第95話

 事務所があるビルの屋上に小稲はいた。 

 フェンスに背を預けながら、抱えた膝に頭を埋める形で座っている。

 六道は怯えさせないようにゆっくりとした足取りで彼女のもとへ行き、その隣にそっと座り込む。


「ちょっとばかり、空宮さんの言い方はキツかったな」


 穏やかな声音でそう言うと、ヒックヒックと喉を鳴らしながら小稲は答える。


「タマちゃん…………わたしのこと嫌いになっちゃったんです……」

「何でそう思う?」

「だって……だって……わたしの組むのが嫌だって……」

「あの子は嫌だなんて口にしてないだろ?」

「それは……でも……」


 彼女にしてみれば、断られた理由が自分を嫌いになったということしか頭にないのだろう。


「……小稲、小稲は空宮さんのこと好きか?」

「……はい」

「何でそんなに好きなんだ?」

「……タマちゃんはいつもわたしのそばにいてくれました。わたしが困った時とか……寂しい時とか……。こんな弱虫なわたしのそばにいつも……だから……」


 語りながらまた嗚咽が酷くなっていく。本当に嫌われたと思っているようだ。


(ピュアだな、この子は)


 しかしその純粋さは傷つきやすい側面も持ち合わせている。良く言えば一途だが、悪く言えば単純過ぎる。

 だからこういった場面に陥ると、自分にとって悪い方向ばかりに思考が傾いてしまうのだ。きっとそれは自分に自信がないからだと思うが。


「あのな、嫌いならあの子はハッキリ口にすると思うぞ。そういう性格なのは、小稲が一番理解してるだろ?」

「……でも」

「それに思い出せ。俺と初めて会った時のことを」

「え? 初めて……ですか?」

「そうだ。あの時、空宮さんは自分よりも小稲を優先した。それは間違いなく小稲のことが大事だからだ」

「あ……」


 思い出したようで、表情を固めたまま六道を見つめている。そんな彼女に微笑を浮かべながら小さい頭を撫でてやる。


「だから大丈夫だ。空宮さんが小稲を嫌うなんてことはない」

「っ……でも、だったら何で一緒に……アイドルをしてくれないんですか?」

「別にグループが違っても、向かう先は同じだろ?」

「向かう……先?」

「ああ、お前たちは【マジカルアワー】という船に乗っているクルーだ。たとえそれぞれ違う仕事をしているとしても、それは一緒に目的地に辿り着くためだよ」


 その言葉に、何か思うところがあるのか小稲は少し顔を俯かせ考え込んでいる。そのまましばらく待ってやると、小稲が静かに口を開く。


「……じゃあ……一生懸命頑張れば、またタマちゃんと一緒にお仕事できるようになるんでしょうか?」

「当然だろ。これからグループごとに仕事をするといっても、全体曲をすることになったり、同じ番組に出演したりするはずだ。それにグループだってずっと同じメンバーで続けるわけじゃなく、メンバーをシャッフルしたりしてバリエーションだって増やしていくと思うぞ」


 デビューの時のように全体曲を披露することだってあるだろう。その時は当然全員でレッスンはするし、【マジカルアワー】としての番組出演依頼で、全員で参加することだってあるはず。


 それにメンバーを入れ替えて新たなグループを作って売り出すことだってあるだろう。事務所が人気出てくれば新人だって入ってくるだろうし、小稲もまた空宮と組むことだってあるに違いない。


「まあ、小稲が不安なのは分かる。人見知りだし、相棒が年上でエースの夕羽だしな」


 まだ小学生の小稲にとっては不安でしかないだろう。性格的にも夕羽と相性が良いかどうかは分からない。六道も社長の決定に驚いたくらいだ。


「けどな、俺はこれが小稲にとって良いチャンスだとも思ってる」

「チャンス……ですか?」

「ああ、だって相手は演技もモデルも歌もダンスもできる絶対的エースだぞ。アイドルとして小稲が成長できるための相棒としてはもってこいじゃないか」

「……絶対足手纏いになっちゃいますぅ……」

「最初はそうだろうな。何せ実力差はやっぱりある」


 ストレートな物言いに、益々落ち込んでしまう。


「でも人が成長するには、高いレベルの人を見習うのが一番だ。そんな相手がこれから最も近くにいる環境は、きっと今の小稲にとって強い味方になってくれると思うぞ」


 同じような実力者と一緒に切磋琢磨するのもいいだろう。しかし高い目標はやはり傍にあった方が、より高い経験値になると六道は思っている。 


 実際異世界での戦闘経験を積む時にも、その手解きは腕利きの人物にしてもらった。かなりスパルタというか、死にかけた回数なんて思い出しただけで吐きそうになるが、それでもあの経験があったから早々に身も心も成長できたと思っている。


(まあアレと比べるのはどうかと思うけどな……はは)


 脳裏に浮かぶストイック過ぎる修行を思い出し思わず身震いしてしまう。


「…………わたしも、成長できるでしょうか?」


 ふとそう声を発した小稲を見る。


「このままじゃ……いつまでたってもタマちゃんに迷惑かけちゃいますし…………置いていかれるのは嫌……です」


 六道は「そっか」と短く答え、小稲がそのまま続ける。


「わたしが……立派なアイドルになったら……タマちゃんも喜んでくれるでしょうか?」

「当然だろ。空宮さんは自分にも他人にも厳しいけど、必死に頑張ってる人を素直に認めるだけの大きな器を持ってる。小稲の頑張りはきっと報われるはずだ」

「……………うん」


 スッと立ち上がった彼女に倣い六道も立つ。

 そして小稲は涙を拭い、意を決したような表情をこちらに向けてきた。


「わ、わたし、頑張りたい……です! ちゃ、ちゃんと最後までできるかどうか……怖いですけど……でも、それでもできるだけやってみようと思いますっ!」


 まだまだ不安な様子は拭えないけれど、それでもどうやら覚悟は決まったようだ。


「ははは、それでこそ将来の立派なアイドルだ!」


 笑いながら少し乱暴に頭を撫でると、「はやや!?」と照れたように顔を赤らめる小稲。

 しかしそんな彼女が、また少し顔を俯かせたので気になった。


「あ、あの…………その……頑張りますけど……それでも……やっぱり落ち込んじゃうこともあると思います。その時は…………その時は……またこうやってお兄さんに頼っていい……ですか?」


 ウルウルと目を潤ませながら尋ねてくる。こんな捨てられた子犬のような目をされて断れる六道ではない。


「おう、お兄さんはいつでも小稲の味方だ。だから遠慮なく頼ってこい」

「! ……はいっ! えへへ」


 そうして心を決めた小稲とともに事務所へと戻って行った。



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