第3話

 ベルビューレン邸に集合した一同は徒歩でヘイゼルミア侯爵邸へと向かった。夕闇の中濃紫のバッフルドレスの侯爵夫人を先頭に,いつもの黒の外套に仮面のローズが続き、その後をベルビューレン、オミ、フレアが静かに追う。

「ニコライ様、お仕事に差し障りはないのですか?」フレアは潜めた声でベルビューレンに尋ねた。

「ないわけではないが、伯爵夫人によると俺も幽霊払いの立会人に含まれているそうなんだ。そんなわけで俺も同行している」

「巻き込んでしまったみたいですみません」

「気にすることはない。右腕を失って以来どうにも部屋に籠りがちになっていたからな。こういう集まりに参加するのも丁度いい刺激になる」

 一同がラムゼー家に到着すると,侯爵夫人から鍵を手渡されたオミが玄関扉を開け、ローズを先頭に皆が並んで入っていく。どこか滑稽にも見えるが、これもローズ達の存在があればこそなせる技である。彼女の感知範囲は思いのほか広く、その内側で下手に敵意を現し攻撃を仕掛けようものなら、本人にも悟られることなく、意識内に入り込んできたローズに即動きを止められることとなる。それだけで済めば幸運だ。

 ラムゼー邸に足を踏み入れたローズは邸内の気配をざっと探ってみた。とりあえず人に害意を示す存在は感じられない。侯爵夫人が持ち込んだランタンによりローズには邸内が遠い記憶の中にある昼間のように明るく見える。室内の手入れは行き届いているようで漂うのは洗剤と床磨きの油の匂い、人由来の生活臭は感じられない。ローズは奥へと足を進めた。

 居間や書斎のなどに置かれた家具には埃よけの布が被せられているが、埃はさほど積もっていない。侯爵夫人は立ち寄った部屋で布を何回かめくり上げ家具の状態を確かめた。

 彼女は布を捲る度に頬を緩めたり、しかめたりを繰り返している。彼女は厨房では戸棚に収められた食器を懐かしそうに眺め、調理器具を確認しオミに手入れの仕方を説明している。いつの間にか案件がお化けの所在確認から素敵なお屋敷の内見会へと変わりつつある。

 一同が二階の寝室に上がっても面妖な事態は何も起こることはなかった。月明かりが射しこむ寝室でローズの元に皆が集まる。

「これまで邸内を拝見させていただきましたが」ローズは静かに話し始めた。「ここには人に対して害意や敵意を持つ存在は確認できません」

「何もいないということ?」と侯爵夫人。

「無ではありません。古く薄れた思いなどは散見されますが、それらは人に害を及ぼすものではありません。むしろ逆に住む者の癒しとなるでしょう」

「そう、ありがとう。助かったわ」

「そう言っていただいて何よりです。ですが、ここでますます気になってくるのが今回の一連の騒ぎです。シュガー・ケイなる男はなぜ急にこの屋敷が欲しくなったのか。ライス・ケーキ・ムーンなる記者はなぜ記事を新聞三紙に持ち込んでまで嘘を広めようといたのか。この地域が皆の羨望の的なのは周知の事実です。彼の背後に見込み客がおり、奥様から屋敷を是が非でも買い取りたいとしてもどこか妙です。わざわざ売り物に傷をつけるわけですから」

「あんたは幽霊ではなく別の何かが隠されていると思っているわけね」

「はい、奥様」ローズは少し言葉に間を置いた。「隠されているのはおそらく人ならざるものではなく、人がなしたものです。この邸内でまだ見ていない場所はありませんか」

「一か所あるね。ついておいで」

 伯爵夫人は寝室を出て階段へと向かった。


 侯爵夫人に案内されたのは一階居間にある暖炉の傍である。彼女はランタンを片手に暖炉の左側の壁を探り、隠された取っ手を見つけだした。取っ手を手前に引くと壁が動き、そこが開き戸となっていることが分かった。長年使用していなかった扉の蝶番は錆びついていたのか酷く動きが悪く、侯爵夫人は少し隙間を開けただけでニコライに後を任せた。

 彼の頑張りにより扉の向こう側に地下へと向かう階段が現れた。

「地下室だよ。わたしがここに嫁いだ時にはもう使っていなかったね。ジョンもここを使いたがらなかったんだ。気味が悪いといってね。さぁ、降りてみようか」

 先は文目も分かぬ闇のためローズも光球を取り出し皆を先導し階段を降りた。木製の階段を軋ませ辿り着いたのは新市街の宿程の広さがある部屋だった。

「これは驚いた」

 光球やランタンの明りに照らされた地下室の光景に侯爵夫人は驚きの声を上げた。使用されていないはずの部屋に木箱が多数並べられていたのだ。布で包まれた壁に立てかけられた大型の荷物も見受けられる。

「誰かが無断で倉庫として使っているようですね」とローズ。

「はい、それも頻繁に出入りしているようですね」フレアが指で木箱に積もった埃を確かめ床に付着した足跡を眺める。

「ここの存在を知っているのはどなたですか?」

「わたしとジョン、子供たちは知らないね。何しでかすかわからなかったから。後はケイには教えていたね。管理を任せていたし」

「奥様、そこの階段の他に出入り口はありますか?」

「そこの扉から外に出られるよ」侯爵夫人はランタンでその先を指した。

「どこに出られますか?」

「少し先の公園、そこの東屋の傍だね。行ってみるかい?」

「はい、もちろんです」

 公園に向かう通路にも多数の足跡が見られ、何かを引きずった跡も残されていた。この通路を出入り口に使用しているのは間違いない。

「ジョンも義父様、義母様方もこの通路の存在は知っていても、所以は知らなかった。有事に備えての脱出路だろうと察しはついたけど、作られた理由まではわからない。うちにも何かに備えなければならない時期があったのかね」

 侯爵夫人の言葉通り、出入り口は公園に建てられた石造りの東屋の傍にあった。出入り口の蓋は目立たないよう周囲と同じ石畳に偽装されていたが、存在がわかっていれば探し出すことは容易だろう。

 速やかに公園を後にした一同は再びベルビューレン邸と戻ってきた。イェスパーから飲み物が配られ椅子に座りくつろいでいた。その中で侯爵夫人だけは怒りがおさまらないようだった。我が家を好きに荒らされていたのだから無理もない。押さえていた怒りが膨れ上がり、今や警備隊所轄署に乗り込み、その一連隊を引き連れ、悪党の掃討作戦を始めそうな勢いである。

「奥様、今下手に動いては連中に逃げられる怖れがあります。それにどんな危険が降りかかることになるかもわかりません」

「じゃぁ、どうしろというんだね?」

「わたしたちにお任せいただけませんか。ラムゼー家はもちろん他に巻き込まれた方々全ての名誉を傷つけることなく事を纏めてご覧にいれます。もちろん追加報酬は頂きません」

「それじゃ、やって見せておくれ。楽しみにしているよ」

 

 工務店及び不動産管理請負トンキン・ワンのシュガー・ケイは朝起きてから、奇妙な衝動に取り憑かれそれを振り払うことに苦労していた。昨日誰かがやってきた気がする。だが何があったのかはわからない。何度追い払っても、もう一人の自分が甘言を用い自分を説得に掛かってくる。

 とは言ったものの、その抵抗も昼前までだった。元々対して芯の強い男ではない。責任感は乏しく、人に厳しく自分に甘い事が特徴だ。彼は内なる声に従い行動することを決めた。内なる声の中で一番彼の心に響いたのは、仲間など捨てて逃げてしまえという言葉だった。彼がその言葉の魅力に抗えるはずもない。

 シュガー・ケイが仲間を売り払う事を決めた頃、彼の店に一人の女が現れた。ライス・ケーキ・ムーンと名乗る女で、今回の企ての協力者である。いい加減な記事を書き新聞社を追われてもなお、信用性の薄い記事を書き続け、それで生計を立てている。

 何の用かと問えば、彼を同じ思いを抱いていた。ならばいいだろう、この女も連れて行こう。そして仲間と同じく置き去りにすればよい。

 

 月明かりに照らされた公園に乗り込んできた幌付き馬車は北隅にある東屋の傍に停車した。速やかに車内から降りた男達は、馬車の影に隠れ石畳の一枚を剥がし、その下に現れた階段を下りて行った。

 ランタンを片手に闇の中を進み、地下室へと向かう中で男達の一人が違和感を感じた。この場にそぐわない匂いが漂っているのだ。薄いが香だ、香水の匂いか。ホテルや歌劇場、宝飾店に漂う獲物の匂いだ。男の鼻は人並み以上によく利いた。それで難を逃れたのも一回や二回ではない。しかし、今回男が感じたのは獲物の匂いであったため警戒心へと繋がらなかった。普段誰も使わないはずの通路になぜそのような匂いが漂っているのかという疑問に至らなかった。

 先頭の男がドアノブを回すといつも通り鍵は開いていたが、地下室は闇だった。しかし、無人ではない。部屋の中央にランタンも点けず棒立ちしている倉庫係のケイがいた。なぜかその横に冴えない細身の中年女も立っていた。運び出す荷物は多いが、手伝いを呼ぶよう指示をした覚えは仕切り役の男の記憶にはなかった。運び出す準備をした様子もない。

 この地下室は長年盗品の倉庫として活用してきた。持主は貴族で大使として外国に出向いており留守中、入口は離れた公園ときている。いいように使い放題だった。

 それもつい最近までの話だ。大使は帰国することになり、その家族の内で婆さんが先乗りで帰って来た。とっとと荷物を片づければよかったのだが、奴の婆さんから家を取り上げて見せるとの声を信じ、任せてみればこのありさま、今更できませんでしたなんぞあったものではない。

「おい、代わりの倉庫は用意できたんだよな」仕切り役は努めて気を落ちつけ倉庫係に問いかけた。

「そんな物はない」とシュガー・ケイ。

「倉庫の用意ができたから呼びだしたんだよな」精一杯の理性を持って改めて聞尋ねた。

「ねぇよ。ここへお前達を呼び出したのは売り飛ばすためだよ」仕切り役は怒るよりむしろ驚いた。いつもどこかビビった小物感丸出しの男とは思えない勢いだ。「お前達を売り飛ばして俺は逃げる。稼いだ金を持って帝都を出て新天地に行くんだ」

 一通りの芝居ががった手振りを交えた口上を終えた倉庫係は、腰に手を当て大笑いを始めた。もちろんその後に喝采などなく、彼を見舞ったのは仕切り役渾身の拳とひじ打ちだった。激しい連打を受けたケイは折れた歯と血を吐き出し、その場に倒れた。それでも気の収まらない男はケイの胸や腹を幾度となく蹴りあげた。

「それぐらいにしておきなさい」おちついた女の声が部屋に響いた。「ここで殺してしまってはすぐ足がついてしまいますよ」

 仕切り役の目の前に女が二人現れた。黒い外套を羽織った背の高い女。真っ赤な瞳と気味の悪い白い肌、漆黒の長い髪はランタンの光を受け美しく輝いている。その傍にはお仕着せの金髪少女が控えている。

「馬鹿な計画は中止して、彼は重りでも抱かせて、港の沖に沈めておいた方がよかったのかもしれませんね。そして荷物は侯爵夫人に悟られぬうちに運び出す。その方が賢明だったのかも」

 女は微笑みを浮かべた。

「アクシール・ローズです。お見知りおきを」

 仕切り役とその仲間その名前に反応し無言で身構える。

「みなさん、ご存じのようですね」少女が呟く。

「雰囲気をつぶすのはやめなさい」ローズがため息をつく。「馬鹿話で屋敷を奪い取ろうなんて、本当に馬鹿としか思えませんね。まぁおかげで、あの人数でお屋敷めぐりと宝探し体験は新鮮だったので良しとしましょう」

 シュガー・ケイがゆっくりと立ち上がり走り出し、ローズの脇を抜け屋敷側の扉へと向かった。さっきまで殴られ転がっていたとは思えない素早さだ。突っ立ったままだった女もそれに続く。それに釣られた男達も一歩足を踏み出す。

「お止めなさい」

 地下室にローズの声が響く。

 男たちの目の前でケイと女が動きを止め、彼らの全てが白く変わっていく。手を伸ばし扉にすがりつこうとする姿のまま、髪も肌も服も全ての色が抜け白く変わっていく。

「動かないで、まだ説明してませんでしたが、この部屋の床何箇所かに石化の罠を仕掛けてあります。もしそこに身体が触れると」ローズはさっきまでケイだった白い塊を指差した「こうなります」

 男達が恐怖に後ずさりをする。

「落ちつきなさい。何も取って食おうというわけはありません。それは知っているでしょ。提案があります。ここの盗品を手に警備隊に出頭し、お上の慈悲にすがるか。このような躍動感あふれる石像になるか。どちらかを選びなさい」

 男達はお互いの眼を見て様子を窺った。仕切り役が壁際に二本のナイフを投げ捨て、服従の意味を込め両手を上げた。他の仲間もそれに倣い従う。鞘ごと投げ捨てられたナイフの一本が床で跳ねた後に白く変化した。それを見た男達の顔色も蒼白に変わる。

「嘘じゃないでしょ」

 ローズは微笑みを浮かべた。


 数日後、ラムゼー家の幽霊騒ぎの顛末が以前記事が掲載された三紙に載せられた。

 かの屋敷に於いての幽霊騒ぎの記事は全くの虚偽であり一片の真実も含まないことが複数の証言の元検証されたと述べられていた。そして、社外からの持ち込みであったとしても、その真偽を確かめないまま掲載したことへのお詫びと再発防止への取り組みが書き連ねられた。

 謝罪文の後にこの記事によって起こった椿事が紹介されていた。記事は全くの虚偽であったが、それを真に受けた窃盗団がいた。彼らは以前から屋敷が無人である事をよいことに盗品倉庫として利用していた。彼らは記事により屋敷話題になることを恐れ、盗品を運び出すべく屋敷に赴いたが、そこで何かを目にして神の慈悲を乞うべく警備隊へと自ら出頭したという。

 その後、知らせを受け現地に赴いた司祭の調査によると、屋敷は清浄であり、もし彼らが何かを見たというのなら、それは罪の意識による幻影ではないかとの言葉を残している。


 帝国歌劇場夜の公演、いつもは静かなローズの桟敷席が今日は賑わっている。テーブルと追加の椅子が持ち込まれ幕間の一時が小さな茶会の場となっている。招待されたのはヘイゼルミア侯爵夫人とその侍女オミ、そしてニコライである。

 着席した客達が見守る中、フレアがカートに載せられたリング状のケーキにナイフを入れる。ほんのりと果実酒の香りが漂う中、まず一切れが皿に載せられた。生地は太陽のように黄色く、ドライフルーツが散りばめられている。厚く切られたケーキがそれを待ちわびる客達の前に配られた。

「菓子店インフレイムス、渾身の新作だそうです。どうぞお召し上がりください」

「あの店かい。それは楽しみだね」

 侯爵夫人は添えられたスプーンでケーキから小片を削り取り口に運んだ。それを見たニコライ、オミもケーキに手を付ける。

「これは……」

 侯爵夫人は満面の笑みを浮かべケーキをゆっくり口の中ですりつぶし味わい飲み込んだ。

「南方の果実をたっぷり使っていると聞いております」

「うん、フルッタの酸味がいい感じに効いてるよ。ここでこれが食べられるとは思わなかった。ねぇオミ」

「はい」

「これが南方の味か。甘みと酸味のバランスが絶妙だ。使っている酒も思ったほど濃くはない」

 ニコライは豪快に三口ほどでケーキを食べ終え、スプーンについたドライフルーツの小片まで舐めつくした。

「残りはまだたっぷりありますので、フレアにお申し付けください」

 その声にニコライはすぐに手を上げ瞬く間に一切れを平らげた。

「今回はあんたに世話になりっぱなしだね。騒ぎを収めてもらったばかりか、正教会から清浄とのお墨付きまでいただいた」

「こちらは興味のまま動いただけです。その成り行きで対価まで頂戴して申し分ないことです。後は盗まれた品々が元の持ち主へと戻ることを願うばかりですね」

「そうだね」

 ゆったりとした曲が流れる場内、幕間の茶会は今しばらく続いた。


 警備隊が押収した宝飾品などは持ち主に速やかに返還される運びとなった。それには彼らが几帳面につけていた仕事の記録が非常に役に立った。彼らは自分達のなした仕事を日時、場所そして手に入れた物品、その流通までつぶさに記録していた。おかげで犯罪の全容もつかみやすくなり、彼らもお上の慈悲にすがりやすくなった。

 彼らのかつてのお宝は現在警備隊の証拠品倉庫に置かれている。持主が特定された物品は裁判などの手続きを経た後返還される。しかし、躍動感ある石像となったシュガー・ケイとライス・ケーキ・ムーンは持ち主の名乗りもないため二度と世間へは戻ることはないだろう……。石材と生物の中間の生命体となり永遠に宙をさまようのだ。そして死にたいと思っても死ねないので━考えるの止める、なんてことはなくいつまでもくよくよと泣くことになるだろう。

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