第5話~呪詛~
暫くののち、亮政がこの世を去ると正式に久政が浅井家の当主となりました。
一度は養子となっていた、鶴千代の婿である明政も田屋の名に戻り、ここに浅井家の安泰を示したのでした。
阿古は井口家の娘として久政に嫁ぎ、皆々から【小野殿】と呼ばれる様になっていました。
年上の小野殿は久政を支え、まず女児を出産。その数ヶ月後にはまた、お腹にややを宿しておりました。
「まことに、めでたき事。跡継ぎが生まれてくる様に、竹生島に毎日手を合わせているのですよ」
その日、小野殿の下を訪れた蔵屋は、とても嬉しそうに、お腹に手を当て、優しく語りかけていました。
「母上様、実は跡継ぎが生まれる夢を見たのです」
小野殿は、自分もお腹に両手を当てながら微笑むと、そう語り始めました。
「まことか!それは、神のお告げに違いないのう、そうかそうか」
「ただ………」
「ただ??」
「わたくしがお産をする場所が、この城ではなかったのです……」
「それは……まことか??」
蔵屋は顔を曇らせると、少し考え込み始めました。確かに最近の流れは芳しくはなく、浅井が六角に臣従する事は避けられない状況下にありました。
「いくらなんでも、ややを身籠ったそなたを人質には出来ぬ、その際はこの母が参ろう」
「母上、わたくしは逆にこれは好機と考えまする」
「好機??」
蔵屋は小野殿の力強い眼(まなこ)に吸い込まれそうになりながら、次の言葉を待ちました。
「人質として六角の観音寺城に参れば、内情を探る事も容易にございます。そこで、策を巡らせ、浅井挽回の時を待つのです」
「なるほど……そなたであらば、それは可能かもしれぬな……」
蔵屋が感心しながら頷いていると、いきなり天井からひとつの影が舞い降りました。
「な、何者!!!」
蔵屋が慌ててそう叫ぶと、真っ黒い装束に身を包んだ忍びが、そこにひれ伏しておりました。
「母上、大丈夫にございます。この者は、千代鶴様付きであった、甲賀の忍(しのび)」
「甲賀の??では、六角の手先!?」
「母上、甲賀は六角と思われるでしょうが、どちらの味方でもありませぬ。なので安心して下さいませ」
蔵屋は慌てたものの、千代鶴の名前が出た事で少し安心したのか、その場に座り直しました。
「わかった、話を聞こう」
蔵屋が静かにそう言うと、小野殿は静かに語り始めたのでした。
*
千代鶴と阿古は元々は同じ、尼子氏の血を持つ者でありました。
尼子氏には昔から尼子忍者がおり、千代鶴と阿古はその生まれより、幼少期の段階で、ある程度の呪詛はかけれる遍歴を重ねておりました。
浅井から千代鶴が政略結婚で六角家に嫁ぐと、まず、その呪詛の能力に六角は目を付けました。
浅井亮政への呪詛をかけるように、六角は千代鶴にそれを強いりました。
そしてそれに反抗するは、命がない事を意味しました。
千代鶴は頑なに、その依頼を拒みました。そして、その千代鶴の気持ちを汲み取り、身を案じた幼き阿古が、その呪詛をかける儀式を引き受けたのでした。
呪詛は丑の刻、青木社でかけられる事となりました。
六角には甲賀忍者がいた為、その儀式がまがいもない、古来からの術式通りに成された事を知った六角側は、とてもそれを喜びました。
千代鶴は、可愛がってきた阿古のその仕打ちに悲嘆しました。
しかし、それは阿古の策でもありました。
阿古のかけた術、同じ尼子の血が流れる千代鶴であらば解く事が出来る。阿古は千代鶴の前に赴くと、懐から小刀をひとつ取り出しました。
その小刀は赤黒く、そして禍々しい黒き渦が刃先から放たれておりました。
「千代鶴様、これを……」
「この小刀は一体??」
「これは、浅井亮政様にかけた呪詛に使われた小刀にございまする。これを、千代鶴様に……」
「これを、わたくしに渡して何とする」
千代鶴は困惑の表情を浮かべながら、幼き阿古の顔を見つめました。
「千代鶴様ならおわかりでしょう?もうすぐ、千代鶴様は浅井に戻る事になります、その時に呪詛は解かねばなりませぬ」
「それは確かにそうではあるが、一度かけた呪詛
、解く事は無理であろう?」
「千代鶴様、阿古に全てお任せ下さいませ。阿古は呪詛を解く秘技を知っております」
「秘技を?」
千代鶴は、あまりな会話の内容に部屋の隅々を思わず見渡しました。
それこそ、今周囲に六角の忍びが潜んでいたら、一溜りもありません。
「千代鶴様、大丈夫にございます。甲賀の忍びの中には、浅井に味方をする者も沢山おりまする」
「まさか……甲賀は六角。そんな事は……」
「人とは、人によって心を動かされるもの。千代鶴様、あなた様が六角で過ごしてきた生き様に感銘を受けた者もおるという事にございます」
千代鶴は阿古の言葉ひとつひとつに、真剣に向き合いながらも、不安な気持ちを隠せずにいました。
どちらにせよ今の自分は六角の人間で、浅井を滅ぼす側の人間には変わりはないのです。
「して、どう致すのだ。義久様にその小刀で牙を向けと申すか」
「いえ、そうではございませぬ。それを懐刀とし、いつも身につけておくだけでよいのでございます」
「これを?ただ、身に付けておくだけで?」
「はい、ただそれだけで…………」
阿古はにこりと微笑むと、そっと小刀を手に持ち千代鶴へと手渡しました。
千代鶴は、恐る恐るそれを受け取ると、帯の中へとそれを潜ませたのでありました。
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