第10話~術~



 長政は浅井家の当主として、めきめきと風格を現してきておりました。


 家臣達も、穏やかな久政とは違い、若く血気盛んで、立派な体格にも恵まれた長政に、多大な期待を寄せておりました。




 *



 その頃、浅井に敗れた六角家も転換期を迎えつつありました。



 長政と幼馴染みであった義治が家督を継ぎ、六角義賢は出家。名を六角承禎と改めていました。


 出家をしたとはいえ、口を挟まないわけではなく、実質の主導権は今も尚父親である事に、義治は密かに不満を募らせておりました。




 そんなある日の夜




 義治が、灯りの下で書物を読んでいると、突然背後に気配を感じました。



「曲者か!」



 義治は刀に手を伸ばし、立ち向かうべく身体を反転させました。


 しかしその瞬間、首もとには既にぎらりと光を放つ小刀の刃先が向いており、少しでも動けば最後、自分の首からは血しぶきが吹き出すのを認めざるを得ませんでした。



「な、何者……」



 義治は姿わからぬその敵の姿を探るべく、必死で眼球をそちらへ向けました。



「義治様、申し訳ございませぬ。どうぞお静かに願います、命を取りに参ったわけではありませぬ。わたくしは、新九郎様からの伝言で参った忍びにございます」



「新九郎の??」



 義治は、懐かしき友の名に身体の力を緩めると、忍びも組み敷いていた手を解き、その場に跪きました。




「ご無礼お許し下さいませ。早急に、義治様にお話があって参りました。父君である六角承禎様には勿論の事、今から話す事は内密に願います」



「いいだろう……それよりも」



「それよりも?」



「新九郎は息災であろうか」



 義治は、懐かしむ様に温かな表情をすると、その場にゆっくりと座り込みました。



「はい、とてもお元気でいらっしゃいます。義治様を裏切る形になってしまった事、申し訳ないといつも話しておられます」



「そうか……元気であらばよいのだ。敵味方に分かれてしまった事が悲しくないと言えば嘘になるが、父上と違いこの義治、浅井家にとってはこれが一番良かったと、そう思うておる」



「新九郎様に伝えておきまする」



 忍びは深々と頭を下げたのち、ひとつの文を差し出しました。



「新九郎様からの文にございます。目を通されましたら、火にくべて灰にして下さいますよう」



「うむ……」




 義治は差し出された文を手にすると、ゆっくりと開き読み始めました。



「あの時の文を読んで欲しい………とな……あの文を………さて………」



 義治は文に書かれた内容を反芻しながら、宙に視線を泳がせると、思い出したかの様に、床の間に置かれた小さな小箱を取り出してきました。




「確か、この中に………」




 義治は、長政から絶対に時が来るまでは読んではいけないと言われた、あの日の事を思い出しながら、その文を手に取りました。



 ゴクリ………



 おかしな緊張感に包まれながら、義治はひとつ喉を鳴らすと、ぱらぱらとその文を開き始めました。




「何だこれは??六角義治………私の名が書いてあるだけではないか」




 義治は呆然としながら、忍びに向かって問いかけました。



「では、そちらも火にくべて灰にして下さいませ」



「なるほど、そういう事か。つまり、文を保管しているかいないか、それを新九郎は試したかったわけだな。まぁどちらが良かったのかは皆目見当もつかないが、私は保管をしていたし、今、それをちゃんと読んだ。そう浅井に帰って伝えるがよい」



「かしこまりました。では、灰に……」



 気づくと忍びは、部屋の灯り火である小さき炎の器を両手に持ち、義治に差し出しておりました。



「わかったわかった、そう急くではない」



 義治は、先ほど渡された文と、昔渡されていた文とを重ねて持つと、その角に炎をくぐらせました。



 ボッ!と一気に燃え始めた紙の束。

 それを持った義治は豪快に、庭の地面に向けて放り投げました。



 めらめらと炎が暗闇を照らし、そしてだんだんと燃え尽きると消えていきました。




「これでいいか?」



 そう言って義治は忍びの方に視線を向けると、もうそこには誰もおらず、義治は大きく息を吐くと庭先に降り立ち、その灰となった文の残骸を見つめ続けたのでした。



 その姿を、天井板をずらした隙間から、先ほどの忍びが覗き込んでいました。


 傍らには同じく忍びがいて、義治の動向を確認すると、そっと天井の板を戻しました。



「術は完璧に遂行された、さぁ早く阿古様に伝えに浅井に戻らねば」



 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、忍び達の姿はもうそこにはありませんでした。



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