第8話
まだ鮮血の剣について気になることはあるが、日常業務も残っている。フレアは旧市街帝国歌劇場のそばにある高級菓子店インフレイムスへと向かった。そこはローズが塔を建設し新市街を興す前からその場所に店を構え、皇宮にお菓子を納める老舗である。新市街の住人なら数日分の食費が飛ぶようなお菓子が並べられているが、最近は手頃な値段のクッキーの袋詰めなども用意している。
「こんにちは」フレアは店の裏口の扉を軽く二回叩いた。
少し間をおいて扉が開いた。
「こんにちは、ランドールさん」戸口には見た目はフレアと同じぐらいの歳のお仕着せを着た少女が出て来た。名前はコハクだったはずだ。
「いつもの用意できてますよ」コハクはそういうと店内に引き返していった。
彼女が店内に下がると、店内の奥に、天井から下がっている鳥かごが見えた。中の止まり木には丸々と太った鳥がいた。初めは小型のフクロウかと思われたがそうではない。種類はまるで分からないが、とにかく嘴はピンクで羽根は白く丸々と太った鳥だ。それは今、一心不乱に羽づくろいをしている。前に訪れた時はいなかったはずだ。
「お待たせしました」クッキーが詰まった木箱を重そうに引きずりコハクが戻ってきた。
「その子、ちょっと変わってるけど、可愛いでしょ」
「どういう鳥なんですか?」たしかに丸々とした鳥は少し変わってはいるがかわいい。しかし、二百年以上この大陸各地東方まで放浪していたフレアはまだこの鳥は目にしたことはなかった。
「お客様からの頂き物のお人形なんですよ。よくできてるでしょ」
鳥は羽づくろに気がすむと、真ん丸で赤黒い目を閉じ、止まり木に深く沈みこみ眠り始めた。白い尾羽だけがピクピクと上下する。
「名士街にお住まいの貴族の方が持ってこられました。西方の周辺警備隊に出征された時に、戦闘中に腕に大けがをされて、つい最近帝都に戻ってこられた方なんです。右腕を失ったことでしばらくは落ち込んでおられたんですが、良い職人さんに出会われて義手ですが、腕を取り戻されて、それからもうすっかりその職人さんに魅了されて、御自分も人形細工を始められたんです」
「では、あの鳥はその方が作られたものですか?」
鳥はともかく、元警備隊で義手の男なら興味がある。
「ええ、今は自宅に工房まで作られて、自信作はお知り合いの方に配られているようです。今日、朝一番に痛々しい姿で店に来られて、その鳥を置いて行かれました」
「何があったんでしょうね?」
「昨夜飲みに出て、そこで喧嘩に巻き込まれたそうで、酷いとばっちりでえらい目にあったとこぼしてらっしゃいました」
「それは大変だったでしょうね。その方のご自宅はどの辺りにあるんですか?」
元周辺警備隊に所属し、昨夜喧嘩に巻き込まれ負傷した義手の男が見つかるなど出来過ぎな気もしたが、念のためフレアは木箱を塔に置いてからその男の元へと向かった。しかしその住まいは名士街、そこに知り合いがいるといっても、無関係の者がフラフラと歩きまわれる場所ではない。いつもは届け先が書かれた荷物を持っているが、今日はそれさえない。
幸い男の屋敷はすぐに見つけることができた。そこはバンス・ニール博士の屋敷に向かう途中でそれとなく目印にしていた建物だった。その建物だけが外壁の赤味が強く目立っていたのだ。二階の開け放たれた窓の傍には、天井から吊るされた鳥かごが見え、例の太った白い鳥があわただしく毛づくろいをしていた。場所は間違いなさそうだ。
「あぁ、そこの君!」
鳥を見上げていたフレアはその呼びかけの声の方に目をやった。
鳥かごの隣の窓が開き、そこから大柄の男が身を乗り出している。茶色く長い髪を後ろで纏め、作業用のゴーグルを額に上げている。
「そう、君だ。当家に何か御用かな?」
地味に行動したかったフレアだったが、そうはいかないらしい。
「君は……そうか!あぁ少しそこで待っていてくれないか!」男は一人で盛り上がっている様子で室内へとかけ戻り、程なく玄関から駆け出してきた。さっと見たところわりと端正な顔立ちだ。コハクが言っていたように、右頬の辺りに痛々しい痣がある。胸元が開いたシャツの中の胸や肩口にも同様のものが見られる。
「俺はニコライ・ベルビューレン。ニコライと呼んでくれ。この屋敷の主人だ。君はあのアクシール・ローズ殿のメイドだね。いいところで会った。君をぜひ我が家に招きたい。君が喜びそうなものも用意できると思う」ニコライはフレアの右手を取り、両手でやさしく包んだ。
「はい、日没前まででよろしければ」
フレアは自分がローズと共に新市街では有名人であることはわかっていた、だが名士街でこの展開は予想していなかった。
「ありがとう、それでかまわないよ。日が沈むと君も忙しくなるだろう」
客間に通されたフレアの元に最初にやってきたお仕着せを着た少女だった。
「お待たせしました」
少女はフレアの前に飲み物と干し肉が入った鉢を置き、一礼をしたのち去っていった。入れ替わりにニコライと少し年嵩の男が続いて入ってきた。黒い髪の男でその服装から執事と思われる。ニコライは少女をニアと呼び、ねぎらいの声を掛けたが少女の反応は薄かった。
「彼女をどう思う。人形なんだが、よくできているだろう」ニコライはフレアの向かい側に席に座った。
「ご自身で作られたんですか?」あの丸い鳥から等身大の人形なら大進歩である。
「俺の力ではあのような人形はまだまだ無理だよ。友人の人形師ラルフ・シェーパースが置いて行った物だよ。運用試験といったところかな」ニコライは笑った。「ところで、君は俺の作品である極楽鳥を熱心に眺めていたようだが、あれをどう思う?」
「かわいいと思います。実は……今日お菓子のインフレイムスであの鳥を目にしまして、その際ニコライ様のことを教えていただきました。そしてちょうどこのお屋敷がお使いの帰り道の近くということで……」
「イェスパー、お前は俺の極楽鳥をブサイクなどというが、ここにも良さを認める者がいるではないか」ニコライは後ろに控えて立っていた男に自慢げに語りかけた。
「確かに、皆さま好意的な評価を揚げてらっしゃいますが、それはニコライ様に面と向かってブサイクなどと言わない分別をお持ちの方々だからです」イェスパーも負けてはいない。
「ふん、言っておけ、俺が腕を失ってふさぎこんでいる時、あの店と芝居にはえらく世話になった。ラルフに会ってようやく腕を取り戻し、人形細工という打ち込むものをみいだし、俺は復活することができ……ぃたた」派手に腕を振り回し話していたニコライは肩を押さえ軽くうめいた。「まあ、まだ造形には問題はあろう、しかし俺はラルフの人形の売り込みに協力をしたいのだ。皆の眼に人形が触れれば、ランドール嬢のように興味を持つ者がでてだな……ぃたた」また肩を押さえるニコライ。
「痛みどめをお持ちしましょうか?」
「いらん、布がすれただけだ。三日もあれば治る」
「わたしも気になっておりましたが、そのお怪我どうされたんですか?」フレアはチャンスを逃さなかった。今なら自然な流れでこの質問ができる。
「あぁ昨夜、ちょっとしたトラブルに巻き込まれてね」
ニコライの声は小さくなった。後ろにいるイェスパーの様子をちらちらと伺いおちつかない。
「帝都警備隊より不要不急の外出は控えるようにと要請が出ている中で、パブに行き喧嘩になり、その果てにお忙しい警備隊の方々の手を煩わせて聖クラクフ分署まで連行され、わたしがお迎えに行く。その一連の流れがちょっとしたトラブルですまされるのでしたらですが……」
「あれは本当に巻き込まれたんだ。俺は静かに飲んでいた、だが気が付くとなぜか店をあげての乱闘騒ぎだ」
「そこで居合わせた何人かを床に転がした。幸いどなたも大事なく朝にはご自宅に帰られたそうですが、警備隊の方々はさぞ迷惑だったでしょうね」
「あの留置場に入れられたんですか」
「そうだ。あそこはどうしてあんな妙なにおいがするのだ?君もよく知ってるな」
「あぁ、わたしもつまらない誤解がもとで閉じ込められた事がありまして……」フレアはそれが一回や二回ではないことは言わないことにした。
「そうだろう、説明してもなかなかわかってもらえないのだ」
「酔っ払いの話など聞けたものではありません。それよりニコライ様、ランドールさんをお呼びしたのはそのような話をするためではないでしょう」
「おぅ、そうだったな」ニコライはイェスパーの言葉に手を打った。「俺もローズ殿と同様、芝居が好きでね。帝国歌劇場にはよく足を運んでいるんだ。あぁ、その干し肉はどうだね。いいものだよ」ニコライは目に前の鉢から干し肉の一片をつまみ口の中に放り込んだ。
フレアは勧められるまま肉片の一つを口に入れた。塩もスパイスも控えめで肉本来の味が生きている。味の薄さを嫌う者はいるかも知れないがフレアにはちょうどいい加減だ。
「いいものだろう。気にいってもらえたようだな」干し肉を続けざまに口の運ぶフレアの様子を見て口元に笑みを浮かべた。「まぁ、芝居についてはローズ殿とお会いした際に意見交換するとして、今日聞きたいのはあの方が使っている鉄馬車のことだ」
「それならわたしに聞くよりニコライ様が直接ハンセン・ベック社に行かれた方が確実だと思います。ニコライ様の御身分ならハンセン様も喜んで相談にのってくださると思います」
「それはわかる、わかるが、貴族といってもいろいろあるのだ。誰もが出された見積もりを見てすぐ首を縦に振れるわけではない。確かに我家はそれなりの領地も格式もあるが、わたしは帝都住まいの三男で腕を失って以来定職がない。当主である兄上からの援助にも限界がある」ニコライはため息をついた。
「とにかく貴族というのはめんどうくさいのだ。兄上は俺が実家に帰るおり、領民の目もあるので貧乏くさい貸し馬車など乗ってくるなという。きちんとした馬車を買うなら援助もしてやろうというが、しかし、そうなると馬の世話がいる。俺達に馬の面倒をみることはできない。そうなると馬丁を雇う必要がでてくる。さすがに兄上もそこまではみてくれない。そこに浮かんできたのがあの鉄馬の存在ということだ。あれなら使用人を増やすこともないだろしな」
「ランドール様、あの馬車はどれぐらいになるものなのでしょう?」イェスパーはニコライが言い淀んでいた質問を口に出した。
「だいたい同じタイプの馬車と比べて少し割高になる程度だと思います。特別な塗装、内装などが入ってくると金額は跳ねあがりますが、御紋を入れる程度なら大した追加なしでやってもらえると思いますよ」
「その程度ですむのか?」
「はい、最初は割高感があっても、馬の面倒はベック様に一任できますから管理も楽です」
「ニコライ様」
「うん、それぐらいの額なら兄上も、いやまて兄上もあれで保守的なところがある。コバヤシの馬などと聞いてどう言われるか……」
「その問題も解決できると思います」
「どういうことだ?」
二人の男がフレアをみつめる。
「アイオミ公爵様が二頭立てのキャリッジをお買いになって、近日中に納車が決まっているそうです。皆がそれを目にすることも近いでしょう」
「アイオミ公爵が、それは確かか?」
「はい、ここに来る前にベック様に見せていただきました。真紅と白に塗り分けられて素敵な馬車でした」
「それでは皇家筋のお墨付きを頂いているということで……」
「うん、兄上の説得もやりやすいというもの、なんとかなるかもしれんな。イェスパー、兄上に一筆書いておいてくれ」
「はい」
「ハンセン・ベックへはラルフにも同行してもらうことにしよう。あのコバヤシの機械というのはどうにもわからん」
「そういえば、ラルフ様は今体調を崩して休業中のようですね」
「そうなのか?」
「ラルフ様なら、昨日もこちらにメイド人形の様子を見においでになりましたが……そういえば……」
「どこか少し様子がおかしかったな、明日にでも様子を見に行くことにしようか……」
壁に掛けられた飾り時計が鐘を打ちもうすぐ日没であることを告げた。
「ああ、もうこんな時間か、まあ、君からは有意義なことがいろいろと聞けた。ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございました」
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