第56話 脱がされそうです。(二回目)

 閑静な住宅街のリビングルーム。


 ここにいるのは、私とルルの二人だけだった。思わず漏れた短い悲鳴は、吹き抜けの天井に反響してそのまま消えていく。


 きっと、泣き叫んだとしても誰も助けに来てくれないだろう。


 ――ぬ、ヌンチャクは!? ヌンチャクどこ!?


 買い物袋はキッチンに置いてあるけれど、リュックは脱衣所で着替えたときにそのまま忘れてきていた。


 ヌンチャクはない。あるのはメイド服だけ。


 冷静になるんだ、私。キーボードがなくても、武器がなくても、私にはこの頭脳がある。誤解を解ければ、きっとルルもわかってくれるはずだ。


「同意ってルルさん、まずそれなんの話?」


 メイド服をかなり好きなようだから、それならルルさん自身も着てみたらいいと提案した。

 メイド服は今私が着ているものしかないだろうから、ルルさんが嫌でなければ、私が脱いでそれを着てもらおうと――そういう話なのだけれど。


 ――同意ってなに!? メイド服はルルさんのものだから、私が同意するもなにもないんだけど。


「ふふっ、ユズさんったらもう。そういうのがお好きなんですね。……実は、わたしもそうなんです。ご主人様とメイド……そういうのってこう甘美ですよね?」


「え? あのご主人様? メイドは……えっと、ルルさん? 私?」


 ルルがなにを言いたいのかわからない。前も似たようなことがあった。あのときはなんとか切り抜けたけれど――。


「今回は無料じゃないですからね。わたしも、もう我慢しなくていいんですよね?」


「あの、ルルさん? ……その、だからまずなにをするつもりなのか教えてほしいんだけど。料理だよね? 食べるのは我慢しなくていいんだけど?」


「はいっ! ユズさんのこと、我慢せずにいただきますっ」


 ――いやいやいや、我慢とか耐えるとか、本当にしたことあったっけ!?


 そんな冷静なツッコミを心の中で入れる暇があるなら、一目散に逃げればよかった。

 ゲーマーとしてあるまじき選択ミスである。なまじゲーム感覚で、ボス戦で逃走を試すなんて選択肢が浮かばなかったというのはあるかもしれない。


 それにしても、ルルにそのまま壁まで押しやられた私は、抵抗のしようもなく背中のファスナーからワンピースを脱がされて――。


「う、嘘でしょっ!? ねえ、ルルさん違うって。話が違うから。料理だけだよね!? 私、今日、料理を作りに来ただけで」


「そんなこと言って、こんな服まで着てわたしを誘惑したのはユズさんじゃないですかっ」


「着せたのルルさんだよっ!?」


 ひどい言い掛かりを着せられた。しかも脱がそうとまでしている。


 どうしよう。無料タダ問題以外でなにかルルを説得しないと、今回こそ本当にマズい。


 両肩が完全にはだけて、エプロンの肩紐も外れてしまう。


 ――し、下着だけは、下着だけは死守しなくてはっ。


 向かれてしまった上半身を、なんとかしがみついたワンピースとエプロンで守る。


「ユズさん、こないだできなかったお仕置きの続き。それから消毒もしっかりしないといけませんからね」


「る、ルルさん……お、お願いだから、考え直して。無理矢理こういうのはダメだって……」


「ふふっ、わかっています。今日はわたしがご主人様として、嫌がるユズさんをみっちりと指導してあげますよ」


「そ、そう言うんじゃなくて……っ!!」


 ルルの指先が私の背をなでるように、なにかを探していた。――ヤバい、ホックだ。


「ユズさん、ほらっわたしのこと見てください」


「る、ルルさっ……んんっ」


 視線を向ければ、そのまま口を奪われる。マズい、段々手慣れてきている気がする。重なった唇に、気を取られた瞬間、あっさりとホックも外されてしまう。


 全快守り切った防衛戦を早々に突破されて、このままなすすべもない。


「可愛いですよ、ユズさん。本当に可愛いメイドさんです。でもご主人様が誰かは、しっかりわかってもらわないといけないですからね」


「るっ、るぅりゅさっ」


 キスから逃れるのか、胸を守るのか、意識が分散されて防戦一方、やられるがままとなっている。どっちかあきらめればいいのか。――む、胸なら同性には見られても別にいいんじゃないかなっ!? で、でも見られるだけで済む気がしないしっ、キスはもう何回もされているけど、いやでもやっぱり口の中かき回されると……っ。


 んぐぐっ、と悶えながらも、私は最後まで思考を――この状況を打破するために考え続けた。


 体格差があるんだから、多少全力で押し返せばなんとかなるんじゃないか。

 でも私のほうが背は高いっていっても数センチレベルで、この本気のルル相手となると、全然加減できなくなって大変なことになりかねないし。


「る、ルルさんっ……んっ、だって、これはほらっ……イベント勝ったらって」


「ご主人様とメイドのイベントが今始まったんですよ、ユズさん。わたし達、二人の勝利ですっ」


「い、意味がっ……んんっ」


 ――ダメだ。もう力尽く以外で解決策が浮かばない。最後の手段だけど、それしかないのかな。


 いっそ、すべてを委ねて天井の染みでも――あっ、天井が高すぎて染みなんてまるで見えそうにないや。近くで見てもこんなキレイな豪邸に染みなんてないだろうけど。


 ――ってあきらめちゃダメだ、私っ!! 拒否しても無視されるなら、逆に……。


「ルルさんっ、や、優しくして……は、初めてだから……」


「はふっ!? す、すみません、ユズさんっ。わたしっつい我を忘れて、どこか痛かったですかっ!?」


「もっとゆっくり、ね?」


 そう言いながら、なんとか息を整える。下手な動きで着崩れを直そうとすれば、怪しまれるだろう。私はユズの目を見つめたまま、冷静に動く。


 ――玄関まで走って逃げればっ、外に出られればさすがにルルも止まるんじゃないか? それで一旦落ち着いて話をすれば、ルルだって。……メイド服で外に出るのは抵抗あるけど、もう背に腹はかえられない。というかメイド服どころか、背中はほとんど肌が出ているけどっ。でもこのままじゃ全部むかれて……。


「ルルさん、お水っ……お水がほしいな」


「く、口移しでですか!?」


「え? ……う、うん?」


 口移しとはいったい。どこから出てきたか、さっぱりわからない単語だった。


 ルルは私以外の誰かとも話しているんだろうか。


 ただルルが背を向けてキッチンにあるウォーターサーバーへ向かった瞬間、私は玄関へ走った。


 できる限り服を整えながら、なんとか無理矢理に背中のファスナーを半分くらい押し上げて、玄関が見えてくる。


「ユズさんっ!? どこへ行くんですかっ!? あっベッドですか!? すみません、フローリングだとやっぱり固くて……」


 ――どこにこんな急いでベッドへ走って行くメイドがいるのか。ルルには悪いけれど、私は逃げさせてっ。


 と玄関のドアには私の見慣れない内鍵がいくつもある。さすが高級一軒家なのか、セキュリティ的にも安心できそうではあるけれど――え、どれをどうすれば開くのっ!?


 ドアチェーンはこれだろうか。こっちは横にして、開くのかな。などと慌ただしくしている内に――。


「ユズさん、どうしたんですか? ……家の外に出ようとして、ダメじゃないですか。ユズさんはわたしのお家のメイドさんなのに」


「あっ、ルルさん……っ」


 もうダメだ。今度こそ終わりだ。


 そう思ったとき、玄関が外側から開いた。


 手こずっていた鍵も、スマートキーというやつだったのだろう。ピピッという電子音一つで解錠される。


「お姉ちゃんーっ、ただいまー!」

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