第73話
正直まだ混乱の只中にあった。
夕羽は、自分がさっきまでどんな渦中にいたかを想像するだけで身体が震えてくる。見知らぬ男埒に拉致され、大切な姉を傷つけられ、一緒に姉と逃げたにもかかわらず、最後は姉を囮にするような形で逃げていた。
そこでもまた男たちに追われてしまい最悪な未来が脳裏を過ぎったのも束の間、そこへ登場したのが事務所のドライバーこと大枝六道だった。
最初会った時は不愛想な顔つきで、少し怖い印象があったため、本当にアイドルのドライバーなんか務められるのか半信半疑だった。下心からアイドルの卵である自分たちに近づいてきたのではとさえ思ったほどだ。
しかし彼は思った以上に真面目で仕事にも真っ直ぐだった。そのせいか徐々に他の娘たちも信用してどんどん親しくなっていく。
そして自分もまた、彼の真摯な態度に少しずつ不安が緩和されていった。
そんな矢先の出来事。
何故彼がスラム地区に突如として現れたのか、しかも複数の男たちを圧倒するほどの威圧感を有し、窮地だった自分をあっさりと救ったかと思ったら、人間離れした動きで自分を抱えて跳躍し、瞬く間に姉のもとへと向かってくれた。
さらに銃を持つ誘拐犯相手にも怯まず、むしろ相手を怯えさせるほどの実力を見せつけ撃退してしまったのである。
またどういう原理か分からないが、決して小さくない傷を負っていた姉を、謎の液体だけで完治させるという不可思議な現象も引き起こした。
そうして自分と姉は、彼の妹らしき人物とともにタクシーに乗り込み、今まさにライブ会場へと向かっている。
この調子なら時間まで十分に間に合うので、ライブ自体は問題ないが……。
車内では助手席に彼の妹が座り、後部座席には姉と一緒に乗り込んでいた。姉もまた自分と同じような困惑があるためか、先ほどからずっと沈黙を保っている。
そんな中、最初に口火を切ったのは彼の妹からだった。
「そういえば、まだちゃんと自己紹介してなかったっけ?」
顔だけをこちらに向けてそう言うと、人懐っこそうな笑みを浮かべて続ける。
「わたしは、大枝鈴音。お兄ちゃん……さっきまでいた男の人っていうか、あなたたちのドライバーをしてる大枝六道の妹だよ」
自己紹介を受け、思わず夕羽と十羽がそれぞれ顔を見合わせたあと、今度は姉が口を開く。
「そうだったのね。えっと、いろいろその……聞きたいことがあるんだけど……」
十羽の気持ちは分かる。聞きたいことが多過ぎて、一体何をどう聞けばいいのか悩む。
「あーでもさっきのことはお兄ちゃんがいる時に聞いた方がいいと思うかなぁ。ほら、二度手間になっちゃうだろうし」
それもそうか。確かに詳しい話はあの人が合流してからでいいかもしれない。
「じゃ、じゃあまずはそうね。遅くなったけど、私たちと助けてくれてありがとうございました」
そう言って頭を下げる姉に倣い、夕羽も同じようにする。彼女がいなければ、今どうなっていたか分からない。
「ううん、いいよいいよ。お兄ちゃんがお世話になってるみたいだし。それに本当に偶然だったからね~」
朗らかに笑うその表情に、どことなく六道と似たものを感じた。やはり兄妹なのだろう。
「それよりもお姉さん、怪我は大丈夫? お兄ちゃんが治してくれたから大丈夫だとは思うんだけど……」
「あ、それは問題ないわ。というか問題ないのが問題というか……それも彼に直接聞いた方が良いのよね?」
「あーそだね。そっちの話題振っちゃってごめんなさい。えと……じゃあそっちの子、八ノ神夕羽ちゃんだっけ? あなたは怪我とかしてない?」
「ええ、大丈夫だけれど……私の名前知っているの?」
「うん、お兄ちゃんに強引に……おほん! お願いして所属してるアイドルたちの顔写真を見せてもらったから」
今強引にという言葉が聞こえたが、ここは追及すべきなのだろうか……。
「実はわたしも、あなたたちのライブに向かう予定だったんだよ。お兄ちゃんに誘われててね」
そこでたまたま近くで自分たちが誘拐されるところを発見し追ってきたという。しかも走って。
「ねえ夕羽、私たちって車で運ばれてたのよね?」
そう声をすぼめて聞いてくる十羽に、自分もまた詰まりながらも「え、ええ」と答えると、十羽は不思議そうに小首を傾げていた。気持ちは分かる。しかしこれもあとで彼に聞けば分かるような気がする。
「でもデビューライブ当日に事故に巻き込まれるなんて災難だったよねぇ。けど、きっと大成功すると思うよ、ライブ」
「え……ど、どうして?」
鈴音の言葉の真意が分からなくて反射的に問い返していた。何故なら、普通は不幸な出来事に見舞われたのだから、その日は運が悪いと言わざるを得ないと思ったからだ。
けれど鈴音は、ニコッと白い歯を見せて笑いながら告げる。
「だって、不幸のあとは絶対次は幸運が訪れるはずじゃん! だからきっと大丈夫だよ!」
当然根拠などないし、彼女の持論でしかない。それでも何故だろうか。キュッと心が掴まれ、ホッと温まったような気がした。
きっとそれは彼女が本心で思っていることを口にしているからだろう。嘘のない魂から出た言葉。だからこそ不思議な説得力に満ちていた。
「ふふ、そうね。そう考えた方が気合も入るわよ、夕羽」
「姉さん……まったく、楽観的なんだから」
そう呆れながらも、自分の表情も僅かに緩んでいることに気づいていた。
先ほどまでどこか張りつめていた空気感が穏やかなものへと変わっている。当然それは鈴音が作り上げたものだろう。
(なるほど、あの人の妹なのも頷けるわね)
六道が話に入ってくるだけで、自然と会話が盛り上がったり雰囲気が和らいだりする。その才能は妹の鈴音にもあるのだと実感した。そしてそういう天性に若干憧れもする。自分とは真逆な性質だと思っているからだ。
そんな話をしながらも、運転手はまるで置物のように黙っていてくれる。自分的には当たりな人物のようだ。空気を読めない人は、こういう話でも突っ込んできたりするからだ。
そうしてライブ会場がある【クオンモール】へ到着すると、そこには社長がいて出迎えてくれた。
「し、心配したよぉ~!」
そう言いながら夕羽と十羽を抱きしめてくる。
「しゃ、社長! 話はあとでちゃんとしますから、時間は? 大丈夫ですか?」
さすがはプロのマネージャーである姉だ。そう社長に聞くと、社長もまたハッとなって、
「う、うん、時間はギリギリ大丈夫よぉ! 今、ステージでは【ブルーアステル】がライブしてるとこなのぉ。それももうすぐ終わるから、夕羽ちゃんは急いで準備をお願いねぇ」
「は、はい! 今すぐに向かいます!」
そう言いながらモール内へと駆け込み、なるべく早足で会場近くにある控室へと向かう。
その道すがら、どんどんモール内にこだまする曲が耳に入ってくる。
ステージが遠目に写るが、その周りには大勢の観客たちが詰め寄っていた。二階も三階にも客はギッシリ、ステージ上で踊る妖精たちに目を奪われている。
そして自分もまた……。
そこに立つ三人の少女。曲合わせたキレキレのダンスを披露しながら歌う彼女たちを見て思わず呟く。
「っ……凄い」
寸分違わず三人シンクロしているダンスの練習量はいわずもがな、自分が一番感動したのはその歌声である。
三人がそれぞれの旋律を完璧に歌い上げていて、とてもバランスが取れている。
特にメインボーカルとしてセンターで歌っている少女の技量がずば抜けていると夕羽は感じた。いや、感じざるを得なかった。
夕羽もまた歌を絶対的な自信を持って磨いてきた。モデルをしながらも、毎日毎日ボイスレッスンは欠かさずに練度を上げてきたつもりだ。だからこそ彼女のレベルの高さが分かる。
その透き通るような、それでいて力強い胸を震わせるような歌声。それは聴く者を魅了する力を持っている。ずっと聴いていたいと思わせるようなアイドルや歌手にとって必要不可欠な才。
「うわぁ、やっぱ本物は違うなぁ」
同じように感動して声を漏らしたのは、一緒にここまでやってきた鈴音だ。彼女もまたステージで舞う彼女たち……いや、その視線は真っ直ぐセンターの娘へと向けられている。
「銀堂雪華……さすがね。けど夕羽、見惚れてる場合じゃないわよ」
十羽の言葉にハッとし、軽く頭を振って現実に戻る。
そうだ、ここで飲まれてしまってどうするのか。これから自分も……自分たちも同じ舞台に立つのだ。負けていられない。
華やかに彩るステージを一瞥したあと、今度は振り返ることなく控室へと走った。
そこで出迎えてくれたのは当然ながら、今日この日のために自分と同じようにレッスンしてきたアイドル候補生たち。
「ゆ、夕羽ちゃぁん! やっと来てくれたぁ!」
最初に涙目で突撃してきたのは月丘姫香である。
それを皮切りに、次々と他の娘たちも言葉を投げかけてきた。それに度々対応していた夕羽だったが、パンパンと拍手音が響き渡る。
「はいはい、遅刻の理由は後でしっかり聞くわよ。だから今は……分かってるわね、夕羽?」
挑むような表情をぶつけてくるのは空宮タマモ。誰よりもアイドルに思い入れの強い少女だ。まずはプロの世界に足を踏み入れる者として義務を果たせと言わんばかり。
「ええ、分かっているわ」
説明するのも謝るのも後。まずは夕羽が今できることを背一杯する。それが彼女たちを心配させた償いになるというのであれば。
こうして夕羽たち、【マジカルアワー】のアイドルたちがついに揃うことができた。
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