第99話

 社長室に、社長、空宮、そして矢引の三人が向かってすでに十分以上経過していた。

 その間にも、アイドルたち……とりわけ小稲は心配そうにずっと社長室の方を見つめている。他の者たちも、各々グループ名を考えたりしているが、やはり空宮たちの様子が気になるようで身が入っていない。


 そこへ十羽の、今は与えられた仕事に集中しろと注意が飛ぶ。

 六道もそんな中で一人、ただ動画を視聴するのも憚られたので、横森に買い出しに行ってくると言って、近場にある商店街の方へ出向くことにした。


 事務所で仕事をこなすうちに、ここの商店街もずいぶんと顔見知りが増えた。

 一応横森にも頼まれたものもあったので、先にそちらを優先して購入してから最後に本屋へと足を伸ばす。


「――いらっしゃ……って、なぁんだ六道かよ」


 店内に入ると、気だるげな声音が聞こえてきた。目前にはヨレヨレのエプロン姿をした残念イケメンこと卍原竜二が明らかにガッカリした様子を見せている。


「珍しいな、ちゃんと仕事してるなんて」

「うっせーわい。俺だってやる時はやるんだよ」

「しないとしばかれるから仕方なく、だろ?」

「そうとも言うけどな」


 こんな軽口を叩き合える程度には親しさを増していた。この店は、卍原の親が経営しているのである。

 コイツはこう見えて、自称プロを名乗るアイドルオタクであり、その知識はアイドル専門の記者でさえ舌を巻くレベルであろう。 


 実際アイドルについて知りたい時に、いつも六道は頼りにしている。

 ちなみにこうしてまともに仕事をしているところを見るのは珍しい。いつも何かにつけてサボろうとし、母親の折檻を受けるのだが、それでも懲りないのがこの男だった。


 実際よく見れば、頬が赤くなっているので、サボろうとしたところ、すでに一発ほどくらったに違いない。


「何しにきた……ってか、本を買いに来たに決まってるか」

「ああ、今月発売のアイドル雑誌をな」

「お、いいねぇ! ちょっと待ってろ」


 アイドルの話になれば、不機嫌さなんてどこかへと疾走するのが卍原だ。すぐに何冊かの雑誌を手に取って戻ってきた。


「ほいこれ、俺のオススメだぜ!」

「あ、ああ……てか、多くないか? 十冊くらいあるんだけど」


 そんなに今月発売したかなと思っていると……。


「何を言ってんだ! お前、この雑誌見たことねえって言ってたろ! だからある程度のバックナンバーも用意しておいたんだよ!」


 卍原は、自分に匹敵するようなドルオタに六道を陥れたいようで、いつもこうして過分な対応をしてくる。こちらとしてはありがたいのやら迷惑やら複雑だが、無下に断るのもどうかと思ったので受け取ることにした。もちろんちゃんと金は払うつもりだ。


「そういや六道、お前の推しの【マジカルアワー】、ちょっとずつ人気出てきたみてえだな」


 購入した本を袋に詰めながら卍原が聞いてきた。


「そうか? まだハッキリしたオファーとかもないし、暇な時間は多いみたいだぞ」

「いやいや、最初はそういうもんだから。けどデビュー動画も上り調子だし、これからどんどん人気出てくと思うぞ。この俺様が保証してやる!」

「いや、お前の保証があってもな……」


 とはいっても、コイツの見る目は相当なものだろう。だからコイツがそう言うなら、空宮たちは間違いなく資質があるということ。


「まあでも芸能界ってとこは、実力だけじゃどうしようもねえのも事実だしなぁ。それこそ大手プロダクションに所属してるってだけで、仕事を回してくれることも多い。たとえ実力が伴ってなくてもな」


 卍原の言うように、実力主義な世界だと言われながらも、それだけでトップアイドルにのし上がるには、本当にごく限られた者たちだけだろう。

 ほとんどの者は、実力があっても実力を見せる機会に恵まれずに埋もれて、そしてそのまま消えていく。


「ただ昔と違って今は、SNSとかがあるしな。それだけ多くの連中の目に触れるし、業界の連中だって動き易くなる」


 暗に彼は、このアイドルは金になると思えば、業界人たちは目の色を変えてくれると言いたいのだろう。

 昔は気軽にデビュー動画など配信するような環境でもなかった。そんな時代には、やはりコネクションなどを駆使して、お偉いさんの目に留まる必要があったのである。


 しかし今は、誰でも簡単にアイドルを評価できる時代である。SNSを見れば、そのアイドルがどれだけ人気があるのか、将来性があるのか〝数値〟で見極めることができる。

 つまり大衆が望む偶像を手に入れやすくなるのだ。


 だから今は業界人もSNSを常にチェックして、どこよりも早く自分たちのメディアで取り扱おうとする。当然、それは大きなビジネスチャンスになるからだ。


「けど多くの目に触れるってことは、それだけチェックも厳しくなるってのも現実だけどな」


 大衆は正直だ。SNSに書かれる言葉なんて歯に衣着せぬ文言ばかり。その評価はハッキリしていて、人はその評価に移ろいやすい。

 だから実際に自分の目で観なくても、誰かが言っていたからというような理由で価値を決めたりする。そのせいで傷つくアイドルなども多いと聞く。


 大勢の評価を得られやすくなったのは確かにメリットもあるが、同じようにデメリットも存在するということだ。

 実際【マジカルアワー】のデビュー動画にも、賛否両論は存在している。


 応援している、可愛い、大好きなどといった好感触もあれば、その逆のクオリティが低い、【ブルーアステル】の方が断然良かった、デビューするには早いなどというコメントもある。


 こういうエンタメで万人に受けるものは存在しないのは実情だが、こうした視聴者からの直接な意見は嬉しいこともあるが、その逆もまたあるということだ。


「だけどそういうのもひっくるめて背負いながらも立ち続けるのがアイドル、なんだろ?」

「! んふふ~、おいおいろっくみちくんも分かってきたじゃねえかぁ! よっしゃ、この雑誌の金はいらねえ! 好きなだけ持っていげぼろぉっ!?」


 横から飛んできた何かに弾かれて吹き飛んだ卍原。

 見ると、転倒した彼のこめかみに塵取りが突き刺さっていた。


 塵取りが飛んできた方角には、いつの間にか卍原の母親が箒を手にしながら立っている。その表情は赤子をも泣き出すくらいに怒気に塗れていた。


(オーガ……?)


 一瞬、異世界で戦ったことのある鬼を模したモンスターのことを思い出した。それくらいの威圧感を放っていたのである。


「っつぅぅ……! ああもうっ、いきなりこんなもん投げつけてくんじゃねえよ、ババア!」

「アンタがまた店の物を無料で配布しようとしたからだろうが!」

「気分が良くなったんだからしょうがねえだろうが!」


 どういう言い訳だと思いながら、母親に対して同情する。

 そうしてもうこの商店街の名物となっている親子喧嘩が始まった。


 六道は慣れたもので、溜息を吐いた後、静かに金を払ってその場を後にしたのである。

 すると事務所に戻る道を歩いていると――。


「――――もういいだろ! どっか行ってよ!」


 この近くから、男の子っぽい声が鼓膜を震わせた。





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