第79話
サイン会の途中でいなくなった自分たちのプロデューサーである原賀が不機嫌さを隠そうともしない様子で帰ってきた。
お客様の前だというのにもかかわらず、そのせいで雪華たち【ブルーアステル】もまた何があったのかと思いハラハラしながらサイン会を続けていた。
それと同時に、雪華は先ほどのライブのことを思い出していた。自分たちのパフォーマンスは練習したすべてをやり尽くしたし満足のいく結果だったはず。その証拠に、これだけのファンを獲得することもできた。
しかし雪華の脳裏には、先ほど自分たちの後に行った娘たちのライブが映し出されている。
デビューだからまだあどけないところも多々あったし、きっと原賀が担当なら終わった後に厳しい説教が待っていることだろうが、それでも強い印象を受けた。
それは彼女たちが本当に楽しそうにライブをしていたことである。
最初こそぎこちなさが目立ったが、徐々にファンを喜ばせようと満面の笑みで応えている姿を見て、初々しくも最後まで全力でやり通した。
そして終わった後の彼女たちの顔を見れば、決して後悔のないパフォーマンスができたことは伝わってきた。
(ふふ、私もデビューの時は緊張したけど……楽しかったなぁ)
彼女たちと同じように、最初は緊張からガチガチでとてもではないが褒められるような内容ではなかったかもしれない。それでも自分の歌とダンスがファンたちを笑顔にしていることに気づき、それがとても嬉しかった。
しかしその後、原賀にはミスだらけだったと叱られた。次も同じようなことをすれば【ブルーアステル】を脱退だとも告げられ、それからは毎日必死にレッスンに臨み、ただ一つのミスもしないように完璧を目指していた。
(今日は……ミスは無かったと思うんだけど)
チラリと見ると、まだ不機嫌そうな原賀。きっと自分たちには気づかないミスがあったのだろうと思い、他のメンバーもその考えに行き着いたのか若干頬が引き攣っている。
(あーダメダメ、今はファンの人たちの前。ちゃんとアイドルをしなきゃ)
そう自分に言い聞かせる。ファンの前では常に笑顔でいなければならない。それがアイドル。
「おい、お前たちももっと声を出して客を呼び込め」
いつの間にか近づいてきていた原賀の耳打ち。
(ちょっとファンに聞こえたらどうするのよ……!)
不快そうな声音に表情。そのせいかファンの人たちの中には不審がる者も出てきている。
「あの、プロデューサー、さっきまでどこに行って――」
「黙れ。お前は……お前らは俺の言うことだけ聞いておけばいいんだ。分かったらさっさと言われたことをしろグズ共が。それともグループを解散するか?」
こんな公衆の面前で明らかな脅しを言うなんてどうかしている。どこか切羽詰まった様子ではあるが、ここまで直球をぶつけてくるとは何かあったのだろうか。
だからこそ他の二人のメンバーも動揺しているようだ。そしてそんな雰囲気を感じ取ったのか、ファンたちも次々と困惑し始める。
雪華はこれではいけないと思った。
「ほ、ほら二人とも! ファンの前だよ!」
笑顔を二人に向けながら言うと、彼女たちもハッとした様子で笑顔を作り声を出し始めた。
またも気づけば、原賀はその場からいなくなり、少し後方で苛立ちながら爪を噛んでいる。できればそこからいなくなってほしいが、それを要求することは自分のアイドル生活が終わることに繋がってしまう。
雪華はアイドル。アイドルで居続けるためにも、彼――原賀に従うしかないのだ。
『アイドルやってて楽しい?』
不意に脳裏に過ぎった、ライブ前に言われた弟――冬樹の言葉。
どうしてそんなことを言ったのか。アイドル候補生の時は、応援してくれていたし、デビューライブの時は、妹の氷華と一緒に満面の笑顔を見せてくれていたのに。
いつからか、弟はライブに来ても心配そうな表情を見せるだけ。
今日も同じだった。観覧席にいた冬樹は笑って応援してくれている氷華とは違い、やはりどこか浮かない表情を向けてきていた。
(楽しい……よ。だって子供の頃からの夢だったんだから。そう……お母さんとも約束した……)
小さい頃、テレビで踊って歌う女の子たちの、そのキラキラ輝いた姿に感動し、自分も同じように輝きたいと思った。それで母に、将来は立派なアイドルになると約束したのである。
そして大手の芸能プロダクションに所属することができ、厳しいレッスンの末にやっとデビューすることができた。順風満帆ともいえる道程だろう。
家族も全員喜んでくれた。それなのに何故……。
一際大きな拍手と歓声が響き、そちらを見ると【マジカルアワー】のアイドルたちがファンたちに手を振られながらステージを後にしていくところだった。
(……笑顔、か)
あの娘たちは本当に楽しそうな笑顔を浮かべていた。心からアイドルを楽しんでいる。それが痛いほど伝わってきた。
自分も今日のステージ、本当に心から楽しんでいただろうか。
いや、そう疑問に思ってしまった時点で答えは出ているのかもしれない。
しかし……。
チラリと背後に顔を向けると、いまだ原賀が忌々し気にステージの方を睨みつけていた。
(……そうよ。私にはこの道しかないんだから。アイドルを続けるためにも、言われたことをやるしかないじゃない!)
そう改めて決意し、ファンたちの声に応えていった。その顔に、笑顔という仮面をつけて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます