忍者の子

豊 海人

井伊家

第31話~井伊~





 時は戦国時代


「関ケ原の戦い」の、少し前のお話





 *




 ひよのは、井伊直盛の娘として生まれました。

 彼女は一人娘で、とてもお転婆な姫でありました。侍女が止めるのも聞かず、すぐに馬に股がり、男顔負けに野を駆け回る様な、そんな落ち着きのない姫でありました。



 年が近い従兄弟や、家臣の子供達とも身分関係なくいつも共に遊び、そんな沢山の幼馴染たちと共に、健やかに健やかに成長していったのでした。


 父、井伊直盛からは「あぁお前が男であれば……」といつも言われ、母からは「あぁこのままでは嫁にいけなくなる」といつも心配されておりました。



 姫はそんな両親の愛を一心に受けて、領民達にもとてもとても愛されて、育っていったのでした。




 *



 ひとり娘だったひよのは、幼なじみで親戚筋の、亀之丞(井伊直親)と婚約する事となりました。



 お互い兄弟の様にいつも一緒に過ごしてきた仲で、井伊家の跡取りがいない状況でそれは、皆が望んだ、とても幸せな形でありました。



 彼女も兄の様に亀之丞(直親)を慕っていて、周囲の人間は皆、この二人の幸せな未来を思い描いていました。





 *




 そんな中、井伊家の雲行きが次第に悪くなっていきました。



 井伊家家老の小野政直は元々、亀之丞(直親)の父、直満と仲が悪く、いつも衝突を繰り返していたのですが、ここにきて、亀之丞(直親)が井伊の跡継ぎとなる事にも反発をし始めたのでした。



 相手にならぬと、取り合わなかった直満でありましたが、小野政直が諦める事はありませんでした。


 ちょうど、井伊家を攻めてきた甲斐国武田軍に対し、直満が軍を出そうとした所を狙って、政直は、主君である今川義元に「直満に謀反と疑いがある」と、そう告げたのでした。



 天文13年(1544年)12月23日



 直満は義元に呼び出され、問い詰められる事になりました。

 何度も何度も弁明したものの、政直の言葉を信じきった義元には届く事はなく、その後義元により、直満は殺害されたのでありました。





 *



 直満の死の報せは、すぐに井伊家に届きました。

 ひよのの父である井伊直盛や、一族であり龍潭寺の住職でもある南渓瑞聞は、慌てました。


 このままでは、いつ義元が亀之丞(直親)を差し出せと言ってくるやもわからない。

 呼び出されたら最期、きっと直満同様殺されるに違いない。


 跡継ぎが居なくなれば、井伊家は終わり。

 何とかしなければ、何とか…………



 そこで、井伊家の人々は、南渓和尚の縁を頼りに、亀之丞(直親)を、武田領にある松源寺で暫く隠す事にしたのでした。



「必ず戻る」



 そう、ひよのに約束をして、亀之丞は旅立っていきました。

 ひよのは見えなくなるまでいつまでもいつまでも、許嫁の背中を見送り続けたのでした。





 *





 ひよのもひよので、今川へ反逆の意志が無い事を表す為、出家する事となり、姫から一転、仏門の世界へと入る事になってしまいました。



 いきなり頭を丸める事となり、むせび泣くひよのに向かって、大叔父でもある龍潭寺の南渓瑞聞は優しく微笑むと、目の前にしゃがみこみました。



「ひよの、そなたの名は今日から次郎法師じゃ」



「じ、次郎??それは、男子の名、尼ではなく僧名ではありませぬか!ひよのはおなごじゃ!南渓和尚の目は節穴じゃ!!」




 更に泣き喚き始めたひよのの姿に、和尚は大きく高笑いをすると、何度も何度も頷きました。



「そんな口の聞き方をするおなごは、何処を探してもそなたぐらいじゃ、ひよの、否、次郎法師よ。この名にはとてもとても深い意味があるのじゃぞ?聞きたくはないか?」



「深い………意味?」




 涙を両手で拭いながら、ひよのは、首をかしげ和尚の言葉の続きを待ちました。



「次郎とは、元々井伊家の当主が受け継いでいた惣領の名よ。この名は、他の家では大事な名にあらずとも、井伊家では違う。この名を名乗るではなく、次郎という名が名乗る人を選ぶのだ」



 ひよのは、わかったようなわからないような顔をして暫く考え込みました。



「それでも、それでも!!ひよのは次郎なんて名は嫌じゃ!!」



「まぁまぁ最期まで聞きなさい。尼になると、もう還俗は出来ぬ、結婚も出来ぬ。ただ、僧であらば、出家をした所で、還俗は出来る」



「還俗?」



「そうじゃ、名案であろう?」



「つまり……直親様が戻られたら、次郎法師からひよのに戻り、嫁に行けるというわけなのですか!なるほどー!!!!」



「どうだ、和尚は知恵があろう?っと、待ちなさい!まだ話は終わっておらぬ!!!こら!!次郎!!!」



 話が終わるのも待たずに、外へ風の様に駆け出して行ってしまった次郎法師の後ろ姿を、呆れながらも、優しく見守っていた南渓和尚は、静かにポツリと呟きました。



「あぁ……あれが、男に生まれていればのう……」




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