第6話~元服~
「六角が呪詛をかけた話は聞き及んではおったが、まさか阿古、お前がかけていたとは……」
話を聞き終えた蔵屋は、その内容に狼狽しながらも、冷静に言葉を返しました。
「致し方無い事とはいえ、父上様に呪いをかけた事、本当に申し訳ございませぬ」
小野殿は、両手をつき深々と頭を下げ、心から詫びました。その姿を見た蔵屋は慌てて「そんなに身体を曲げては、お腹のややに障る」と言いながら小野殿の身体を起こすと、背中を優しく撫でたのでした。
「呪詛をかけて、かけられてがこの世の習い。阿古、お前が詫びる必要はない。それにそなたはもう浅井の人間」
「有り難き幸せにございます。呪詛は千代鶴様によって、浅井に戻りし時には既に解かれておりました、そこはご安心下さいませ」
「そうか……それで、姉上はそなたを連れて、この浅井に戻ってきたというわけか」
「六角は呪詛は一度かけると解けぬものと思っております。ゆえにかけた我々は、用済みになったのでございます」
「なるほど。わたくしには呪詛の話は解りかねるが……姉上とそなたのちからは心から信用しておる。して……その忍びをどう致すのだ」
いきなり目の前に現れた、その黒装束の忍びに視線を向けた蔵屋は、いふかしげにその姿を見つめました。
「お初にお目にかかります。名乗る名は持ち合わせてはおりませぬ。ただ、望月の者とだけ」
「望月……そなた甲賀の筆頭の者か……」
「いかにも」
「阿古、お前のその策とは一体……」
蔵屋は突然の事に驚きを隠せずにいながらも、小野殿の考えを聞く姿勢を見せました。
「はい、それでは………」
静かな空気の流れる中で、小野殿は声を潜めつつ策を語り始めたのでした。
*
その頃、主家であった京極家と対立関係に陥っていた浅井家は、六角家に臣従する道を選択せざるを得ない、そんな状況下にありました。
家臣となった浅井久政に、六角は人質を要求してきました。
そして、お腹にややを宿した状態の小野殿が、人質として観音寺城へ赴く事になったのでありました。
観音寺城は繖(きぬがさ)山の上、城域全体が立派な石垣で築かれた山城で、その頂からは琵琶湖を一望出来る、素晴らしい環境を有しておりました。
人質となって暫くの後、小野殿は色々な想いを胸に秘めながら、この敵城で元気な男子を産み落としました。
その男子こそ後の浅井長政、その人でありました。
*
誕生日した男子は、久政の幼名の名に丸をつけた名【猿夜叉丸】と名付けられ、観音寺城で特に不自由なく育てられました。
時の六角城主は、六角定頼。
近江国守護として、権勢を奮っておりました。
定頼の子が、義賢、そして、その子が義治。
義治と猿夜叉丸は、この観音寺城で同年に産まれ、いずれは六角の跡継ぎになる者と、人質の間柄ではあったものの、とても仲良く、それはもはや兄弟の様な、幼馴染みの間柄でありました。
月日が流れ
定頼が亡くなり、六角家は子の義賢が跡を継いでおりました。
そんな1560年。幼かった猿夜叉丸も元服を迎える年齢になっておりました。
その頃は、幼名の猿夜叉丸から新九郎と名を改めていた若き浅井の男子は、とても文武両道に長けた青年に育ち、小野殿はそれをとても誇りに思っていました。
新九郎の元服が滞りなく終えた後、主君である六角義賢に、新九郎は呼ばれました。
義賢の横には、同じく元服を終えた義治がにこやかに微笑んでいました。
「元服の儀を無事終える事が出来ました。それも義賢様のお陰にございます」
「立派な姿、小野殿もさぞかし喜ばれた事であろう」
「はい、母からも六角家の為に力を注ぐ様にと、改めて諌められた由にございます」
「うむ、して呼んだのは他でもない。新九郎、そなたの名の事よ」
「名にございますか」
「本日よりそなたの名は、浅井賢政とする。亮政殿、久政殿の政の字と、我が義賢の賢の字を合わせた名じゃ。どうだ、気に入ったか」
「その様な名を頂けるとは、有り難き幸せにございます」
新九郎改め、浅井賢政となった賢政はひれ伏して礼の言葉を述べました。
その姿を義賢は満足そうに見つめると「それから……」と、足を組み直しながら言葉を続けました。
「そなたに縁組みの話がきておる。相手は平井定武の娘。どうだ?善き話であろう」
「それは……勿体無きお話にございます」
賢政は、頭を下げたまま言葉を紡ぎました。
「新九郎!!いや……賢政殿、我々は兄弟も同然の間柄、さぁ顔を上げて下さい。これからこの義治の為にもずっと六角にお力をお貸し下さい」
義治の言葉に、ゆっくりと頭をあげた賢政は少し憂いを帯びた瞳で義治の事を見つめたあと、義賢の方に力強く顔を向けました。
「この浅井賢政、六角の為にこれからも力を注ぐ所存にございまする。ただ、母はもう何年も浅井に戻ってはおりませぬ。一度、里帰りをしたいのですが……」
「うむ……それは確かに」
それを聞いていた義治が、父である義賢と賢政の顔を見比べながら、口を挟みました。
「父上!新九郎にも是非一度、浅井の地を踏ませてやって下さいませ、さすがに産まれてこの方、故郷を知らぬのは酷い仕打ちにございます」
「うむ、いいだろう………小野殿と平井の娘を連れて、婚儀は浅井であげるといい」
「父上!有り難うございます!!良かったな新九郎!!いや、賢政殿!!」
心から喜ぶ義治の姿に、泣きそうになりながら、賢政は再びその場にひれ伏したのでした。
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