第2話

 ニコライは外出時に早急な発見を請け合ったが、事はそう簡単には進まなかった。つい最近まで空き家だったはずの家屋には住民が入ったらしく、戸口には見慣れないベルが吊るされていた。他の一軒では改装工事が始められていた。居合わせた親方に声を掛けてみると、工事は順調に進んでおり二週間後の納期に間に合いそうだと笑顔を浮かべ答えた。

 通りの終わりが近づき、フレアは記事の信用性を疑い始めた。新聞が嘘を掲載するのは珍しいことではないが、その際は何か目印を付けてほしいと常々フレアは感じている。ローズに命じられ真偽を確かめるのはいつもフレアの役目なのだ。余計な仕事が増え面倒でしかたない。

 注意深く周囲を観察する中で、フレアは一軒の家屋通り過ぎる間際に、何かを感じその戸口へと駆け戻った。一見して放置されている様子はないがフレアは空き家であると判断した。

「ニコライ様」フレアはすでに遠ざかっていたベルビューレンを呼び戻すために声かけた。

「何だね」彼は駆け足で戻ってきた。

「ニコライ様、ここは空き家ではありませんか」

「あぁ、そういえば、そうだな。どうしてわかった?」

「まぁ、雰囲気でしょうか」フレアは説明をそれだけにとどめておいた。

 簡単にいえば生活臭である。今現在無人であっても、そこに人が住んでいれば自然に匂いは付く。

 体臭に食物や料理などの香り、そして食べれば当然出るものがある。人がそこを生活の基盤としていればそれらが綯い交ぜになった匂いが漂いだす。ここではそれは感じ取れない。誰でも感じ取れるものではない。それはフレアが三百年かけて身に着けた能力で帝都でローズの元に居ついても衰えてはいない。

「確かにここは空き家になって長いな。古い友人の家だが、定期的に手入れはされているはずだ。それに幽霊の噂なんて一度も聞いたことはない」

「そうですか」

「この先でもうチェストナット通りは終わる。記事は住所を間違えているか。作り話かもしれないな」

「残念ですね」

 これは本音である。作り話ならこれまでの調査は無駄となる。それが半日かからずわかれば楽な方ではあるが。

「何の用です、あなた方は。屋敷はぜったい売らないといったでしょう。さっさとお帰りなさい」落ちついてはいるが、怒りに満ちた女性の声が二人の背後から聞こえた。

 振り向くとバッスルドレスの小柄な初老の婦人が立っていた。葡萄酒色を基調としたドレスで結いあげた髪も紫、頭の上には羽根つきの小さな帽子がちょこんと乗っている。巨大な腰当てによって盛り上がったお尻と地面で引きずりそうなスカートの裾。帝国歌劇場などでよく見かける衣装だが、フレアはそれを見るとつい鶏を連想してしまう。丸々と太り尾羽を大きく広げた雄鶏である。

 婦人に邪魔者扱いされたベルビューレンはしばし彼女を見つめていた。そして慎重に言葉を発した。

「あなたはウィリアムの母上マーガレット様ではないですか?俺はニコライ、ニコライ・ベルビューレンです。ウィリアムの同級生でここには何度もお邪魔したことがあります」

「ニコライ、あぁ……」夫人も彼の言葉に思い当るところがあり「テューピンゲン侯爵の三男坊だね。大きくなったね。ウィリアムとは仲良くしてくれてたね。まぁ、一緒になっていろいろとわたしを面倒事に巻き込んでくれもしたけど」

「はははぁ、その節はすみませんでした」ベルビューレンは頬を軽く引きつらせて笑った。「フレア、こちらはヘイゼルミア侯爵夫人だ。そしてこちらはフレア・ランドール、俺の友人です」

 フレアは侯爵夫人に対し頭を下げた。

「フレア・ランドール、そうか、どこかで見たと思っていたら、あんたあのアクシール・ローズのメイドだね?」

「はい、ローズ様にお仕えしております」

「おば様、フレアは……」

「もう子供じゃないんだ、その呼び方はやめないさい。それからフレア、気を楽になさい。ローズもあなたも人を手に掛けることはここに来てからは止めたんだろう。正教会のお墨付きも貰っている。それなら同じ帝国の住民だ。身分の違いはあってもね」

「ありがとうございます」

「あんたの姿は昔よく見かけたよ。歌劇場でローズの後をついて歩く姿をね。こんなところで会うことになるとは思ってもみなかったけど」

「俺も侯爵夫人がこちらに戻ってきていたとは……さっきは屋敷は売らないとか言われましたが……」

「あぁ、いろいろとあってね。ここで立ち話もなんだからホテルに戻ろうか。おいで二人とも、侯爵の三男坊と塔のメイドがどうして友人なのか聞かせておくれ、積もる話のと一緒ににね」

 伯爵夫人は通りの端へと早足で一人で歩きだした。

「ニコライ様、お時間はいいんですか?」

「問題ない。夜も働けばいいだけだ」

 これ以上言葉を交わす暇もなく二人は侯爵夫人の後を追った。


 ヘイゼルミア侯爵夫人が逗留しているホテル・スマグラーズは、帝国歌劇場と同じく大通りに面した一等地に建てられている。フレアはローズと共に何度となくその前を通っていたが、中に入るのは今回が初めてだった。

 歌劇場に勝るとも劣らぬと言われていた内装にはフレアも頷けた。砂漠を越え運ばれた乳白色の石材をふんだんに使った豪奢なロビー、床には近東から取り寄せた細かな紋様が散りばめられた絨毯が廊下に敷き詰められている。細かな調度品にも目を奪われるが、フレアはどうにも落ちつかない。

 このように規模が大きく退路に乏しい建物では警戒心の方が先に出てくるのだ。帝都に少し来る前にフレアは似たような建物でヘマをやらかし、大騒動になったことがある。当然のそこにはいられなくなりその日のうちに逃げ出した。怪我は問題なくすぐに治ったが、その出来事はフレアに強い教訓を残し、帝都に落ちついた今も消えることはない。

 一階の奥まった場所にある喫茶室で、ニコライと雑談を交わしながらフレアは気を紛らわせていた。しばらくして伯爵夫人の侍女が現れた。彼女の居住先で雇われた帝国まで着いてきたのだろう、フレアより少し体格は大きいが同じ金色の髪と白っぽい肌の女性である。彼女は若干訛りのある言葉で、主人が部屋で待っていると告げた。侯爵夫人は降りてくるつもりはないらしい。

 侍女に案内されたのは三階の一室。赤い絨毯が敷かれ照明が控えられた廊下を歩いて到着する最奥の部屋。部屋は廊下と違い、鎧戸とベランダへと通じる窓が解放され、陽光差し込む明るい雰囲気となっている。

 家具、調度品の趣味はほぼローズ同様である。つまり少し時代がかっている。これは侯爵夫人ではなくホテルに依存するものだろう。ベランダに通じる窓が開けられているのはフレアにとっては新鮮である。ローズの要塞としての役目を果たす塔の窓や扉は開け放たれたままになることはない。

 侯爵夫人は部屋着に着替え、ティーテーブルの向こう側にある四人掛けのソファーに腰を掛けていた。二人は勧められるまま彼女の前のソファーに腰を下ろした。

 彼女によると侍女のオミと共に帝都へ戻ってきたのは二週間ほど前のことである。ラムゼー家は十数年に及ぶ大使の任を終え帝都へ帰還するそうだ。主人のヘイゼルミア侯爵は後継者との引き継ぎなどがあるため、夫人と侍女が先遣隊として帝都へ先に戻ってきた。

「ウィリアムも戻ってくるんですか?」

「もちろん全員戻ってくるよ。向こうで雇った使用人もオミの他にも何人かはついてきてくれる。これを期に義兄のレイリーは隠居し、本家はとりあえずウィリアムとミゼリーに任せ、ジョンとわたしは帝都で芝居ざんまいと思っていたんだけどね……」

「何があったんです?」

「さっきも言ったように、いろいろと面倒があってね。まず、帰ってきたら家の管理を任せていたシュガー・ケイが屋敷を売ってくれときた。もちろん断ったよ。その後もしつこく言ってくるんだけどね。ラムゼー家が代々受け継いできた家なんだ。わざわざ、今まで手間を掛けて維持してきたんだ。今更売れるもんか。ニコライ、あんた達を目にしてあんな声を掛けてしまったのもそのせいなんだ。下見の客かと思ってね。許しておくれ」

 今までおとなしく侯爵の指示を聞いていた男が突然反乱を起こし、そこに降って湧いたようにお化け騒ぎが始まり、その余波により屋敷に職人達を入れ、改修する段取りもまだ付いていない。伯爵夫人はその他、久しぶりの帝都における生活で溜まった不満と鬱憤をフレア、ニコライの二人に対して全てその場でぶちまけた。

「まったく呪われてるとしか思えないよ」

 ここで侯爵夫人の言葉は止まった。何を考えているのか彼女は言葉を発することなくフレアをじっと見つめている。

「呪いか。毒には毒というね。呪いには呪いだよ」

 見つめられるフレアは居心地悪そうに僅かに腰を引いた。他の二人も不安を感じ侯爵夫人の表情を覗き込む。

「フレア、あんたの主人を紹介してくれないかい」

「ローズ様をですか?」

「その通り、彼女に頼みたいことがある。悪くない話だと思うよ」

「はい」

「ローズはあんたのご主人は相変わらずのようだね。彼女の使用人のあんたが、この時期に現れたとなると狙いはうちの屋敷だね。お化け騒ぎの記事が載ったのは昨日で三紙目だ。あのケイは記事が出る度わざわざ知らせに来るんだ。忌々しいったらありゃしないよ。それがついにローズの目にもついたらしいね。彼女の事だ自分でお化けを追いだした後で高値で転売しようって考えだろう?」

「えぇ、おっしゃる通りです」フレアは答えた。どの道所有者が彼女では嘘は付けない。

「そこで提案なんだが、お化けを追い払うのを手伝ってもらえないか彼女に伝えてほしい。屋敷は売れないが、報酬は十分に出させてもらう。彼女の評判と力で屋敷を綺麗な状態に戻すのを手伝ってほしい。協力してもらえないか?」

 侯爵夫人はテーブル越しでフレアに詰め寄り、右手を取り両手で力強く包んだ。フレアは手を無碍に引く抜くわけにいかずそっと左手を添えた。

 それを見ていたベルビューレンとオミが歓声を上げ拍手をする。思い悩む御婦人を救う美少女の図の完成である。礼をいう侯爵夫人と喝采を上げる二人。

 だが、まだローズには何一つ報告を入れていない。その事実がフレアの頭に重くのしかかった。

 

「わたしに拝み屋の真似ごとをやれというわけ?」

 日が暮れて、フレアがローズに事情を説明しヘイゼルミア侯爵夫人からの依頼を伝えた時の彼女の言葉である。

 ローズは寝起きが悪いわけではない。他人に指示されるのが嫌なだけなのだ。元々拝み屋の真似ごとも彼女の計画のうちなのだが、それを指示されてやらされるのは気に入らないのだ。金が絡んでくるとなおの事素直になれない。

「それじゃ、お断りすればいいんですか?」ローズの髪をとかしつつフレアは尋ねた。

 ローズの返答はないが、このままの説得するのは難しいかとフレアは感じた。何か再度何か興味を引くことが必要だ。それができないなら代役が必要だ。その場合は仕事はエリオットの周辺に回すことになるだろう。

 ローズの化粧をを終えフレアが片づけを始めた頃、壁際に掛けてあるコバヤシの通話機の呼び出し鐘が鳴った。フレアが受話器を取ると、そこから聞こえたのは聞き覚えのある男の声だった。名乗ることはない声だけの知り合いである。ローズが使っている情報提供者内の一人である。

「ローズ様、依頼の件でお伝えしたい事がある方です」

「外部音声にして二人で聞きましょう」

 フレアは通話機の盤面に書かれたコバヤシ文字の一つを押し受話器を元の位置に戻した。

「こんばんは、例の記事について判明したことをお知らせします。まず、掲載された記事についてですが、文面は三紙とも全く同じです。それをもたらしたのはライス・ケーキ・ムーンと名乗る女の記者です。彼女は新聞社には所属しない外部の記者です。新聞社に書いた記事を売り込み、その報酬で生活をしています」

「今回は彼女の記事を三紙が買い取ったということ?」

「いいえ、逆です。彼女が掲載料を支払ったようです」

「女の方が……何のつもりかしら」

「本人に直接聞いてみてはどうですか?住所をお知らせします」

 男が告げたのはここから少し西の住宅地だった。

「記事の裏も取ってあります。件の屋敷は長い間無人で、たまに訪れるのは維持、管理を任された工務店の職人や掃除夫のみです。彼らによるとこれまで妙な噂や聞いたり体験をしたことはないそうです。記事も見せましたが被害者に心当たりもないようです。店主も職人も記事については知らないとのことです。付近の住民も同様です。念のため警備隊や病院にもそれらしい被害者がいないか確かめてみましたがいませんでした」

「記事は女の創作の可能性があるわね」

「その可能性は大きいでしょう」

「ありがとう、また頼むわ」

「それではまたよろしくお願いします」

 男の声が途絶え、通話機の盤面の文字の輝きが消えた。

「妙な話ね。管理の男は侯爵夫人に記事の事を再三告げていたはず、それを何も知らないとは、記者の女も何がやりたいの?自分が金を出して記事を載せるなんて」

「やっぱり、あのお屋敷に何かあるんでしょうか?」

「そういうことかしら、まぁ、いいわ。何があるのか一度見に行ってみましょうか。フレア、侯爵夫人にご依頼お受けしますと連絡をしておいてもらえるかしら」

「はい、そのように」

 フレアはそっと胸を撫で下ろす思いだった。ローズの顔は敢えて見ないようにした。 

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