挿話-1-

Kill,me,die,go

 Hello,Hello, Bye-Bye……。


 国道沿いに走る線路は、都堺の一級河川をまたぐ鉄橋になっている。

 おれの前を来ては過ぎる電車を眺めていたら、ふとそんな言葉とメロディが浮かんだ。思えば作曲は大体おれの役目だった。

 今過ぎ去った電車でもう七本目だ。恐らくとうに彼女はここを通り過ぎただろう。そしておれの姿を見つけただろう。

 手に持ったロケットペンダントのシルバーチェーンはくすみ始め、輝きを失ってしまっていた。彼女の写真はもう中にはない。

 去年の夏、写真は外してしまったのに、このロケットペンダントは捨てることができなかった。

 また一本、電車が通り過ぎた。

 鉄橋を通過する電車が生み出した風が、最後の煙草も燃やし尽くし、熱を失った灰がそれに舞い散って見えなくなってゆく。

 その風が止む前に、おれは手の中のロケットペンダントを、轟音と共に通り過ぎる電車に向けて投げ捨てた。


 見送りには行けなかった。

 合わせる顔さえなかった。

 最も卑劣な手段で傷つけた。

 そんなおれを許してくれた。けれど、おれはおれ自身を許すことができなかった。

 この街に残っても、彼女の心の中には残してほしくなかった。

 おれのことも、おれと過ごした日々のことも、あの夏のことも。

 全てを消し去ってほしかった。

 

 この春からおれは専門学校へ行く。彼女は都心で働くことを選んだ。

 それぞれに新しい生活が待っている。

 過去に捕らわれる必要は、何一つない。過去に捕らわれて一歩も進めなくなるのは、おれだけで充分だ。



「え、行かないのかよ」

 親友の一人である、川北忠かわきたただしが面食らった様子で言った。バンドではギターボーカルをやっていたやつだ。心配性で気の良いこの男は、目を丸くしていた。それもそうだろう。

「何か用事でもあんのか?」

「いや、用事はないけど……」

(……合わせる顔もない)

 だけれど、その事情は話せない。話すことができない。

「何かお前らさ、どうなってんだよ。去年の夏辺りからずっとおかしくねぇか?」

 もう一人の親友、谷崎諒たにざきりょうが言った。一八〇センチを超える長身を持つ、ドラマーだったこの男も口の粗暴さとは裏腹にお節介な奴だった。

「……関係、ねぇだろ」

 何も、何一つ説明もできずに、おれは吐き捨てた。訊かれても答えられないことしかおれの中にはない。いい加減うんざりだった。答えのないことを訊かれることも、おれと彼女、二人のことに気を回されるのも、何も言えない卑怯なおれに向けられた優しさも。

「ざっけんじゃねえよ!」

 大きなショックと共に視界が揺れた。直後に左頬が熱くなってくる。殴られた、と判るまで僅かに数秒。諒の瞳は怒りに満ち満ちていた。おれは返す言葉一つなく、ただ項垂れることしかできないでいた。

「諒!辞めろ!」

「てめえが惚れた女だろうが!たった独りで行っちまうんだろうが!それをっ!」

 更に殴りかかろうとする諒の腕を忠が掴んだ。止める必要なんかなかったのに。

「……」

 諒も、忠も、おれが彼女に何をしたのか、知らない。

 そして知りもしないまま正論を吐く諒の怒気は尤もだった。だから、殴られたことも甘んじて受け入れた。

 おれが何も言わない限り、こいつの怒りは収まらないだろう。そしておれが全てを言ってしまっても、今度は別の怒りでおれを殴るだろう。それでもおれは構わなかったが、それではまた無用に彼女を傷つけることになる。

 だからおれは、やはり何も答えることはできないままでいた。

「くそっ!」

 吐き捨てておれに背を向けると、諒は大股で歩き出し、忠もそれに続く。一度だけおれを振り返って。

 結局今のおれではどっちを向いたって行き止まりで、先になんて進めやしない。

 全てに於いて卑怯だ。本当のことも、言い訳も、みんなを納得させるだけの嘘ですらもでっち上げることができない。

 そんなおれには、こんな結末がお誂え向きだったのだろう。



「何も……何も知らねぇくせに!」

 そう叫んで殴り返せれば良かった。全てを吐き出して、泣き叫びたかった。けれどそんな資格すら今のおれにはない。

 何を今更、だ。

 だから彼女の見送りは、あいつらに任せるしかない。



 本当は目の前から消えて行く彼女の姿を追いかけたかった。

 だけれど、もう、おれは疲れてしまった。

 だからおれはおれのやり方でしか、彼女を見送ってやれない。

 国道沿いの線路へ投げ捨てたロケットペンダントは、二度と彼女には届かない。


 最後の仕事を終えたおれには、いつしか行き止まりの先に道が見えているような感覚に捕らわれた。

 多分、本当は行き止まりでもなんでもなかった。ただおれが進みたくなかっただけで、もう進まなければならないところまで来てしまっている。

 彼女もそうして、新たな道を進んで行く。

 過去に捕らわれていた自分を殺して、きっと彼女の中のおれも殺して、新たな道を行く。

 もう子供のままではいられない。

 十代の子供の恋愛に、いつまでも引きずられる訳には行かない。何十年も後に、美化された思い出にすらならないだろうこんなことに、いつまでもかかずらっていられないんだ。誰も彼も。


 消えてしまった行き止まりの先に、ぼんやりと見えている新しい道を、おれも行かなければならない。

 もう二度と彼女とは交わることのない道を。


 彼女の写真すら入っていないロケットペンダントが河川敷の草むらに消えると、おれは路肩に停めていたオートバイのエンジンをかけた。

 断ち切るように草むらに背を向けて、オートバイに跨がり、ヘルメットをかぶる。

  全てのことを断ち切って、全てのことに別れを告げて。

 立ち止まることが許されていた、自己欺瞞の行き止りはもう消えてしまった。

  この先がどんな道であろうと、ここにはもう留まれない。

 だから――


「……このまま行くよ」

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