第二話 A painful feeling is merely kept in mind.
目覚まし時計を止めて起きてみると、なんだか静かなことに気が付いた。家の中がとか、外がとか、そういうことではなく、しん、と静まり返っているような気がした。
「うえー」
思わず呻いてしまう。道理で独特の静けさがあった訳だ、と晶子は静けさの正体を認めた。学校は昨日で二学期が終了し、今日から冬休みだった。もうすぐ三年生になる。自由に遊べるのもこの冬休みが最後だろう。そんな冬休みの初日から雪が降ってしまっている。気が重くなってくる。
「お姉ちゃん雪ー」
ドア越しに
「うん。嫌だねぇー」
ぐん、と伸びをして大きな欠伸を一つ。
「そうかなぁ。綺麗だよ。……寒いけどね」
部屋に入ってくる様子のない涼子を訝しく思い、晶子はドアを開けた。
「あれ?」
涼子は制服姿だった。
「部活ー。今日は一日体育館使えるんだ」
「そっか、他の部活も明日から、ってとこ、多いからね」
「うん。バスケ部の方が部員多いからね。外のコートはこの天気じゃ使えないし」
「そっかぁ、今年は県大行けるといいねー」
バレーボール部での涼子のポジションはセッターだ。何人かセッターはいるらしいがボール捌きが一番巧いことからバレーボール部の中でも最も背が低い涼子がレギュラーに選抜されている。セッターというポジションは勿論背が高いにこしたことはないのだろうけれど、それほど身長に左右されないポジションらしい。確か全日本女子バレーボールのチームに選抜されたセッターも背は低かった。
基本的なところでマイペースな涼子だが、スポーツのセンスはある。それがどうして何もないところで転んだりできるのかは神のみぞ知る、というところだろう。
「うん、じゃあ行ってくるね」
「いってらっしゃーい。雪なんだから気をつけるのよ」
「うん」
さて、と階段を下りる涼子を見送って晶子は思う。部活動に明け暮れる生活は、勿論好きでほぼ毎日がそんな生活のサイクルだ。しかしいざポッカリと時間が空いてしまうと、何をして良いか迷ってしまう。ぶるり、と身が震えた。
「うー、寒い寒い」
晶子は部屋に戻り、ベッドの上に腰掛ける。
「あ」
この間
クラシック音楽は特に好きでも嫌いでもない。そういった音楽は、聴く気になれなければとことん聴かないものだ。それにただでさえ部活動中心の毎日を送っていればやはり遠ざけてしまう。
「ま、たまにはいっか」
聴き終わったら響一に電話をしてみよう、と思いながら、晶子はCDをコンポに飲み込ませた。
昼を過ぎたころに雪は降り止んだ。晶子は響一に借りたクラシックをずっとリピートして、ベッドに寝転びながら本を読んでいた。元々本を読むのは好きなのだが、部活に明け暮れているせいで中々読む時間がない。こうした長い休みなどがあれば、晶子は良く読書をする。
両親はどちらも働きに出ているので今は晶子が一人家にいるだけだ。丁度区切りの良いところまで本を読み進めると、晶子はベッドから降り、伸びをした。
「……」
ふと響一の顔を思い出す。
確か吹奏楽部も陸上部と同じく、今日だけは休みであとは三十日までビッシリと練習が入っているはずだ。
「電話、してみようかな……」
晶子と涼子が中学生になってすぐに各々の部屋に電話を置いてもらえるようになった。母親の気遣いだろう。ただそのおかげで少しだけ月の小遣いは減ったが、友達や響一と好きな時に自室で電話をできるようになったのは嬉しかった。
響一からは良く電話がかかってきていたが、晶子からかけたことはあまりなかった。親子電話の子機を手に取り、思わず息を呑む。
(な、何か緊張する……)
思い切ってダイヤルする。ワンコール、ツーコール……。胸がどきどきと鳴っている。普段話しているときにだってこんな風になったりはしないというのに。
『はい、
「あ、あの、
誰が出たか判らない。男であることは間違いないが、響一の父と響一の弟の
『あぁ、えーと、どっち?』
「はぃ?」
「晶子姉ちゃんか涼子姉ちゃんかどっち?」
どうやら弟の響次のようだ。声を聞いて初めて、確かに響次の声だと判った。
「あ、あぁ、響次かぁ。晶子だよ」
「なに焦ってんだよ晶子姉ちゃん。親父がこの時間にいる訳ないだろ?学生じゃねーんだから」
言われてみればその通りだ。が、それにしても響次は響一と似て口が悪い。二つ年下の小学生の癖して言うことが一々生意気だ。
「わ、判ってるわよ。それより響一いる?」
『あぁ、いるよ。なんだ?デートの約束か?』
「ばーか!さっさと変われ!」
『うへ、ちったぁ涼子姉ちゃんみたいに可愛くなれよなー』
そう言って響次は保留ボタンを押してしまった。
「ほんっとナマイキー!」
Let it beの保留音に向かって晶子は叫んだ。
『うぃー、なんだ珍しいじゃん』
唐突に保留音が切れて響一が出た。
「ん、借りてたCD聴いたからさ。感想をば」
『おぉ、聴いたのか。晶子には似合わねー音楽だったろ』
「うっさいわね。でも結構嫌いじゃないかもね」
軽く笑いながら言う響一に晶子も笑顔になった。
『へぇ、そいつはちょっと意外だったな。涼子は聞いたって?』
「あたしより先に聞いてたけど、涼子は苦笑いしてたわ」
晶子も同じような感じになるだろう、と思ってはいたが意外と自分とクラシック音楽は合うらしい。
『ほぉ、涼子の方が好きかと思ったけど、それも意外だなぁ』
「あんた知らないの?涼子ってああ見えてロックとか好きなのよ」
『え、マジ?』
これには響一も驚いたようだった。晶子も初めて知った時は驚いたが、最近では自分でもCDを買っているので本当に好きなのだろう。
「マジ。
『あぁ、
「へぇ」
草薙夕香は涼子のクラスメートで涼子の親友だ。小学校では学区が違かった涼子とは一年生の時に同じクラスになり、入学初日からウマが合ったそうだ。晶子も何度も合っているうちに仲良くなり、今では涼子同様親友の一人だ。
『そういや晶子』
「ん?」
少し、恭一の声が改まったように感じるのは気のせいだろうか。
『今度チャリティコンサートあんだけど行くか?』
「チャリティコンサート?」
『あぁ、身体に障害もった人達がコンサートやるんだ。これがまたすげぇんだよ』
「いつ?」
『大晦日』
「行く!」
大晦日なら流石に部活は休みだ。
『涼子にも声かけといて』
「あ、うん」
流石に二人きり、という訳には行かないか、と晶子は残念に思ったが、ここのところ三人が三人とも部活で忙しかったせいで三人でどこかへ出かける、ということも少なくなってしまった。
これも良い機会だろう。
「そっちは響一だけ?」
『あ?』
「響次は?」
『あいつは聴かねーよ。頭痛くなるとか言いやがって』
「涼子も同じこと言ってたわ」
苦笑して晶子は言った。
『じゃ誘わねぇ方が良いか?』
「一応声はかけるよ。ここのところ三人で遊ぶことも少なくなってるしさ」
『そっか……。そうだな』
少し間を空けて響一が応えた。響一ももしかしたら同じことを考えていたのかもしれない。そして本当は涼子が一緒にいた方が良いのかもしれない。でも、それでも、響一はこうして晶子を誘ってくれたのだ。一抹の不安を振り払って晶子は努めて明るく声を出した。
「ま、とにかく楽しみにしとくわ。またなんか違うCDあったら貸してよ」
『あぁ、じゃあこれからそっち行ってやろうか?』
「ほんと?でも雪……」
窓辺に立ち外を見る。雪は降り止んでるとはいえ、かなり積もっている。歩くだけでもかなりの労力を要するに違いない。
『んな大した距離じゃねぇだろ』
「んー、じゃあ気をつけてくるのよ」
それでも響一と会える嬉しさか、つい顔が綻んでしまっていた。
「ただいまぁ」
幾分疲れた声で涼子が帰ってきた。部活の練習とこの雪道だ。涼子の声音も頷ける。
「おじゃましまーす」
次いで響一の声だ。晶子は二人を出迎えるために玄関まで下りた。涼子の部活帰りに偶然会ったのだろう。
「涼子お帰り。響一いらっしゃい」
「うん、ただいま」
「おぅ」
晶子の声に二人が返事をする。涼子の顔は疲れてはいたが笑顔だった。少しだけ晶子の胸が痛む。本当に涼子は響一のことを何とも想ってはいないのだろうか。あの日からずっと晶子の中でその気持ちが燻っている。
「はー、ウチの中はあったかいやー」
靴を脱いで上がると涼子は溜息と共にそう言った。
「私お風呂入ってくるね」
(こういうの……)
涼子は三人でいるときにわざと自分から距離を置くようにしている、と感じるのは晶子の思い違いなのだろうか。
「じゃああとであたしの部屋ね。響一は今すぐよ!」
「な、何だよ……」
怪訝な顔をして響一は晶子を見た。
「覗いちゃダメ、って言ってんの!」
ぐい、と響一の腕を引っ張り晶子は意地悪く言った。
「の、覗かねーよっ!」
「あら響ちゃん」
十分ほど前に帰って来ていた母親の
「あ、お邪魔します」
「はぁい。じゃあコーヒー淹れてあげるから。晶子の部屋でいいの?」
「うん」
「私はお風呂入ってからだから後でいいよ」
「判ったわ」
そう母親に言うと階段を上がる。響一はあろうことか涼子の後について行こうとする。
「こらぁ!」
「じょ、冗談だろ!普通に怒るな!こういう時こそツッコミだろーが!」
涼子と響一が同時に顔を真っ赤にする。元々響一はあまり冗談を言う方ではないせいか、晶子もつい普通の反応をしてしまった。
「響一のスケベー、バーカ、ガキー」
「……」
マトモにボケを殺してしまっては流石に響一も返す言葉がないようだ。
「ま、まぁまぁお姉ちゃん、響ちゃんだって冗談でやっただけなんだし……」
「当たり前よ。本気だったらクビリ殺してやるところだわ」
首を絞めるポーズをとって晶子は笑った。自分が原因ではあるが、流石に響一が気の毒になってしまった。
「そういうの草薙に似てるぞ……」
「伊達に親友やってる訳じゃないからね。ほら、さっさときなさいよ」
「判ったよ」
そんなやりとりを涼子は温かな目で見ていた。それが、どうしても自然に感じられない。晶子にとっても涼子が響一のことを想っていない方が良いはずなのに。
涼子が風呂から上がり、晶子の部屋に入ってきたと同時に響一が振り向いた。
「お疲れ、涼子」
「うん。うわぁ、またクラシック聴いてるー」
涼子が渋面を作る。
「うわ、って言うな。お前なー、部活で疲れた身体が癒されるだろ?」
「癒されないー」
耳を塞ぐほどではないのだろうが、涼子は渋面のまま晶子の隣に座った。
「なんて冗談だけどね。そんなに嫌いって訳じゃないよ。お姉ちゃんが聴くのはちょっと意外だったけど」
くすくすと笑いながら涼子は言った。
「何よ失礼ねぇ二人して」
涼子の笑顔に釣られて晶子も笑顔になった。
「まぁそれじゃ無駄かも知んないけどさ、涼子、大晦日にチャリティコンサートあんだけど行く?」
「大晦日?」
「そ。晶子は行くって」
「……んー」
一瞬の逡巡。晶子は見逃さなかった。
「夕香にライブ行こうって誘われてるんだ」
「ライブったってああいうのって夜からだろ?」
響一がり涼子の方を向いて言う。当然だけれど、何か、違和感がありはしないだろうか。どうしても晶子の心の中に拭いきれない何かがある。
「なんか、ちょっと大きいイベントだから十バンド以上出るんだって。だからお昼過ぎからやるみたいなんだ」
「全部見るの?」
「全部見なかったらチケット代もったいないよー」
くすくすと涼子は笑いながら言う。
「んじゃしょうがねーなー、晶子、二人で行くかー」
「そ、そうだね」
何故か焦ってしまう。涼子は響一が好きな訳ではない。判ってはいる、そう望んではいるのだけれど。
新しい傘が白い粉雪に染まった金曜日。
今日からまた大晦日まで部活動の練習が始まる。グラウンドは雪で滅茶苦茶になっているだろうから、しばらくは室内練習になるだろう。
「わたしも好きな人、早く見つかるといいなぁ」
登校途中、くすくすと涼子は可愛く笑った。響一は今日は午後からの練習らしく、今は涼子と二人で登校している。
「すぐに見つかるって!」
そう言って涼子の背中をポン、と叩く。こう言ってしまうことで自分が響一に思いを寄せていることを明確にしてしまうことは判っていながら。
涼子は女の自分から見ても可愛らしいと思う。響一はどう思っているのだろう。もしかしたら晶子にも涼子にも興味を持っていないのかもしれない。もしも響一に彼女ができたのならば、それはそれで一つの答えだ、と納得することができるのかもしれない。後ろ向きな想像だとは思うけれど、それはきっと自己防衛なのかもしれない。偽善なのかもしれない。偽悪なのかもしれない。判らないけれど、そう思う。
「涼子はバンドマンの彼氏かな?」
ずるい女だ、と思う。
「あは、そうだね。結構ステージに上がって一生懸命やってる人達見ると格好良いなぁって思うよ」
本当はすべて知っている。目を背けたいだけだ。今は事実ではないから。晶子の思い過ごしだと、そう思いたいから。
「へー、んじゃあたしも今度夕香に言って連れてってもらおうかな」
(そう、ほんとは全部、知ってるくせに……)
「そうだね。みんなで行こっか」
涼子の言葉を上辺でしか返せていない自分を晶子は嫌悪したくなった。
「うん」
(あたしが触れたくない、だけなんだ……)
第二話 A painful feeling is merely kept in mind. 終り
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