第40話 女の子に泣かれるのは慣れません。

  高級タワーマンションの待合スペースは、ガラス張りだった。


 外周には手入れの行き届いた植木が並び、外から丸見えということはない。けれど誰かがマンションのエントランスに入れば、直ぐ目に入る場所だった。


 そんなところで私は、文句のつけようがない美少女に泣かれている。


 ソファーに並んで座っていて、無関係を装うのは無理があるだろう。

 これを見た誰かは、まるで私が泣かせていると思うかもしれない。


「ルルさん、落ち着いて。ね? 私とお話ししよ」


 私は戸惑いながらも、彼女の白い手に、自分の手を重ねた。もう片方の手で、ルルの頭を優しくなでる。


 ――なんだろう、どこか手慣れてきている自分がいる。複雑な気分だな。


「わたしが、ユズさんのことどれだけ心配していたか……」


「そ、そうなんだ? ありがとうね。それから心配かけてごめん」


「ユズさんは目を離すと直ぐに、本当に直ぐに……」


「えっと……ルルさん?」


 声色が変わった。弱々しい少女の声から、すっと感情が薄まった気がした。


「本当、いつもいつも……お仕置きしないといけませんよね」


「ルルさんっ!? なっ」


 ルルの両腕が私の体にするりと伸びた。

 そのまま抱きつかれて、私の上半身がルルの体に埋もれるようにぶつかった。ルルの細い体と――そしてその割に主張する胸部が、ぎゅっと押しつけられてくる。


「捕まえましたよ。ユズさん」


「ちょっと!? え、どういうこと!? さっきの嘘泣き!?」


「……いえ、涙は本当です。ユズさんのことが心配なのも。わたし、ユズさんに嘘なんてつきません」


「じゃあこれはなに!?」


 慰めようと、なだめようとしていたはずが、上半身をしっかりと抱きしめられて身動きができない。


「ここは広いから、ユズさんが恥ずかしがって逃げてしまわないように……」


「そうじゃなくて……えっと、なんで私のこと取り押さえるの?」


「それはこれから、ユズさんのことお仕置きするからです」


「……お仕置き?」


 ――マズい、なにかわからないけどマズい。


 ある意味オープンな場所だったから油断していた。まさかこんなところで変なことをしてくるとは思わなかった。


「あ、あのさ! 前も言ったと思うけどこういうのは無料なのはちょっと……」


「前回のものとは違います。お仕置きですから」


「意味がわからないからっ! 私がなにか悪いこと――」


「恋人がいたこと、教えてくれなかったじゃないですか」


 ルルの腕に、力がこもる。細腕だというのに、私の体がまたぎゅっとしめつけられた。


「だから恋人っていうか……その、無理矢理っていうか、流れで付き合うことになっちゃって。それですぐ別れたんだけど、ケンカ別れだったからもめてて……」


 説明するとは言ったけど、なんでこんな状況になっているのか。


 泣かれているよりは、女の子同士で抱き合っているほうがまだ驚かれないだろうか。

 それでもさっきより危険度は上がっている気がする。もちろん世間体ではなく、私の身の安全のことだ。


「会社のためだったんですよね? お二人のお話を聞けば、想像が付きます。取引先の企業さんのご子息で、断れなかったんですよね?」


「そ、そう! わかってくれたなら……ね?」


 あんまり自分からは言いにくいことであった。会話からそこをくみ取ってくれたのはありがたい。ただ理由がわかったのなら、何故まだ拘束が解けないのだろうか。


「それでまた今度はユズさんの会社への嫌がらせを盾に好き勝手なことを言われて、仕舞いにはユズさんの身を賭けることになってしまった」


「その通りです……その、説明もういらないんじゃないかな?」


「なんでですか?」


「えっ? なんでって……その売り言葉に買い言葉ってのもあるけど……」


 鈴見総次郎すずみ・そうじろうの口車に乗ってしまった。もっと元を正せば、会社のためと思って彼と連絡先の交換に応じたことだろうか。流れとはいえ付き合うことにされてしまったときも、もっとはっきり拒絶するべきだったろうか。


「違います! どうして、言ってくれなかったんですか。……わたしに相談してくださいよ。ユズさん、そんなに困っていてなんでわたしに話してくれなかったんですか」


「親の会社のことは話したと思うけど……宣伝して協力したいって」


「それだけじゃないですか! こんなことがあったなんて知りませんでした! わたし、ユズさんの力になりたかったのに、もっともっと頼ってほしかったです。……わたしじゃ頼りないですけど、それでも」


「ルルさん……」


 私は誤解していたのかもしれない。


 てっきりまたルルが暴走して、半公共の場で大変な目に合うものとばかり――反省しないといけないな。もちろん、ルルが言っている通り、なにも話していなかったこともだ。


 自分の都合で、最低限のことしか話していなかった。


 それで後から事情を聞いて、怒る気持ちもわかる。そして、なによりルルは私を心配してくれていたのだ。


 抱きつかれたままで、彼女の顔は見えない。だけど声から、私のこと真剣に思ってくれているのは伝わってくる。


「ごめん。私、ルルさん達を巻き込まないようにって思って……でももうあれだけ巻き込んで、そんなのただ説明が足りてなかっただけだよね」


「もう隠してないですか?」


「た、多分?」


 多分、もう全部私の事情は話してしまったのではないだろうか。


 ――記憶にないだけで他になにかあったかな? うーん、自信はないけど細かいこと以外は全部説明できたと思う。


 だからそろそろ離してほしいのだけれど。


「……あの男性の方とはどれくらいの間お付き合いしていたんですか?」


「え? 一週間くらいだよ」


「一週間、ですか」


「うん。えっと、もうそろそろ離してもらえると……」


 あまり暴れたくないが、いつまでも抱きつかれているとそろそろアズキも来てしまう。そうなると余計にややこしいこととなるはずだ。


「まだです。ノノさんのことも、まだ聞いていないですから」


「ええ? ノノさんのことってなに? なんでいきなり」


「特別な夜を過ごしたと聞きましたけど、説明してもらえませんか?」


「え……? あっ」


 そうだった。そちらの話もなんだかんだで、鈴見総次郎の電話でなかったことになったと思っていたけれど――どうしよう。鈴見総次郎の話と違って正直に話すと絶対にマズい。


「ま、まず、ルルさんが想像しているようなことはないからね? だ、だから腕の力強めないでっ」


 華奢な体ですごい力だ。


 私は完全に油断していた。さっきの鈴見総次郎の話で終わりだと思っていたが、本題はむしろここからだったのかもしれない。


 ――お仕置きされるっ!? このままだとお仕置きされるっ!?

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