第39話 歯ブラシセットはいりますか。

 合宿の日程は思いのほか直ぐに決まった。


 ノノの家を会場にすることで、一番多忙であろう彼女の予定にある程度融通が利くようになったことが大きい。


 時を同じくして、合宿開始の当日にヴァンダルシア・ヴァファエリスからも期間限定ダンジョン攻略イベントの開催が告知された。


 例年通り告知から一週間後――、合宿が終わってから数日の猶予があり、また合宿での余韻をそのままにイベントへ挑める。


 逆に言えば、この合宿でパーティーを仕上げなければいけない。


 打鍵音だけんおんシンフォニアムのギルドメンバー達が個人技術を大幅に上げ、連携を上位層と遜色ないものにしておかなくてはならない。


 そのために私は――。


 一緒にイベントを挑むパーティーの三人には、プレゼントを用意した。


 そのせいで自分の準備はだいぶおざなりになってしまって、大急ぎで支度したくを済ませる。


 合宿は二泊三日予定だから、まずは宿泊用に着替えの服が必要だ。――服はジャージでいいか。あとはタオルとかもいるのかな? ノノの家に泊めてもらうわけだし、ホテルじゃないから最低限のものは自分で用意するべきだろう。


 それから――。


 時間がない!!


 遅刻するわけにはいかない。人間的にはだいぶ問題のあるメンバー達だが、時間に遅れることはない。そんな中、一応はリーダーである私が遅れるわけにはいかないのだ。


 無人島に行くわけでもないのだから、なにか物がなければ近くのコンビニでも行って買えば良い。


 ノノの家にパソコンがあるなら、他にヴァヴァをするのに必要な物は己の手とマイキーボードとマウス、それだけあれば十分なくらいだろう。


 ――私は二日くらい着替えなくてもキーボードから手を離さないぞっ!!


 ちなみに下着の替えはある。あとノノにこの前借りたやつも一応洗って持ってきた。



   ◆◇◆◇◆◇



 なんとか教わっていた住所に、約束時間の十五分前に着いた。


 聞いていたとおりのタワーマンションで、下から見上げると最上階が見えないくらいだ。


 ――ここ、一室いくらぐらいするんだろ。賃貸かな……?


 一階のエントランスに待合スペースがあるそうで、そこで待っていてほしいと言われていた。前回のホテル同様に庶民の私としては非常に居心地が悪いのだけれど、そろそろとマンションの中へ入る。


 キレイでお金のかかっていそうな待合スペースには、既にルルの姿があった。端のほうに行儀良く座っている。


「おはよぉ、ルルさんいつも早いね」


「おはようございます、ユズさん」


 お昼前なので、ぎりぎり『おはよう』という時間帯だろう。

 オンラインゲームをやっていると、いつ起きたのか怪しい人間も多く、挨拶はだいたいおはようで統一されている節もある。


「よかったら隣り座ってください」


 待合スペースは広く、一人がけの椅子も数人で座れそうなソファーもあった。ただルルがそう言うので、私は彼女の隣り――ソファーの空いていた空間に腰を下ろした。


 そういえば、ルルにはキーボードの話を聞けていなかった。


「ルルさんキーボードもう届いたよね? 使ってる? 使い心地はどう?」


「はふっ、ユズさん、急にいっぱい……その」


「えっ、ごめん。私、キーボードのことだとつい」


「い、いえ、ユズさんに話しかけてもらえると、少しドキドキしてしまうので、一度にたくさん質問していただくと私がちょっと驚いてしまうだけなんです……すみません」


 などと謝られながら、ルルはキーボードを無事受け取って、既にヴァヴァでのプレイをゲームパッドからキーボードへ移行したと聞いた。


「まだおぼつかないところもありますが、ユズさんに指導していただいたおかげでなんとか……やっぱり使っているとコントローラーのときもよりも直ぐスキルを選べるので、キーボードって素晴らしいですね」


「うんうん、それはよかったよ。なにか困ったことがあったら、いつでも私に相談してね」


 ルルも順調にキーボード仲間としての道を進んでくれているようで、私も一安心だ。


「相談ですか……あの、いいですか?」


「もちろん。えっとキーの間のホコリの掃除方法とか? それとのどのくらいの頻度でばらしてメンテナンスするかとか?」


「あ、あの……キーボードのことじゃないんですけど」


「え? あーうん。まあ、私が聞けるようなことなら」


 なんだろうか。キーボード以外のことか。

 ヴァヴァのイベントのことかな? ルルはプレイ歴も一年ないくらいだったはずだから、イベントに関してはほとんど知らないはずだろう。


 もしくは合宿のことかもしれない。私もそうだけれど、今まで学校の部活動なんかに参加経験がない人間からすると、合宿と言われると身構えてしまう。


「……そのユズさんは、本当にあの男性の方と交際していたんですか? アズキさんからもらった通話内容を……その悪いと思ったんですが、見聞きしてしまいまして」


 ――どうしよう、全然興味ない話題だった。


 ただし、あれは事の発端であって、今回もそのことが原因でルルを――ギルドメンバーのみんなを巻き込んでいるのだからしっかり説明するべきなのだろう。


「えっと、付き合ってたっていうか、多分一般的な交際関係ではなかったんだけど……このことは後でみんながいるときに説明するよ」


 姫草打鍵工房ひめくさだけんこうぼうの宣伝が目的であることを説明したときにも、話すつもりはあったのだけれど面倒になりそうだと思ってつい隠してしまった。


 あの日――鈴見総次郎すずみ・そうじろうから電話があった日はいろいろあって、そのまま曖昧あいまいに済ませたところも多い。


 話すなら、全員いるときにしよう。


「後でって!! わたしはっ……わたしはずっと、ずっと……ユズさんの身に、わたしの目の届かないところでなにかあったんじゃないかって思うと……気が気じゃなくて……」


 ルルが、急にぽろぽろと涙を流し始めた。


 ――え? あのここ、待合スペースで……いつ他の誰か来るかわからないんだけど……。


 フランス人形のように可愛らしい美少女に号泣されて、横でしどろもどろになっている私。


 かなり不審に思われるだろう。


「お、お願いだからっ、一旦泣き止んでっ! わかったって、先に説明するから!!」

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