第二話 大人
同日 喫茶店
「……でさ、そのことずっと黙ってたんですよ
「ふふっ、そっかぁ。で、結局忠君が謝っちゃったんだよね。どっちが悪いっていう喧嘩でもなかったのに」
「そ、もう今じゃ妬けてくるほど幸せ絶頂ってやつでさー。勝手にやってて下さい、の世界ですよまったく」
貴はそう言いながら笑った。あんちくしょう、とは口に出さない。
「へえ、で?
涼子の言葉に突き刺さる何かを感じながらも、張り付いている笑顔を崩さないままで貴は口開く。酷いものだ。核心を突いた質問だというのに。涼子はそれを口に出すことができているのというのに。
「いませんね。彼女イナイ歴二一年ッス」
巧く誤魔化せているだろうか。そんな思いが浮かんでくる。
「えぇ?ホントに?」
「悪ぅござんしたね」
貴は少しおどけた風にプイッ、と窓の外に視線をやった。
ガラスに映る涼子の顔を盗み見る。
当たり障りのない自然な会話とは言いがたい。涼子は本当にこんな話をして、こんなことを聞きたかったのだろうか。何か、貴の心に引っ掛かる物がある。
正直、正気とは思えない。
本当は、言いたいことがあるのではないのか。
二人が入った喫茶店は特にきらびやかな飾り物もない、落ち着いた店で、この辺りでは一番遅くまで営業している店だ。一番奥まった窓際のテーブルに着いて二人は話していた。ゆっくりとしたメロディアスなピアノの曲がシックな店内にぴったりと合っている。そんな空気のせいだろうか。ついこんな話をしてしまうのは。
「そーゆー
まるで意趣返した。己の浅慮を後悔しながらもその口を閉じることは出来なかった。
「え?私?……私も同じ。水沢君のこと笑えないね、へへっ」
「マジですか!舞川さんくらいデキた女性ならば男なんぞ選り取りみど……言い過ぎました」
できるだけおどけて、自身の不安を打ち消すように貴は言う。
(そうか。おれがこういう話を終わらせたがってんだ……)
もうあの頃のことは、お互いに何でもない。学生時代の話など卒業と共に終わっている。誰もがそうなのだろう。今更気にかけているのはきっと自分だけだ。
「もう、酷いな。私だって苦労してるんだから」
冗談交じりに涼子が言うと、丁度先程注文した珈琲が二つ、テーブルに置かれた。
「水沢君、お砂糖二つだったよね」
「よく覚えてるなぁ……。しかぁし!大人になった水沢君は最近ブラックに目覚めたのだ」
「へぇ、違いの判る男?」
涼子は笑いながら砂糖を自分のカップに入れた。ややあって、再び口を開く。
「……ん。でもね、告白されたこととかもあったんだけど、ダメなんだ。なんか水沢君とか諒君達みたいに前向きで『自分』をさらけ出して生きてる人っていないって感じちゃって。どんなに容姿が良くっても全然魅力感じないんだ。結局見た目だけで人を好きになることって、私はできないんだって思うし」
涼子の、コーヒーをかき交ぜる銀色のスプーンが止まった。つ、と視線を落として止まったスプーンを見つめている。貴はそんな涼子を見ると、開き直って口を開いた。
「ムツカシイ奴らが多いんですかねー。やっぱりあれですな、諒の言ってた『押し付けるな、指示するな、おれはおれでいさせろ』ってやつ。自己主張が足らんですよ、きっとそういう連中は」
自分を棚に上げているのは重々承知の上だ。道化も良いところだと自分で笑ってしまえるほどの虚勢も張れやしない。
「水沢君も言ってたじゃない、『自分でいろ、誰かみたいにはなるな』って。……でもホントにそうなんだよね、きっとそういう人達ってカタチだけで女の子を見てるのかもしれないって思うこと、あるよ。全部がそうじゃないとは思うけど、この女とだったら格好が着く、とか釣り合いが取れる、とか。そういう人って絶対いると思う」
私が釣り合いの取れる対象だなんて時点でどうかしてるけどね、と付け加えて涼子は笑った。少し、涼子は変わったのだろうか。こんな風に話す涼子は貴の記憶の中にはない。昔はこんなに率先して明るくお喋りするようなタイプではなかった。決して無口ではなかったが、もう少し雰囲気は違っていたはずだ。
その瞳にひどく悲し気な色を漂わせている。そんな感じがするのは、違和感があるように感じてしまうのは、貴の気のせいなのだろうか。仕事を辞めて地元に戻ってくること自体が、涼子に変化をもたらしている訳ではないことくらいは、今の貴でも辛うじて判る。
「でもさ、そこまで言ったら本当に好きだとか、難しくなるんじゃないのかな」
特に一目惚れ、などというものは一目見たその姿から、と言われている。
「そうだね。もしかしたら、全然判ってないのかも知れないね。私達も」
「少し変ったのかな、舞川は。なんか大人になったって気がするよ」
大人、という言葉を頭の中で反芻する。どう大人なのか、言った貴自身判っていない。対する自分はどうなのだろうか。涼子の目から見た自分は変わっているのだろうか。
……大人、なのだろうか。
「え?そ、そうかな。きっと大人ぶってるだけだよ、独りで暮らすための技っていうやつかな。そうでもしないと自分を保っていられないっていう気がするの。特に独りだなぁ、って感じちゃったときなんか。……大人な訳ないでしょ?私が」
やはり変わっている。少しだけ判ったような気がした。
そういう考え方一つ取っても大人なのではないのだろうか。そんな考え方を今この場で出来ない貴にはそう思える。
きっと、口先だけで言い逃れをするような汚いオトナなどではなく、本当の意味での大人になりつつあるのではないのだろうか。
「大人か……。高校ん時は、こんな日がくるなんて思ってもみなかったもんなぁ。オトナが嫌いでさ、悪ぶって見せて、ガキで結構じゃねぇか、なぁんつってた頃が懐かしいですよ、水沢君は」
「うん。でも楽しかったよね。もう二度とあんなこと、ないんだろうなぁ……」
こく、とコーヒーを一口飲んで、涼子は再び口を開く。
「私ね、この時期になるといつも思い出すんだぁ、あの頃のこと」
いかにも楽し気に涼子は微笑んだ。
あの日の、ただ唇を奪ってしまった、悲しい微笑みが貴の脳裏をよぎった。
――夏の、終わりの――
「ありがと、水沢君。じゃ、また土曜日ね。来るんでしょ?水沢君も」
家の前に着くと涼子は車を降りた。そして運転席側へ回ると、小さく手を振りながら貴に言う。
「当然行きますよ。じゃ、ごっつぉさん舞川、また土曜な。……それと今度はおれがおごるからな、コーヒー」
「うん。じゃ、おやすみ……」
貴は高校時代に流行った、別れの挨拶をして静かにクラッチをつないだ。
あまり聞く気にはなれなかったけれど、いつも車には乗せていたカセットテープをデッキに飲み込ませる。少しだけボリュームを上げる。スローテンポの、クリーントーンのエレキギターがコードを奏でる。
高校時代、貴が創ったオリジナルソング。
(夏霞……)
ただ、過ぎ去ってしまう日々を忘れないよう、強く思いを込めた曲だった。バンドメンバーは勿論、涼子も好きだと言ってくれた曲だ。
「どこが前向きなんですかね……。水沢君は」
貴は、夏霞を聴きながら、涼子の微笑みを思い浮かべると、独白するように呟いた。
――The best of times only comes around once in a long long while
Even the goddess can't do the trick with their smile――
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