第98話

 突然来訪した執事然とした男性――矢引に向かって、空宮は目を吊り上げながら睨みつけている。


「アタシは遊びでここにいるわけじゃないわよ! さっさと帰りなさい!」


 真っ直ぐ自分の意見を言い放った。

 しかし矢引も素直に引き下がるを良しとしないようで、毅然とした態度のままだ。


「そういうわけには参りません。これはご当主様のご指示ですので」


 当主ということは、空宮の父親ということだろうか。


(いや、そういやさっき奥様がって言ってたな)


 つまり父親ではなく母親の方が家の主ということになる。

 どちらも引かない空宮と矢引が言い合っている最中、六道はあわあわとしている横森に聞くのは難しいと思い、近くにいた十羽に尋ねた。


「あの、空宮ってもしかしてかなりいいとこのお嬢様だったんですか?」

「……まあね。あの子が子役をやってたことは聞いてるでしょ?」


 その問いに「はい」と返事をする。


「あの子の母親もね、世界を代表する女優なのよ」

「世界ですか……え、ええ? せ、世界?」


 日本を代表すると言われても驚くが、まさかその上のステージだったのでさらに驚愕した。


「空宮クズノハって聞いたことがない?」

「空宮……クズノハ……! 聞いたことあります。確かハリウッドにも出てて、今じゃ名実ともに大女優だとか」


 タマモと同じように子役からスタートし、そのままスターへと駆け上がった。

 まだ四十代という若さにもかかわらず、すでに世界でも名を馳せている女優だ。出演した映画やドラマなどを上げれば切りがなく、主演、ヒロインなどのこれまで数多くの主役級を演じてきた。


 視聴率女王やCM女王という肩書も持ち合わせ、他にも監督業なども携わり、いまだに日本ならぬ世界でも引っ張りだこであり、その総資産は数千億はくだらないという怪物芸能人。

 しかしまさか自分でも知っているそんな大物が空宮の母だったとは驚きである。


「どうやらクズノハさんは、タマモにも女優の道を歩んでほしいらしくてね。それはそれは幼い頃から英才教育を受けてきたそうよ。そしてタマモも当たり前のように子役からデビューして名を上げた」


 なるほど。それほどの才能を娘に見出していたということか。これが血筋だと言われれば納得するが、十羽の話はそれで終わりではない。


「確かにタマモには演技の才能はあったし、大女優の娘というコネクションもあって、順風満帆な道を歩み、いずれは母の後継者になるだろうって誰もが思っていたわ」


 十羽が軽く溜息を吐いて続ける。


「けれどある日、突然タマモが子役を辞めると言ったそうよ」

「その理由は?」

「まあよくあるような理由よ。親の敷いたレールの上を歩きたくないっていう反発心ね」

「なるほど……」


 そのまま何の疑いも持たず歩き続けていれば成功を約束されていたかもしれない。しかし空宮にとっては、それは自身が望む未来ではなかったということか。


「だけど当然、それまで未来の大女優としての投資をしてきた母親はタマモの言い分を却下。二人は激しい口論の末、タマモは家を出たわ」

「家を……出た?」

「ねえ、六道くん、これまでタマモを家に送り届けていておかしいと感じたことはないかしら?」

「え? おかしい……ですか? 別にいつも小稲の自宅に送り届けてるだけですけど」

「それよ」

「はい?」

「タマモの自宅まで、あの子を運んだことないでしょ?」

「……あ」


 そこまで言われてようやく気付いた。そういえば確かに空宮を、彼女の自宅まで送ったことはなかった。いや、迎えに行ったこともだ。

 いつも小稲と一緒にいるので、送迎もすべて小稲の家を起点としていた。


「家を出たのはいいけど、一人で家を借りる余裕はないし、学校だってあるからね」

「……もしかして小稲の家に?」

「そう、居候という形でね。小稲の家族も昔からタマモのことを娘のように可愛がっていたからそこは問題なかったんだけど……」


 何やら奥歯にものが挟まったような言い方だ。何か気になることがある様子。


「そのままタマモを放置するわけにもいかず、当然ながらクズノハさんの手が伸びるわけ」


 いくら信頼できる家族のもとにいるといっても、迷惑にもなるし、何よりも子役としての道はそのままだと閉ざされてしまう。母親としては大分と焦っただろう。


「今回みたいに、度々あの矢引さん……ああ、あの人は空宮家に仕える執事でね、クズノハさんが小さい頃からの世話役だったみたい。その矢引さんを差し向けては、タマモを連れ帰らせようとしているってわけよ」


 十羽の説明のお蔭で、タマモのこれまでの背景が見えてきた。

 しかしながらそれは家族間の問題だ。おいそれと他人が口を出して良い問題ではないが……。


「はーい、そこまでにしてねぇ」


 皆が二人の言い合いに沈黙していた時、そこに割って入ったのは社長だった。


「いつまでもこんな場所で言い合いされてたら仕事にもならないでしょぉ? それに矢引さんも、ちょ~っとマナーがなってないんじゃないですかぁ?」


 言葉はいつもとそう変わらないが、どこか反論できない雰囲気を感じる。いくら家族の問題とはいえ、今では空宮は社のアイドルであり、そのまま見過ごすわけにはいかないのは当然か。

 すると矢引も一つ咳払いをしてから、社長に対し頭を下げる。


「これは不躾な態度をお見せしてしまったようで、まことに申し訳ございませんでした」


 その仕草は美しいとも思えるほどに堂に入っていた。さすがは一流の執事。


「とにかくぅ、お話をするなら椅子に座って、落ち着いてしてくださいねぇ。タマモちゃんも、いいかしらぁ?」

「え、ええ……悪かったわ」


 タマモも迷惑をかけていることを自覚しているようだ。


「あ、それとぉ、話し合いには私も参加しますねぇ。いいですよねぇ、矢引さん?」

「む……できればお嬢様と二人だけがよろしいのですが?」

「いいですよねぇ?」

「……むぅ」

「い・い・で・す・よ・ねぇ?」

「…………お好きになさってくださいませ」


 矢引は社長の得も言われぬ気迫に負けた。


(社長……怖ぇ……)


 元勇者の六道もまた身震いするほどの威圧を感じたのであった。



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