第3話 食物

 大してお腹がすいているとも感じなかったが、とりあえずファイルを最初めくった時に目が留まった「かつ丼」のシートの数字を入力して、スタートと下に書かれている方のボタンを押した。


 電子レンジのような箱の扉部分には透明なガラスがはめ込まれていて、中の様子が分かるようになっている。音は聞こえないが光の線が交錯しながら、下から徐々にかつ丼のどんぶりができていくのが見えた。もちろん器だけでなく中身も一緒に生成されている。ものの数秒で電子レンジの中にはかつ丼らしきものができあがった。完成と共に「チーン」というあの音が響き渡った。


 そう、完成時の音はともかく、これは僕の時代にもあった3Dプリンターの進化形だという事は予想通りだった。


 驚いたのはその再現性だ。僕の生きていた時代の3Dプリンターは、姿形は再現できても内容は全く異なっていた。成型物は、材料によっては食べる事もできるという話はニュースで見たことはあったが、これはレベルが違っていた。かつ丼からは湯気が立っていて、ちょうど食べごろの温度に見える。写真に同時に写っていた割りばしとみそ汁も一緒にできあがった。特に空腹ではなかったものの、折角なので食べてみることにした。素っ裸で床に座ってかつ丼をかっ食らうというのは、なかなかにシュールな情景だと思ったが、他に誰がいるわけでもないので気にすることもない。


 一口食べて僕はまた驚いた。・・・おいしい。これはかなりおいしい。ご飯の炊き加減、たれの塩気から卵のとじ具合まで完璧だった。合わせて出てきたみそ汁の方は、具材はネギとわかめで、かつ丼の濃い目の味を邪魔しないような丁度いい薄味が絶妙だった。気が付くと夢中で最後まで食べてしまっていた。


 食べ終わって床の上に器を置く。みそ汁の椀はどんぶりの中に入れて、使い終わった割りばしはその上に載せてある。程なくして置いてある場所の床が少し波打ったかと思えば、液体に物が沈んでいくように、それらは床に吸い込まれていった。上に置いた箸の姿まですっかりと見えなくなると、床はまた通常の平滑な状態に戻った。床に目を近づけてよく見てみたが、無数に小さな穴が空いてはいるが、適度なクッション性のある材料でむろん液体ではない。普段は固体で、何らかの信号によって性質が変わるような物質なのかもしれない。


 不用意に腹が膨れたところで、今度は衣類を出力してみた。なんでも選び放題ではあったが、誰に見せるわけでもないので、普段着慣れたファストファッションの様なものばかりを下着と供に出力した。これもまた柔らかくて、着心地も僕が知っているものと寸分違わぬものだった。


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