眠れる木

眠れる木 第1話

 帝都新市街において、吸血鬼アクシール・ローズは古くから受け入れられている。そうはいっても、それはたかだか二百年ほど前からのことであるので、この表現が本当に適切なのかはわからない。

 新市街の住民達が皆ローズのことを知っているといっても、彼らが直接ローズと触れ合うことはまずない。ほとんどは塔のメイドと呼ばれているフレアとの接触である。そのため今塔の前で起きていることは紛れもなく珍事といえる。

 塔の玄関扉の前に現れたアクシール・ローズ。そのいで立ちは派手な刺繍が施された黒い外套。顔の上半分を覆う黒い仮面のという通常の外出着。その姿を目にして軽い歓声が上がるのも珍しい事ではない。

 珍しいのはここからである。塔の前には行列ができ、その先にはローズがいる。ローズは住民の顔の前で右手の白い指をかざす。一呼吸分ぐらいの時間でそれは終わる。

「次の方どうぞ」

 フレアの言葉に促され、ローズの施術を受けたの者は会釈なり礼の言葉を述べた後、次の者と交代する。反応は様々だがおおむね皆笑顔で去っていく。通りはこの行列とそれを珍し気に眺めていく人々でいつもより混雑している。

 ローズが接するのは実質的な手下となっているゴロツキ達より、一般住民の方が遥かに多いのだが、このような接し方は珍しいことで今まではまずなかった。

 

 事の発端は四日前のこと芝居見物の帰りにフレアを知る男たちと出会いだ。いつもはもう人通りが絶えているはずの時間に男たちは出歩いていた。そして、フレアを見かけ声をかけてきた。彼らはどうにも眠れず出てきたという。それがここ一週間ほど続いており困っているというのだという。

 眠りが自分の行動に大きく制約を与えているローズとしては、その悩みは実に興味深いものだった。わずかだった人間の期間でも、そのような悩みを抱いたことはない。そのため彼女は男たちを傍に呼び、話を聞き不眠を解くためのごく軽い意識操作を行った。男たちは喜び自宅へと戻っていった。

 翌日、塔の扉を叩く音がしてフレアが対応に出てみると同じ不眠の悩みを抱えた男女が並んでいた。不眠を助けてもらえると、昨夜の男たちに聞いての行動だった。

「軽く処置をしておきます。もしまだ続くようなら、きちんとお医者様に相談した方がいいですよ」

 この言葉を添えローズは同じ意識操作を行った。そして彼らは穏やかな笑みを浮かべ帰っていた。これは終わりではなく、始まりだった。次の日からは陽が沈む前から人が集まり始めるため、今ローズはその対応に追われている。

「とりあえず、今日は終わりのようね」最上階のベランダの手すりから街路を見下ろした。

 街路に人気はまばらで、幾つかの居酒屋の戸口から灯りが漏れだす程度で過度の賑わいは収まっている。

「入りましょうか」

「はい」

 部屋に戻るとローズはすぐに外套を脱ぎ、フレアに投げ渡した。フレアはそれを宙で受け取り鋼鉄製の衣装掛けに掛ける。二人は軽々と扱うが、一着で板金鎧一式分の重量を持つ外套である。たとえローズのような存在であっても長々と着ていたくはない。

「もっと長くたとえば一年効くようにできないんですか?」

「できるけど、危険なのよ。どんな障りがでるかわからない」お気に入りの椅子に深く座りもたれかかる。

「それにしても効果が四、五日というのは短いですね」

「仕方ないわ。あの人たちの体への負担を最低限にしておかないと」

「それで指かざすだけなんですね」

「あぁ、あれはお芝居よ。あの人たちに落ち着いてもらうための演技ね。かなり緩い操作だから、やってることを相手に認知してもらう必要がある。これで眠れるようになると思えばすこしは効きもよくなる」

「そうなんですか」

「だいたい、あなたはわたしが指出して人を操っているところを見たことある。あなたを含めて誰もが気が付かないうちに夢の中のはずよ」

「あぁ…」フレアは顔をしかめた。

「それより、最初に来た人たち効果が切れるまでに、何が起きているか探り出す必要があるわ。人が眠れなくなることがあることは知ってるけど、同じ地域の人たちが同じ時期に眠れなくなるなんて、そうある事じゃないわ」

「わたしも人の中で生活してきましたが、あまり聞きませんね」

「そうでしょう。何か明確な原因があるに違いないわ」ローズは一息間を置いた。「玄関口に並びに来た人の大半は、ここから少し四番街のから来てたわね。後は噂を聞いて紛れ込んだ人、特に期間が長い人はちゃんとしたお医者様に行くように促しておいたわ」

「それだけ悩みが深いという事ですか」

「そうね。わざわざ、吸血鬼を頼って来るんだから。それよりあなたは並んでいた人たちから何か感じなかった?」

「共通点ですね」フレアは列を作り並んでいた住民たちの顔を思い浮かべた。「そういえば、匂いでしょうか。花か果実の匂い……が皆さんから薄っすらと漂っていました」

「何かわからない?」

「残念ながら……」

「流行り物かしら、それにしても四番街だけというのも変な話ね」


 四番街と呼ばれている地域は帝都東端の八番街と並ぶ歴史を持つ一帯である。教会、商店、学校、診療所、そのほか一通りの施設は揃っているが、塔のある三番街のような賑やかさはない。フレアには東への通り道という認識が強い。一般住民の居住地のためローズやフレアが関わることも少ない。大半の用事や面倒事で赴くのは東端か旧市街のためだ。

 普段は通り過ぎるだけの道を話題に出た花の匂いを意識して歩く。三番街との境界から五番街へ向かい縦横に歩き、匂いの出所を探る。月に二回は足を踏み入れていたのも関わらずフレアにはあの匂いに心当たりがなかった。街路を歩き、流行り物の可能性を追い店をめぐるが探している匂いを放つ商品はない。

 正に右往左往と歩き回っているうちにフレアはようやく薄っすらと匂いを嗅ぎつけた。匂いが濃くなる方角を求め更に歩き回りたどり着いたのは公園だった。 

 ここにはつい最近記念碑の除幕式に立ち会いにローズと共にやって来た場所だ。古い公園らしいが、あるのは大きな木と簡素な東屋と長椅子がいくつか置いてあるだけだ。物売りなどはおらず、長椅子や木の陰で合わせて五人ほどは座り、駆け回っている子供たちがいる。

 ここが今までで匂いが一番強いことを確信し、フレアはその発生源を考えてみたが公園の中には枝を大きく広げ、葉を茂らせた大木しかない。

 近づいてみると木は朱色の綺麗な花を咲かせていた。数は多くはなくぽつりぽつりと目に入る程度だが、以前フレアが来た時には緑一色でまだ咲いていなかった。匂いはさらに濃厚となり、発生源はこの木で間違いないとフレアは判断した。そうはいっても、この匂いを感じ取れるのはフレアぐらいだろう。

「こんにちは、フレアさん」

 花を見上げていたフレアに幹を背に座っていた女が声をかけた。女は立ち上がり軽く会釈をした。

「こんにちは」フレアも軽く腰を折り笑みを浮かべる。

「昨夜はありがとうございました。一週間ぶりにゆっくり眠ることができました。本当に助かりました。寝すぎでぼんやりして散歩してやっとすっきりしました」女は少し恥ずかし気に笑った。

「よかったですね」

 フレアは眠りについては子供の頃の体験しかないが、ローズが力を抑えた意味は分かった。力を加減しないと今度は起きることができなくなるのだ。

「たくさんの方が来られてますが、皆さん眠れなくなってるんですか?」

「そうですね。近所中全員です。大人も子供も全部」

「何もなく突然ですか?」

「ええ、特に何も初めは寝つきにくいな程度だったんですが、ついには眠れないまま朝ってことになって、わたしだけかと思って話したら主人も一緒で、そればかりか近所の人も同じ、何が起こっているのか怖くなって余計に眠れなくなって、そんな時に父が噂を聞きつけて昨夜は家族全員で出ていきました。ありがとうございました」

 女は両手でフレアの手をしっかりと握りしめた。自分の言葉で感情を高ぶらせ涙を流さんばかりである。

「お役に立てて何よりです」

 フレアは女が落ち着くの待ってもう一度質問を繰り出した。

「皆さんが一堂に集まる機会はありましたか?家族親戚だけでなく近所の方も含めて」

「あぁそれは……三週間前ですね。ローズさんにも来ていただいた、あの記念碑の除幕式です」女は少し離れた場所にある新市街建立二百年記念を記念碑を指差した。

 確かな建立の期日がわかったとしても二百年などとっくに過ぎている。だが、旧市街側が五百年というので、こちらも何かやろうと 誰かが言い出しのが始まりでそれが実現したのだ。

「それだと、関係なさそうですね」

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