそう。すっごいバカだけどすっごい面白くてイイヤツらでさ。二人とも前川まえかわ高校だから涼子は春から学校一緒になるよ」

 二人。谷崎君とやらともう一人いるということか。夕香のアグレッシブさには脱帽だ。

「へぇ、そうなんだね。元々私は行くつもりなんだけど、お姉ちゃんどうする?」

「いつなの?」

「今週の土曜日だけど」

 夕香が答える。

「あー、あたしはちょっと用事が……」

 つい口ごもってしまう。もしも涼子が響一を想っていたのだとしても、今はもう涼子は響一を想っていない、もしくは諦めたのだろうということはこの一年の間で何となく判った気がする。きっと晶子の思い過ごしか、そうでなければ考えすぎ、つまりは杞憂だったのだ。

「そっかぁ、じゃあ仕方ないわね」

「だねぇ」

「あ!」

「何よ」

 急に涼子が大きな声を出したので、晶子は驚いたが、夕香がすぐに口を開いた。

「忘れ物!先に帰ってて」

 こちらの言葉も聞かず、涼子はだ、っと走っていってしまった。

「……んー」

 涼子を見送って、夕香が顎に手を当てる。

「どしたの?」

 スーパーマーケットで今晩のおかずに悩む主婦のようなポーズの夕香に晶子は声をかける。

「なぁんか涼子、時々おかしいのよねぇ」

 どきり、と心拍数が跳ね上がる。

「お、おかしいって何が?」

「晶子の方が判ってると思ってたんだけど……。そっかぁ晶子も判んないかぁ」

 もしも晶子が考えていることで涼子がおかしいのだとしたら。

「どのくらい前からおかしかったの?」

「去年。あー、じゃない一昨年の大晦日にライブ行ったんだけどさ、あたしがそれを感じ始めたのはその頃から」

「!」

 嘘だ。そう思いたかった。寄りにも寄って、二人きりで響一と初めて出かけた日だなんて。

「……あたしの出る幕じゃなさそうね」

 晶子の表情を読み取ってか、夕香は苦笑した。

「あのさ、もしもどうにもなんなくなったら言いなさいよ。その時までは訊かないから」

 そう夕香は続けると、歩き出した。

「一つだけ訊いてもいい?」

 夕香は晶子よりも涼子との付き合いの方が深い。それを見越して。

「何?」

「夕香って、涼子の好きな人、知ってるの?」

「晶子……。そういうのは、ルール違反よ」

 そう夕香が答えることによって。

「……ごめん」

「あたしもね、そればっかりは仕方ない、って思うけど」

 軽く溜息をつきながら夕香は言った。

「……」

「晶子だって涼子だって、どうにもできない問題でしょ、こればっかりは」

「でも」

 歩き出しながら夕香は言う。きっと涼子は幾度となく夕香にそのことを相談したのだろう。そして涼子にも同じ答えを夕香は言ったのだろう。だから涼子は自分の思った道を歩き始めたのかもしれない。いずれは違う道だと先に判っていたのは涼子だったのだ。

「でももへったくれもないわよ。あの子だって判ってるんでしょ。だから晶子に何も言わないんじゃないの?」

 夕香は晶子の思いを肯定する言葉を口にした。涼子の好きな人は、晶子と同じ人だった。けれど、涼子は身を退いた。いや身を退こうと努力をしている。

「でも、どうしたらいいか判んないよ」

 涼子の想いに気付いてしまったら。もうどうしたら良いかなど判るはずもない。

「やれることは一つしかないわよ」

 ぽん、と肩に手を置かれる。そして心なしか笑顔になり、夕香はそう言った。

「一つ?」

「あんたの思う通りにしなくちゃ、ね」

 ウィンクを一つする。同い年でありながら夕香は大人びている。考え方も振舞いも。涼子が頼りにするのも判る気がした。

「思う、通りに?」

「こんなのどっちの味方とかじゃないし、ましてやどっちが正しい、どっちが間違ってる、なんていう問題でもないんだもん」

「……」

 そう判ってはいても、簡単に割り切れるものではない。知らなければ良かった、と晶子は後悔した。知らなければ、いっそのこと、傷つけたことすら知らずにいられれば良かったのに、と。

「涼子を裏切りたくないなら、涼子の気持ちに応えるなら、そうするしかないでしょ」

「うん……」

 力なく、晶子は頷いた。

 それも本当は無理だと気付いていた。涼子の口から伝えられなかったという口実だけを頼りに、晶子は響一が好きで、涼子は響一を何とも思っていない、と、そう思い込もうとしていた。

 双子の妹だ。

 姉である自分が気付いていないはずはなかった。目を逸らし続けた。自分のことだけを考えて、涼子が傷付かない方が良いと、涼子の気持ちまでをも勝手にでっち上げて、自分自身をも納得させようとした。

 初めからこうなることをどこかで判っていたくせに。

(最低だ……)



 昼から雪が降った。明日は響一と二人で出かけるというのに、この天気のように気分も晴れない。勉強も手につかないし、響一に借りた音楽を聴く気にもなれない。涼子の部屋から微かにLet it beが聞こえてくる。雨が降ると涼子はこの曲を良くかける。晶子は勉強机の椅子からベッドに身体を移し、寝転んだ。コンコン、と部屋がノックされる。

「お姉ちゃんいる?」

「あ、うん」

 がちゃ、とドアが開き、涼子が顔を出す。

「明日どっか出かけるんだよね?」

「うん。ちょっとコンサートにね」

「あ、そか、響ちゃんとだね」

 きゃ、とでも言いたげに涼子ははしゃいだ。そんな涼子を見れば見るほど気分も沈んでくる。言った方が、良いのだろうか。

「うん、まぁ、そうなんだけど……」

「喧嘩でもしたの?」

 晶子の表情を見て涼子は怪訝な顔をする。

「ううん。してないよ」

「じゃあもっと確りしなきゃ。響ちゃんに変に思われちゃうよ」

 くすくす、と涼子は笑う。

(どうして笑えるの?何で、あたしにそんな笑顔を向けられるの?)

 好きなくせに。

 自分と同じ人を好きになってしまったくせに。

 そこから何とかしてドロップアウトしようとしているくせに。

 辛いくせに。

 泣き出したいくせに。

 どうしてそう、柔らかな、優しい笑顔を向けられるのだろう。

「そ、そうだね!うん。明るいのが取柄だからね!お姉ちゃんは!」

 無理矢理、口角を釣り上げて、見事に失敗した。目に自然と涙がたまってくる。泣き出してはいけないのに。絶対に涼子に涙を見せてはいけなかったのに。

「お姉ちゃん、大丈夫。大丈夫だから、ね」

(違う)

 不安なのはあたしじゃない。涼子の方でしょう、と言い出したかった。

(そうじゃないよ)

「響ちゃんも絶対お姉ちゃんのこと好きなんだから」

(え……)

 そうか。

 そこで判ってしまった。

 晶子一人だけの思いではない。

 涼子一人だけの思いではない。

 そこに響一の意思が確かにあるのだ。

 涼子はそれをもう、知ってしまっているのかもしれない。

 口から出た慰めだけの言葉ではなく、響一の好きな相手が晶子だとは限らないとしても、涼子に気持ちを向けてはもらえないことを、もしかしたら涼子はもう知ってしまっているのかもしれない。

「うん。ごめんね」

 吹っ切れた、というにはまだ早いけれど。

「顔洗ってくる。こんな顔響一には絶対見せられないね」

「そぉだよぉ。ホントにもう」

 がし、と晶子の頬を両手で挟むようにして、また涼子は笑った。



 日曜日―

 てるてる坊主が効いた日曜日。

「しっかりね。ちゃんとお姉ちゃんが響ちゃんのこと想ってればきっと大丈夫だよ」

 満面の笑顔で晶子を送り出す涼子。

 何の迷いもない顔で。

(あんたがその笑顔を見せるんだったら、あたしもちゃんと応えなくちゃね……。そういうことだよね、夕香)

「うん。なんとか頑張ってみるよ」

 そう言った晶子に涼子は軽く握った拳を差し出した。晶子はその拳に軽く自分の拳をぶつけると頷いた。

「私から見ればね、全然大丈夫。心配することなんて何もないよ」

 そう言った涼子の笑顔が一瞬だけ曇る。

 しかし――

(それを気にして退いたら、それこそあんたに失礼だもん)

 心苦しさはあるけれど。

 妹の精一杯の応援の言葉を胸に晶子は家を出た。


 第三話 A snowy sound takes you, tear, and courage. 終り

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