第八話 優しさの影
三月十九日 土曜日
「や、
「お姉ちゃん」
「今日も貴君と会うの?」
「ううん、今日は貴遅くなるんだって」
晶子と帰り道で会ったのは恐らく偶然ではない。家に帰るのであれば態々商店街のはずれにあるこの店に訪れる訳がなかった。
「そっか。ね、公園行かない?昔よくみんなで集まったとこ」
前を歩く晶子が振り返りながら笑った。
同日 北前児童公園
「どしたの?」
数日前に貴と訪れた公園はやはり人影がなかった。涼子がブランコに腰をかけると、晶子も隣のブランコに座る。部屋ではない、別の場所でしか話せないことがある。だとしたらそれはきっと一つしかない。
「あたしが訊きたいんだけどな、それ」
「……」
態々こうして機会を作ってまで話すことといえば、今の涼子と貴の問題でしかない。
「あのさ、一応お姉ねえちゃんな訳だし、心配してるんだよ、これでも」
「……」
それは重々判っていた。
ある時を境に晶子とはそういった悩み事の相談はできなくなってしまった。それでも晶子がいつだって涼子を心配してくれていたのは判っていたのだ。判ってはいても話せなかった。話すことができなかった。
「涼子はあたしのことずっとお姉ちゃんって呼んできたけどさ、あたしも涼子のことお姉ちゃんだなーって思うこと、あるのね。だけど、今はあたしがお姉ちゃんとして、色々とできのいい妹が心配な訳。ま、涼子にとってはあたしよりも
あたしもよく夕香には頼るしね、と付け加えて晶子は笑った。
「そういう訳じゃ、ないけど……」
「なぁんてね。僻んでみたところで仕方ないよね。大体涼子があたしを頼ろうなんてこと、する訳ないし」
どこか自嘲めいた苦笑で晶子は言う。
「……なんで?」
「ま、強いて言えばやっぱり双子だからかな」
涼子が晶子を姉として頼らない、いや、頼れない本当の理由というものがある。
それは夕香にも貴にも話したことがない、涼子だけの秘密だった。
晶子がその本当の理由を知っていたのかと思い、涼子は一瞬言葉を詰まらせる。しかし、晶子の表情は先ほどと変わらない。晶子の僅かな沈黙の中、涼子は晶子の言葉を待った。
そして――
「
「!」
晶子の言葉に息が詰まる。
気付かれていた。いつからかは判らない。けれど、晶子は知っていた。
「言ったでしょ、双子、って」
涼子と晶子の幼馴染みで今現在晶子の恋人でもある。貴に出会う前の涼子は、晶子と同様に響一に心惹かれていた。涼子の驚愕の表情を受けてか、すぐに晶子は頷いた。
「あたしなんかより全然可愛くて、優しくて、女らしい涼子を選ばないなんてねー。ま、もっともそのおかげで涼子は貴君みたいな素敵な人と出会えたんだし、結果的には良かったんだろうけど」
苦笑のまま晶子は言う。
頼りない街灯の明かり一つでは晶子の表情から気持ちを伺い知ることはできない。それに今は晶子と視線を合わせるのが辛かった。
「……いつから、知ってたの?」
「高校受験の時くらいから、かな。嫌な女だよね、あたしって。やっぱり響一は損したわね」
「お姉ちゃん……」
ずっと隠し通してきたと思っていた。晶子はそんなことすら見抜いて、その上でいつも涼子を心配してくれていた。
嫌な女だというのならばそれは涼子の方だ。
涼子は昔から晶子にコンプレックスのようなものを抱いていた。明るくて活発で、自分とは正反対だった性格の姉のようになりたい、と涼子はいつも心のどこかで思っていた。
叶うはずもなかった響一への想いを、晶子にも響一にも気付かれたくない一心で、二人と距離を置いてしまった。
そのことに気付けば妹思いの晶子は涼子のことが気になって響一とはきちんと付き合えなくなってしまうかもしれない。そんな思いもあった。しかし結果的にその考えは杞憂だったのかもしれない。こうして晶子は今も響一と付き合い続けているのだから。
「でもね涼子、結果的に今、あたしは響一とずっと付き合っててさ、それは、んー、ちょっと嫌な言い方しちゃうけどごめん。それは、響一があたしを選んでくれたからなんだよね」
「……うん」
晶子の言っていることは良く判る。
ずっと二人はお似合いだと思っていた。きっと涼子は響一に選ばれないで正解だったのだ、と何度も思った。特に貴に出会ってからは、響一に対する想いも薄れ、少しずつ少しずつ晶子に対するコンプレックスのようなものは姿を潜めていった。
「涼子、覚えてるかな。お姉ちゃんは本当に響ちゃんが好きなんだね、って言ったことあったんだけど、その時はまだあたし、涼子の気持ちは判らなかった。……んじゃなくてきっと判りたくなかったのね。涼子は昔っからそうだよね。自分の気持ちを押し殺してばっかりでさ」
「……」
押し殺す。確かにそうだったのかもしれない。だけれど、押し殺さずに吐露できたとして、結果は変わらなかった。
「それでもね、あたしが涼子の気持ちに気付いても、ううん、気付いたからこそ、あいつと堂々と付き合っていこうって思ったのよ」
それはきっと晶子の強さだ。姉の優しさだ。にこ、と晶子が笑う。
「もしもね」
「待って」
言いかけた晶子を止めて、涼子は口を挟んだ。この先は聞いてはいけない気がする。
それでも晶子は止めようとはしなかった。
「もしも」
「嫌、そんなこと聞きたくないよ」
「いいの、嫌な女にさせてよ」
穏やかな笑顔で言う晶子を見て、涼子は泣きたくなった。
嫌だ嫌だ、と耳を塞いで駄々っ子のように大声で喚き散らせればどんなに楽だろう。しかし涼子は腹に力を入れて、ぐっと我慢をする。貴も晶子も自分が泣けば彼らの本来あるべき形を崩してまで優しくしてくれる。もうそれに甘えるだけの自分では駄目だ。泣いて許されるのはもう嫌だ。
「だめ。お姉ちゃんは嫌な女なんかじゃないよ。嫌な女なのは……私の方だよ」
涼子はブランコのチェーンを掴む手に力がこもる。
「涼子」
涼子の言葉に、晶子は驚いたようだった。涼子を見る目は驚愕以外の何ものでもないように感じられる。
「私、貴を好きになるまで、ううん、今の今まで気付かなかった。お姉ちゃん、全然響ちゃんとのこと、話さなかった、よね。私が、お姉ちゃんに貴のことを話すようになってからだ。響ちゃんのこと話すようになったのって……」
やっと晶子とも普通に、恋愛の話ができるようになるのではないかと、貴を好きになった喜びも相まって、やたらとはしゃいだ声で晶子に貴のことを話した。
あの時のことは良く覚えている。しかしそれ以上は何もなかった。晶子は涼子を気遣っていた。響一とのことを晶子から話すことはなかったし、それが相まってなのか、涼子も当時付き合ってもいない、ただの片思いであった貴とのことを頻繁に話すことなども少なかった。
「……話せなかったね。付き合い始めた頃にはもう涼子の気持ち、知っちゃってたから」
「優しいのはお姉ちゃんの方だよ」
響一との関係をうまく作っていったのも、別れるようなことがなかったのも、涼子の気持ちを知っていたからなのかもしれない。
もしも別れてしまったら、自分が響一のことを想っていることに晶子が気付いてしまったせいなのではないか、と当時の涼子ならば思ったかもしれない。
想像の域を出ない、あまりにも稚拙な思いだと解ってはいるが、それを完全に否定することはできなかった。
「……んー、じゃあまぁ、そういうことにしておこっかな。そっか、そうだったんだね、あたしたちってね。なーんか長年のイザコザがすっきりした感じ。んでさ、昔のことじゃないんだってば。昔話はオシマイ。今日はね、久しぶりにきちんとお姉ちゃんさせなさいよ、ってこと。涼子があたしのこと優しいお姉ちゃんだって思うんだったら尚更ね」
「ん……」
話を切り替えたように晶子は言ったが、涼子の気持ちは落ち着いていた。晶子の言った通り、長年のいざこざがやっと今、晴れたような気がしていたのだ。晶子の照れたような笑顔に、涼子も素直に笑顔を返すことができた。自然に笑顔になれたのはもしかしたら久しぶりのことかもしれない。
「で?」
「で?って……」
ブランコのチェーンがきしんだ音を立てて揺れる。晶子が地面を蹴って軽くブランコを漕ぎ出した。
「どうなのよ、貴君とは」
「正直言ってうまくはいってないよ」
上手くいっている訳がない。喧嘩をしている訳ではないし、お互いを想い合っていることは確かだが、それが上手くいっていることとイコールにはならない。
「そっか、でもそうかもね」
「私ね、大切に想っている人とのセックスがあんなに大切で重要なことだなんて、判ってなかった」
色々な本を読んだり、夕香や香奈に教えてもらったこともある。貴本人の口からは何も聞いてはいないけれど、それほど重要なものだからこそ、貴は涼子に何も言わないのだろう。言ってしまえば涼子に重圧をかけるだけだと、貴は解っている。しかし涼子は知ってしまった。
「それは、男にとってってこと?」
「それも、そうだね……。でも付き合っているお互いにとって、っていう意味の方が大きいけど」
男と女が身体を重ねることは特別なことだとは今でも思っている。しかしそれは、言葉として知ったつもりになっていただけなのだろう。
スキンシップやコミュニケーションのような役割も、やはり愛情表現そして持っている。お互いの気持ちを確かめ合うための大切な行為でもあるし、ヒトという種として必要不可欠なものでもある。
愛し合っている者同士が行う、自然なことなのだろう。しかしそう簡単に本に書かれているだけのことを涼子は鵜呑みにはできない。
まだ呪縛されている。
男の深い闇を、どうしようもない業を知ってしまった涼子は、だからこそ最愛の人に抱かれて、浄化されることを望んでいる。
「ふむ」
「私はね、初めてがあんなのだったから」
「涼子」
咎めるような口調で晶子は言った。しかしその表情はすぐに和らいだ。自分でもそのことを口にできるほど、涼子は強くなっている。そのくらいの自負はあった。ただ時が忘れさせてくれたことだとしても、それは貴の存在があったからに他ならないと涼子は信じている。
「もちろんあんなのなんて違う。だけど……」
「そうだよ涼子、あんなのは、違うからね。あたしは涼子にはなれないからどれほどショックだったか、とか判ってあげることはできないけど、でも、涼子にとって、初めての相手は貴君じゃなくちゃだめなの」
晶子の言葉に嬉しくなって涼子は頷く。涼子もそう思っている。あんなものはセックスでも何でもない。
愛してくれる人を愛して、その人に抱かれるから、お互いがお互いを求めるから成立するものだ、と。
「うん。でもね、そう、お姉ちゃんの言う通りだとしてもね、やっぱりあんなことがあったから、早く貴に抱かれたかった。あの夜に、貴に言ったの。早く抱いてくれないかなってずっと思ってたって」
「……」
先日女同士で集まった時には言わなかった。自分から貴に抱いて欲しかった、と伝えたことは。言えばみんな言葉を失ってしまうことは目に見えていた。
救いようもない真実なのだ。これが。
「それで拒絶したのは私なんだよ」
案の定というか、やはり、というか、晶子は絶句した。
「私は本当に貴が好きだし、今だって抱かれることで本当に貴のものになれるんだって思ってる。思ってるのに貴の女になりたいのに、身体が拒むの。いくら口で、心で貴を好きだって言ったって、思ったって、だめなの」
俯いた涼子に呼応するかのように、晶子はブランコを止めると、立ち上がって涼子の肩に手を置いた。
「でもさ、涼子、こないだも言ったけど、それで何で涼子が悪いの?」
その手は涼子の頭を一度なでてから、晶子の胸へと誘う。涼子は抗わずに姉の胸に抱かれた。
「だって私の身体なんだよ。意識下とか無意識とか本能とか、難しいことは良く判らないけど、それだってみんな私なんだよ。大好きなくせに大好きな人を拒んでるのは私なんだよ!」
もう考えたくない。何度も何度も考えるのを止めて、全てを忘れて、ただ楽しく貴と過ごしたい。
しかしそれを涼子自身が許さない。考えたくはないのに。ただ貴と一緒に、笑顔でいたいだけなのに。
「でもさ、そうなっちゃったのは、涼子の罪な訳?」
顎を涼子の頭に軽く載せて晶子は言った。
「私に油断があったっていうのは、そもそもの原因だよ」
大本の原因など考えたところで無意味なことは判っていた。残された現実は今のこの状況でしかない。いくら原因を突き詰めたところで今が変わる訳ではない。それでも、突き詰めたところで非は自分にある。何をどうしても言い訳にすらならない。
「そうかなぁ……。あたしはね、涼子が帰ってくるって聞いた時はね、本当は貴君に全部話して聞かせてやろうかと思ったくらいだったのよ。貴君がはっきりしないから、お互いに好きだったくせに男がはっきりしないから、ってね」
晶子の言葉に涼子は目を見開いた。
夕香がほんの一瞬でも貴にそういった感情を持ったことは、目の前で夕香の口から聞いた。しかしまさかこの優しい姉がそんなことを思っていたなどとは考えてもいなかった。それはやはり、それだけ姉として妹を心配してくれていたからなのだろう。
「貴君がもしも涼子のことを好きだって言ってたら、もしかしたら涼子は東京へは行かなかったかもしれない、って。行ってたって、貴君と付き合っていればこんなことにはならなかったかもしれないって。正直言って貴君のこと恨んだりもしたよ。でも……だから、涼子がそれを言うんだったら貴君にだって責任はあるよね」
「それは、違うと思うよ」
貴に責任などない。高校生の時に、貴が告白しなかったことを貴のせいにはできない。それは結果的に貴が涼子を好きだったということが判ったから出てくる考えだ。確かに、高校生の頃は恋人同士、という関係に最も近い付き合い方をしていたと思う。告白こそなかったが、頻繁に電話はしていたし、二人だけで出かけたりもしていたのだから。だからといって、それで貴だけを責められはしない。涼子も貴が好きだったというのに、告白すらできず、あまつさえ泣いている貴に背を向けて、逃げ出してしまったのだから。
強引だった貴からの突然のキスも嬉しかったくせに、貴の気持ちに応えることはできなかった。
「ま、もちろん今はそんなこと思ってないけど。思ったって仕方ないし、好きだっていう気持ちに臆病になることを責めちゃうのはずるいもんね」
それを判っているからなのだろう。ゆっくりと涼子に言い聞かせてくれているように晶子は言う。貴を恨んでも涼子が喜びはしないことは晶子も夕香も、当然、判っているのだ。
「でも……」
「うん、貴君はね、充分すぎるくらいにそのことで傷ついて、責任を感じて、悩んで落ち込んで、でも最後にはやっぱり涼子のこと助けてくれた」
「うん」
だから貴が好きだ。
どれだけ自分が辛くても、間違っていたとしても、それに気付いて、自分を強くして行ける。強いから優しくなれる。万人に優しい訳ではないけれど、貴の中で大切だと思える人全てに貴は優しい。だから、貴が間違えれば仲間がそれを正してくれる。教えてくれる。許してくれる。涼子自身もまた、その一人だと信じたかったのに。
「だからね、今は全然恨むとかそんなこと思ってない。むしろ今回のことだって貴君だったらまたがんばって、考えて、何かしてくれるんじゃないかって、期待してるの。それほどまでに涼子にとって貴君は大切で、どうしてもいなくちゃならない存在なんだって思うし」
晶子の言葉は、嬉しかった。涼子もどこかでそれを期待しているのかもしれない。だが。
「でもね、貴の優しさに甘えてばっかりじゃいけないんだよ」
半年前、貴が全てを打ち明けてくれた時、貴と一緒にいればきっと幸せに過ごせると思っていた。
普通の恋人達と何も変わらない毎日を送れると思っていた。貴が強いから。甘えさせてくれるから。
「涼子は昔から甘え下手だったからね。でもねぇ、思うんだけど、涼子さ、今は甘えるべきなんじゃない?」
「え?」
晶子の言葉は意外だった。
甘えるのが下手なのだろうか。こうして姉にも友達にも貴にも甘えてばかりだと思っていたのに。
「貴君が一生懸命なんだから今は甘えてもいいと思うんだ。もちろん涼子もただ甘えるだけなんて性格的にできないだろうから、涼子は涼子でがんばっててもいいと思うの。だけどね、今の涼子って貴君に甘えないって言いながらちょっと距離を置いちゃってない?」
「距離?」
「そう。あたしの時と同じだよきっと。貴君は優しいから甘えっぱなしじゃだめ。貴君を頼っちゃだめ。もっと自分が強くならなくちゃ、貴君が自分で自分を傷つけちゃう。それじゃ涼子のことあんなに真剣に想ってくれる貴君はどうしたらいいか、判んなくなっちゃうんじゃないかな」
晶子の時と同じ。
そのことで涼子は少し考えを巡らせた。貴に対する蟠りがまだ何かあるのだろうか。いや、蟠りがあるのは男という性に対してだ。それは確かにある。昨日貴とベッドに入った時も、暗い部屋が怖かった。貴の吐息だと判っていても怖くなった。また貴が息を荒げ、我を忘れてしまうのではないかと思うと怖くて仕方なかった。
「だけど、それで昨日もだめだったんだよ」
少しの沈黙の後、涼子は掠れるような声でそう言った。
「だって甘えてないもの。昨日のことは判らないけど、だめだったら貴君が傷付く、涼子も貴君が傷付くと辛い。そのくらいのことだったらあたしだって
「……うん」
「涼子と貴君よりもね、あたし達はみんな男との付き合いが長いの。みんなどれだけお互いを傷付け合ってきたと思う?香奈ちゃんと
そう言われると、正直に怖いと思う。何故傷付けなければいけないのか。どうして楽しく過ごすことだけが許されないのか。香奈と忠、夕香と
足りていない。届いていない。
そういうことなのだろうか。
「お姉ちゃんは傷付け合うことが怖くないの?」
「もちろん怖いよ。もしかしたら別れることになっちゃうかもって思うと堪らなく怖くなるけど……。でもね、やっぱり別れてない。何回もそう思ったけど別れなかった。涼子は怖がりすぎちゃってる。特に貴君を傷付けることにね」
「だって好きな人を傷付けるんだったら自分が傷付いた方がいいよ」
その方が楽だから。気持ちが楽だから。好きな相手を傷つけてしまうくらいなら、自分独りを傷つけた方がどれほどに楽だろう。
「そこは誰だって一緒だよ。でさ、そう思ってるのは女の方だけじゃないの。そういうのって涼子は良く判ってると思うんだけどなー。貴君だって忠君だって諒君だってみんな好きな相手を傷付けるくらいならって思ってるよ。もちろん響一だってね」
「でも、じゃあ、どうしたらいいの?」
傷付くことを恐れない、という言葉は立派だとは思うけれど、必要外のことで傷を付けたくはない。こちらから態々傷付けるようなことなどしなくても良いなら絶対にしない方が良い。
「もっと貴君に甘えて、一緒に傷付いて、支え合っていくしかないって思うよ。もっともっとボロボロになってみなくちゃ結果なんて出しちゃだめなんだよ、涼子」
「そっか……」
一緒に。
自分が、相手が、と思うから辛いのかもしれない。
もっと身体ごとぶつかっていかなければいけない。貴を傷つけてしまったら、そのために涼子自身が一生懸命に貴を想えばいい。
貴がそうしてくれたように。やはり貴には甘えっぱなしなのだ。しかし晶子の言っていることも判る。涼子がもっと甘えれば、貴も涼子に今までの甘え方では見せなかった面を見せてくれるのかもしれない。
どうせ絶望的なほど救いのない状況なのだ。やれることは全てやらなければ一生後悔してしまうだろう。そしてそれが涼子自身が口にした『何かしなくちゃいけない』ことなのかもしれない。
一生後悔するだろうと思っていたことはいつか貴と共にあれば薄れて行くと信じて、今はもっと貴に甘えても良いのかもしれない。
「もっと自惚れて大丈夫なんじゃないかな。貴君だったらきっと涼子が傷付けたとしても大丈夫って信じてあげたら、貴君はきっと大丈夫。あんなにいい人なんだもん。涼子にメロメロだしねー」
「うん」
くすくすと笑って、晶子は涼子を開放した。くるりと涼子に背を向けて、夜空を見上げる。
「もしそこまで行かないで挫けたらあたし響一なんか捨てて貴君に乗り換えちゃおっかなぁ。涼子と同じ顔なんだし」
「だ、だめだよー」
涼子は立ち上がって晶子の背中に抱きついた。冗談めかして笑う晶子に涼子も笑顔になった。
「冗談だよっ。おなかへったね、帰ろ、涼子」
「うん。お姉ちゃん」
ぎゅ、と腕に力を入れて涼子は姉を呼んだ。
「ん?」
「……ありがとう」
そう言うと涼子は晶子から離れた。少し、気持ちが上向いた。
まだやれることがある。泣くだけしか残されていなかったと思っていたけれど、晶子が道を示唆してくれた。まだ貴を好きでいる限り、できることはたくさんある。足掻いてみる価値はある。
「えへへっ、二人でちゃんと幸せになろうね、って、約束したじゃん」
涼子の方を見て、照れくさそうに頭を掻いて笑う晶子の顔は本当に大好きな涼子の姉の顔だった。
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