第5話 おっさんはどこですか。

 どうしようどうしよう。


 私はカラオケ店の受付で震えていた。


 来てしまった。この日が、そしてオフ会場に。


 ――どうしよう、今ならまだ考え直せる!?


 ノノが選んだのは、カラオケチェーンの中でも比較的料金が高くキレイなお店だった。幸か不幸か、みんなが住んでいる場所も近いらしい。


 料金は全部ノノが負担してくれるというので、喜んでこの店に決めて予約を取ったのだが。


 確かにキレイだ。受付にはホテルのような上品さがあって、観葉植物やよくわからない絵画も飾られている。


 受付の横の棚にタンバリンやマラカスのレンタル品が並んでいなければ、カラオケとも思えないような雰囲気が合った。


 ただ『室内完全防音』という張り紙が、喉にひっかかる。


「あの、もし室内でなにかあったときって……助けとかってどうやって呼べばいいんでしょうか?」


「各お部屋にあります内線用の電話機か、カラオケ機本体に付属しております電子端末からお呼び出しいただければ、お部屋にうかがわせていただいております」


 私の変な質問にも、受付の店員さんは親切に答えてくれた。


 もしおっさん達に力尽くで襲われても、電話機や端末を操作することができるのだろうか。――うっ、大声を出しても誰も助けに来てくれないのかな。


 不安ばかりが募り、やはり逃げようという気持ちが強くなってきた。ドタキャンなんかしたら、せっかく結成したギルドもお終いだ。


 人としての尊厳、モラル的にもさすがにしたくない。私は親からそんな人間には育てられていないのだ。――姫プは満喫していたけど。


 でも、女の子としての自分は守らなくちゃいけない。でもでも、そうしたら最強ギルドへの目標が。親の会社を、キーボードを宣伝したいのに。


「お客様、お部屋はご予約でしょうか?」


「え? あ、はい……あの打鍵音だけんおんシンフォニアムって名前で取っているはずなんですけど」


「はい、ありがとうございます。既にお連れの方がいらっしゃいますね。五○一号室ですので、そちらのエレベーターから上がってください」


「え、その、あ……」


 とてもUターンして店から出られる流れではなくなってしまった。


 私はすごすごとエレベーターに乗る。ドアが閉じられて、どこにも逃げ場のない感覚が一層強くなった。


 どうしてよりによって、カラオケにしてしまったんだ。密室でおっさん達と過ごすのなんて、すごい危険なのに。


 ――でもでも、これさえ乗り切ればレアアイテム。


 私の脳内に鳴り響いているはずのシグナルサインを、邪な欲望が遮ってくる。


 五階について、すぐに部屋が見つかった。部屋は明かりがついているけれど、うっすらとしか中の様子は見えない。


 これだと誰かが廊下を通ったとして、意識して見ていなければ何が起きていても助けに来てはくれないだろう。


「あれ?」


 ぼんやりとだけれど見える人影が一つ。


 店員さんの言葉からも、おっさんの誰かが先に来ているのはわかっていたが。


「……誰だろう?」


 シルエットがあまりにも小柄だ。おっさんにしては小さすぎるし、細すぎる気がする。いや、もちろんおっさんと言えどいろんなタイプがいるのは間違いないけれど。


 ――私より、一回りくらい小柄かな?


 それなら力尽くでなにかされる心配も少ないかもしれない。


 かすかな心の油断から、私は恐る恐るドアに手をかけた。そっと数センチほど開いて、中をのぞくと。


「え?」


 私は慌ててドアを閉じた。


 ――部屋の中に、女の子がいた。


 私と同い年か、それか少し年下くらいに見えた。


「部屋間違えたかな」


 部屋番号を確認する。五○一号室――店員さんから聞いた番号に間違いない。


 そうなると私が今見たものは幻かなにかか? ――ああそうか、おっさんが着ているTシャツにでかでかとプリントしてあるアニメの女の子かなんかか。


 もしかしたら等身大の人形という可能性もある。オフ会にそんな人形持参って大丈夫なの?


 よし、もう一度落ち着いて部屋の中を見てみよう。


「……」


 一瞬開けて、やはり中に女の子がいるのを確認して、急いで閉じた。


 見間違えじゃなかった。しかも立ち上がって、ドアのほうを見ていた。プリントされたイラストでもなければ、人形でもない。


 生きている。


 生身の女の子だ。でもアニメキャラなんじゃないかってくらい、目が大きくて顔が小さい美少女だった。肌は白いし、髪も明るい茶色――うっすら金色にも見える長髪で、なんであんな子がこんなところに!?


 もしかしておっさん――の誰かの娘さん?


 おっさん本人が急病で来られなくなって、代わりに来たとかそういうのかな。でもあのおっさん達に娘さんがいるとは思えない。

 異性関係に乏しい人生を過ごしてきたであろう方々だ。結婚どころか恋人もいたことがないだろう。


 それに万が一、億が一、おっさんの誰が結婚して娘がいたとして、半分はおっさんのDNAなのだ。あんな美少女が生まれてくるはずがない。


 つまるところ、彼女は部屋を間違えているのだ。と私は結論づけた。


「あのーすみません、さっきから何度もドア開けちゃって。でもお部屋間違えてません?」


 三度目の正直ということで、今度は堂々と部屋に入って彼女に声をかけた。


 中に居るのはやはり、何度見てもお人形のように可愛らしい女の子だ。


 壁沿いにならんだソファーの前で、直立している。


「はひっ! ……そ、その声! ユズさん……ですよね?」


 可愛らしい顔に似つかわしい、とても優しげな声だった。――ん? 私の名前読んだ?


 柚羽ゆずはという名前からそのまま取ってユズというのが私のハンドルネームだった。

 それを知っていると言うことは、無関係な人間が間違って部屋に入っているわけではないらしい。


「……えっと、娘さん? 誰の娘さんかな?」


「む、娘? ……父は波佐見真人はざみ・まひと、母は沙百合さゆりです」


「えっと、波佐見さん……真人さんってのが、三人の誰かなのかな? んー」


 受け入れがたい事実だが、あの中で結婚している可能性がわずかにも感じるのは人間的には問題のない――。


「ルルさんの娘さん?」


「あっ、そうです! わたしがルルです。申し遅れてすみません」


 ぺこり、と女の子が頭を下げた。ルルにこんな可愛い娘がいたなんて。


 ――え? 今、『わたしがルルです』って言ってた? 聞き間違えだよね?


「えっと、ルルさんの娘さんだよね?」


「い、いえ……わたしが、ルルですけど……」


 申し訳なさそうに、女の子が私をチラリと見てくる。小動物のような仕草には、愛くるしさ以外のなにものも感じない。


「……本当に?」


 ルルは、おっさんだ。だって私にすごいたくさんアイテムくれていたし、私もおっさん相手だと思って厳しめに当たっていた。


 ちょっとしたプレイングミスも改善ポイントとして教えて、何時間も操作と判断が上達するように練習に付き合わせた。


 ――はっきり言ってオンラインゲームでそんなことしてくるフレンドがいたら、普通は即ブロックである。


 それでもルルは私のことを慕っていてくれて、あまつさえレアアイテムを率先して貢いでくれていた。


 間違いなく私が女子であることが要因だ。

 おっさんが女の子を甘やかして精神的快楽を得るという――つまり姫プレイの最たる関係性だったはず。


「本当に、あなたがルルさんなの!?」


「はい……」


 私は女の子に近づき、まじまじと顔を見てしまう。どれだけ近くでよく見ても、シミ一つない白い肌は、やはり今見ているのが夢でこんな美少女が現実に存在するわけないのでは? という気にさせてくる。


 おもむろに頬を触ると、柔らかかった。夢ではないようだ。


「ゆっ、ユズさん……どうしたんです?」


「あっ、ごめん! 思わず」


 さっきまで白かった肌に、ほんのりと赤みが差していた。私は初対面の女の子相手に、勝手に触ってしまっていた。


「い、いえ、びっくりしてしまっただけで、そんな謝らないでください」


「う、ううん。ルルさんが可愛すぎて……私どうかしてたよ」


「か、可愛いなんて! わ、わたしなんかよりもユズさんのほうがずっと……」


「いやいやいや、そういうのいいから」


 こんな美少女相手に、褒め返されても困るだけだ。


「ごめん、もっかい確認するけど、ルルさんなんだよね? ……最初のころ、私とルルさんが二人で練習のために周回してたダンジョンって覚えてる?」


「ガシャドラゴンの洞窟のことですよね?」


「……うん」


「あのときは本当にありがとうございました。わたし、ユズさんに教わるまではとってもダメダメで……今もまだまだなんですけど……」


 もじもじとルルを名乗る美少女が、自分の指を絡めながら言う。


 ――本当にこの子が、ルルのようだ。

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