第32話~毛色~



 ひよのは、南渓和尚の言う通り

 次郎法師という、僧の名で出家をし、龍潭寺で、仏様に毎日手を合わせては、直親の無事を祈り続けていました。



 それから、8年の時が流れ……



 直親は今も尚、井伊家に戻る事はありませんでした。次郎法師も、すっかり僧としての生活に慣れ、沢山の兄弟子達に囲まれながら、穏やかな日々を暮らしていました。





「次郎、そなたに折り入って話がある」



 朝の御勤めの後、数珠を持ち直しながらゆっくりと振り返った南渓和尚は、次郎法師に向かってそう言いました。



「一体、何事でございましょう」



「少し遠いのだが、鳳来寺という寺があるのだ。そこの住職にこの経文を届けて欲しい」


「それはかまいませぬが、それだけが目的ではないではありませぬか、真の目的をはっきり申されませ」


「ハッハッハ!次郎はやはり面白い。真の目的は、行けばわかる」


「行けばわかる??」


「そう、全て自分で見つけてこそ修行だからのう」


 次郎法師は、不服な顔をしながらも、初めて知る外の世界に、少し胸を踊らせ始めておりました。





 *



 鳳来山に辿りついた、次郎法師と兄弟子数人は本堂への山道を、ただひたすらに、黙々と歩いておりました。



 登っても登っても、見えてこない本堂。

 次郎法師は、さすがに疲れ果ててきました。



「本堂はまだなのですか!!」



 次郎法師は立ち止まると、肩で息をしながら額の汗を右腕で拭い、大きく深呼吸をしました。


 すると、前方を歩いていた兄弟子がいきなり、右手に持っていた錫杖を、次郎法師の足元に向かって投げつけてきました。



「何をするのです!!」



 あまりにも突然の事に、次郎法師が全身に力を込めて固まっていると、錫杖は足元の地面に突き刺さり、よくよく見ると、蛇の身体をも貫いておりました。



「こんな所に、へ、蛇がっ………!!」



 兄弟子は、跳ねる様に降りてくると、錫杖を貫いた蛇ごと抜き取り「次郎は昔から蛇が大の苦手だからのう」そう笑顔を向けると、また前方を錫杖を鳴らしながら歩き始めました。



「次郎、山には蜂もいるし、毒蛇もいる。何時も油断するべからぁああず!」



 後方を歩いていた兄弟子も、笑顔でそう言うと、次郎の登る早さに合わせながら、また、共に本堂を目指し始めたのでした。




 *




 鳳来寺はあまりにも険しい山奥にある為、訪れる者はほぼなく、そのせいもあってか、外の世界とは、少し違う空気が流れる異世界でありました。



「これはこれは、遠路はるばるよくお越し頂きました。どうぞ此方へ」



 辿りついた一向を、鳳来寺の住職は歓迎し、招き入れてくれました。



 キョロキョロと周囲を見渡した次郎法師は、言葉にならない空気を肌で感じ始めていました。



「何だか、誰かに見られてる様な……」



 次郎法師の言葉に、兄弟子達は「気のせいだろう」と、取り合わずにいると


 鳳来寺の住職が振り返り、にっこりと微笑みました。



「南渓和尚様のおっしゃる通り、次郎法師様はどうやら毛色が少し違うようですね」


「毛色……?」


 突然、意味のわからない言葉を言われた次郎法師は、首をかしげました。


「毛色とは、生まれつきの癖の様なもの。本来ならば、滝に打たれ、山に籠り、必死に修行を重ねて初めて開かれし道を、当たり前に、生まれつきに、持ち合わせてしまう者の色の事」



「住職様が一体何を申されておるのか……次郎にはわかりかねまする……」



 次郎法師は少し困りつつ、両隣にいる兄弟子達に助けを求めました。



「まぁまぁこれから、この鳳来山の天狗達から色々は知る事になるでしょう」




 すると、どこから現れたのか、烏天狗達が沢山現れると、次郎法師と兄弟子達を取り囲み始めたのでした。



「て、天狗!?」



 次郎法師が慌てふためいていると、鳳来寺住職は更に笑顔になり、一礼をすると出ていってしまいました。



「一体これはどうした事でしょう……」



 次郎法師は、戸惑いながら、兄弟子達に問いかけました。


「烏天狗の面を被りし、山伏。つまりこの鳳来寺の修験者様なのであろう」


「それにしても、この数……音もなくこの数が現れる等、次郎には意味がわかりませぬ……」



 その言葉を聞いた、兄弟子達は動きを止めて次郎法師の事を不思議そうに見つめ始めました。



「次郎、先程から烏天狗が沢山等………一体何をおかしな事を申しておるのだ……」



「見たままを申しておるのです、ここにも、そしてそことそこ、あちらにも、こんな数の天狗を見たら、それは驚くのが当たり前にございましょう?」



 兄弟子達は不思議そうに見つめあうと、心配そうに次郎法師に語りかけました。




「次郎、この部屋にいる烏天狗、いや、山伏は目の前にいるひとりだけだ」


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