第90話

「ではみんなぁ、グラスは持ちましたかぁ~?」


 【マジカルアワー】の社長である絵仏篝の陽気な笑顔と声が店内に響き渡る。

 ここは事務所があるビルの二階――【韓国料理店・モホム】の団体用の個室。掘り炬燵になっていて、縦長のテーブルには店自慢の韓国料理が並んでいる。


 社長がオーナーと懇意にしていることもあり、先日のデビューライブ成功と、新しいドライバーの歓迎会を祝うために貸し切りにしてくれていた。


 とはいってもあまり大きな店ではない。団体用といっても十人程度の部屋で一つしかないのである。それでも特に女性に人気の隠れた名店であり、六道もいつか足を運んでみたいと思っていたので都合が良かった。


 そこに集まったアイドルたちや社員すべてが、各々ジュースや酒が入ったグラスを持って社長に視線を向けている。


「まずは~、アイドルのみんなぁ、デビューライブ大成功おめでとぉ~!」


 心の底から嬉しそうな社長に対し、アイドルたちも実感が籠った良い笑顔を浮かべて、互いに顔を見合わせている。


「今日は、頑張ったみ~んなを労うため、そして長らくお預けになっていた六道くんの歓迎会。その二つを一気に祝っちゃおうってことで開催しましたぁ~。ではでは改めてぇ、みんなぁ、グラスは持っていますよねぇ?」


 その質問に全員がそれぞれ返事をすると、社長がグラスを握った右手を高々と上げた。


「かんぱぁぁぁぁ~い!」


 その声を皮切りに、その場にいた皆も乾杯と口にしながらグラスを軽くぶつけ合う。


「よーし! 今日は食べますよぉー!」


 目を無邪気な子供ばりに輝かせながら、目の前のテーブルに置かれた料理の数々を見つめる横森。何でもこの日のために、今日の朝と昼を食事抜きにしてきたらしい。

 定番のプルコギやヤンニョムチキンなどはもちろん、鍋で用意されたたっぷり野菜のチゲやキンパやビビンバなんかもある。


 ちなみに六道は何故かアイドルに挟まれての場所に座らされていた。端の方で良いと言ったのだが、今日の主役の一人なのだからと、社長に無理矢理テーブルの真ん中を定位置にされたのである。


「これ、すっごく美味しいですよ、ドライバーさん! 食べてみてください、はい」


 右隣に座っている月丘が、小皿によそったキンパを目の前に置いてくる。


「あ、ああ、ありがと。じゃあ一つもらうよ」


 キンパは韓国海苔巻きのことだ。そういえば存在は知りつつも食べたことはなかった。


(お、美味いな。いろんな食感があって、ごま油も効いてるし)


 これなら二つ三つペロリといけそうだ。


「どうですか、美味しいですか?」

「うん、初めてだったけど、俺のお気に入りリストに登録しとくよ」

「あは、それは良かったです! 私も大好きなんですよ、キンパ!」


 そう言いながら、パクパクと一口で一つずつ口に入れていく。しかしそんなに一気に詰め込むと……。


「……んぐっ!?」


 言わんこっちゃない。喉が詰まった様子。

 慌てて背中を軽く叩いてやろうとしたが、彼女の隣にいた空宮が先に彼女の背を叩く。


「けほっ、けほっ、けほっ! ……うぅ、死ぬかと思ったよぉ~」

「アンタね、小学生じゃないんだから、おっと落ち着いて食べなさいよね」

「ご、ごめーん。あ、でもコレ美味しい」


 ナムルを一口食べて頬を緩ませている月丘に、空宮が「聞きなさいよ!」と声を荒らげている。


「……しるしは、辛いの大丈夫か?」


 ふと左隣を見やると、しるしは小さな器によそおったビビンバを無表情で食べていた。


「ん……からすぎるのはダメ。これくらいなら……もんだいない」

「そっか。何か他に欲しいものはないか? 取ってやるぞ」

「…………じゃあ……アレ」


 そう言って指差した先にあったのは、六道も結構好きな方に入るトッポギという料理だ。細長い餅を甘辛く煮たものであり、子供にも人気があると聞く。

 取り皿によそってやり、しるしの目の前に置く。


「熱いから気をつけてな」

「ん……ふー……ふー……はふはふ……ふぅ……はふぅ」


 これは何て可愛らしい光景なのか。

 もしここに彼女の父である団十郎がいたら悶絶しながらも、カメラを連射モードにして記録していることだろう。


 しるしに「美味いか?」と聞くと、 何故かこっちをジッと見つめてきたと思ったら、「あーん」と言いながらトッポギを一本差し出してきた。

 思わず「え?」となったが、相手がまだ子供でもあるし何てことはないかと受け入れようとするが……。


(…………めっちゃ見られてるんだが?)


 ほとんどの視線がこちらへと向き、非常に食べづらい構図になってしまっていた。

 しかしここで拒絶することはできない。きっとそれはしるしを悲しませてしまうからだ。


「あーん…………うん、やっぱりトッポギは美味いな」

「ん……しるしも……すき」


 どうやらこちらの対応は間違っていなかったようで、満足げな表情で自分の食事に意識を向けるしるし。

 ホッとするのも束の間、向かい側に座っていた十羽がとんでもないことを言ってくる。


「六道くんって…………ロリコンなの?」


 思わずギョッとなったが、次いで彼女の隣に座っている夕羽が口を開く。


「それは危険ね、姉さん。即刻通報が必要かしら?」

「ちょ、違うって! 俺は普通の恋愛観だ!」


 少なくとも幼女に興奮するような変態ではない。


「へぇ、じゃあ私からでも食べてくれるのかしらね~? はい、あーん」


 今度は言葉ではなく行動で爆撃してきた。

 十羽によって差し出されたフォークには、美味そうなチーズがかけられたヤンニョムチキンが刺さっている。


「え、あ、えっと……十羽さん?」

「あ、ほら、チーズが垂れちゃうから!」

「え!? あ、はいっ!」


 そう言われてしまえば、もう勢いのままに行動するしかなかった。自分の顔をフォークに近づけてパクッとチキンを口にした。

 ピリッと甘辛い味付けにチーズの食感と塩味が合わさった抜群の仕上がりになっている。チキン自体も軟らかくて、コレは白飯が何杯もいける濃厚さだ。


 こういう時、恥ずかしさから味がほとんど分からないという話は聞くが、しっかりと吟味できるほどの美味さを味わえた……のだが。


「…………あの、何でこっちに向けて口を開けてるんですか?」


 何故か十羽が、何かを求めるようにして目を閉じながら口をこちらに向けて開けていた。いや、間違いなくそういう意味なのだろうが、正直言ってここは鈍感主人公になって惚けたかった。


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