第4話~阿古~
暫くののち、千代鶴は病に倒れこの世を静かに去りました。
千代鶴は既に死期をも予知しており、亮政と蔵屋に、様々な遺言をしたためておりました。
一、久政の子の代に、浅井は大きく変わるだろう。そしてそれは善き方向にも悪き方向にも振れやすく、慎重に道を選ばねば墓穴を掘る事となるだろう
一、竹生島の浅井姫、弁財天様が、浅井にちからを貸してくれるだろう。これからもずっと竹生島を守っていかねば、家の安泰はないだろう
一、死後の弔いは不要。家の安泰が確信出来るまでは隠しておくように。何か姿見が必要な際は、尼子の忍びに頼むと、化けてくれるだろう。書状は特に、蔵屋と連名とし浅井の内情に亀裂等なく、いつも安泰であると外に向かって表し続ける事
亮政は、その遺言通り千代鶴の死を家臣達に伏せて、弔う事なく過ごしました。
その中で蔵屋は、琵琶湖上に佇む竹生島をいつも眺めては、そこに姉上は還っていかれたのだと、あの場所に、浅井を見守る為におられるのだと、いつも密かに手をあわせたのでした。
*
千代鶴には、六角から戻った際、侍女として一緒に浅井に連れてきた阿古という娘がおりました。
千代鶴は阿古をとても可愛がり、身の回りの世話をさせる傍ら、色々な教養も教えこみ、それはもはや実の娘に対するそのものでもありました。
一緒に過ごす事の多かった阿古と久政は、まるで本当の姉と弟の様に、仲睦まじい間柄でありました。
そしていつしかふたりは、想いあう様になっていったのでした。
*
千代鶴亡き後、阿古は蔵屋の身の回りの世話をする様になりました。
色々と会話を重ねるうち、阿古は最近千代鶴が夢に出てくると話すようになりました。
最初は聞き流していたものの、娘の話の内容が自分と千代鶴しか知らない事であったり、その他にも様々な一致があったり、蔵屋はだんだんこの娘にも、姉上と同じちからが備わっている事に気付き始めました。
*
暫くの時が流れて
久政に正室を迎える話が持ち上がりました。他家との婚姻を結ぶ政略結婚の多い時代
勿論、久政にも他家の子女との話が沢山舞い込みました。
亮政があれこれ思案していると、蔵屋が口をはさみました。
久政の正室は、千代鶴の侍女であった阿古しかいない……
蔵屋には、揺るぎない自信がありました。阿古は千代鶴が残した化身に違いない、何としても正室にし、浅井の安泰を図らなければ、姉上に申し訳ない。
蔵屋は、亮政を説得しました。
亮政はその提案に、暫し頭を悩ませました。
確かに蔵屋からは、阿古に何かしらのちからが備わっているとは聞き及んでいました。
されど、それ以前に侍女を正妻にするには、色々と問題がありました。
「あなた様の仰りたい事なら、わかっております、つまり、血筋の事でありましょう?」
蔵屋はまっすぐな瞳で亮政を見つめながら、そう尋ねました。
「阿古は器量も良く、何も問題はない。おまけに二人の仲は睦まじく、こんなに喜ばしい縁組もない。ただ、正室となると……血筋は色々と差し障りがあるものだからな」
蔵屋の意見に同意しながらも、亮政はしぶる態度を見せました。
「姉上の遺言の中に、久政の子の代に浅井が大きく変わるとありました。つまり、その子を生む母には、血筋よりも人とは違う何かしらがある娘を選ぶべきかと。血筋血筋と申されるなら、一度外に養子に出してみては?」
「なるほど……血筋そのものを作り上げるか」
亮政は蔵屋の策に感心しながら、頷きました。
「井口家に、では頼むとしよう」
「井口経元殿ですか、それは名案」
井口家は荘官であり、伊香郡用水を管理していた「井頼り」でもある湖北の土豪でした。
早速蔵屋は、養子縁組の話を通し井口家に暫くの間赴くように、阿古に伝えたのでした。
*
「これはこれは、よくぞ参られた」
井口家に到着した阿古の前に、ズカズカと豪快に現れた径元はどさりと腰をおろしました。
「浅井より参りました、阿古にございます。この度は養子のご縁を頂き……」
「固い挨拶はよいよい!そなたは今日より井口の娘。そして、浅井久政殿の奥方となる御方。これからは力を合わせ、共に泰平の世を願って参りましょうぞ」
「有り難き幸せにございます」
すると部屋に、ひとりの侍女が入ってきました。
「阿古殿、その者に身の回りの世話は頼んでおりますゆえ、何なりとお申し付けください」
浅井の後ろ楯を得た径元は、侍女に阿古の世話を言いつけると、ご機嫌なまま部屋を出ていきました。
侍女と阿古のふたりきりになると、その侍女は阿古に静かに文を差し出しました。
「そなた……甲賀の忍びか」
阿古は文を開くと、すぐさまその文字に目を走らせました。
「なるほど……甲賀はわたくしをもう見限ったと思うておったが……」
「甲賀は、阿古様のこれまでの全てを見守っておりました。腹を決められませ」
阿古は下唇を固く噛み締めながら、文を強く握りしめました。
「わたくしはもう浅井の人間、千代鶴様のご恩を忘れるわけには参りませぬ」
「それは勿論、逆にそれを逆手に取るのです」
「逆手に?」
「甲賀はどの家の味方でも敵でもありませぬ。阿古様が浅井の為にと仰るなら、そのように筋書きを変えるだけ、着地点は決まっておりますので」
「泰平の世か………」
阿古は握りしめた手を緩めると、まだ見えない先の未来を探すかの様に、宙に視線を走らせたのでした。
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