第66話
「はあ……はあ……はあ……」
乱れる息を胸に手を当てながら必死に整える。
どうしてこんなことになったのか。いくら考えても分からない。
未曾有の就職難。そのせいで乱れた時世になっているのは理解していた。実際にそういう場面も目にしたことはある。
しかしどこか自分には降りかからない災難だろうとは思ってしまっていた。それが甘かったのだろう。
平和に見える街中でも、少し外れた場所で行くと、まるでスラムのような荒れ果てた地区が存在する。政府もどうにかしたいとは口にしているが、現状のまま停滞……いや、むしろどんどん悪化しているらしい。
窃盗や強盗をする者が増え続け、しかもその中には、まだ十にも満たない子供もいたりする。一時期は高度な文明を誇り、そのまま栄華を極めていくのだろうと思われたが、時代の流れか、今は〝文明退化〟と揶揄されるほどの状況となっている。
特に貧富の差が激しく、持っている者はさらに潤い、持っていない者はさらに枯れていく。学者が言うには、今が日本という国家の最大の低迷期とのこと。
その中でも、アイドルとして今日デビューできる私は、貧困に喘ぐ者に比べても明らかに恵まれているのだろう。
そう、私――八ノ神夕羽は、今日この日にデビューする予定なのだ。
そのために毎日自分のできることを精一杯やってきたつもりである。事務所のみんなと一緒にデビューライブを成功させるために。
それなのに、こんなことになるなんて……。
「っ…………姉さん」
それは少し前のことだ。
当初から予定されていた撮影があったため、地方へ飛んで仕事に臨んでいた。翌日にはデビューライブが控えているので、できれば仕事を入れたくはなかったが、世話になっている監督からのお願いということ、まだライブが決まっていない時期に決めたということもあって断れなかったのだ。
それに撮影時間を確認すると、ライブには余裕で間に合うスケジュールになっていたため、それほど心配はしていなかった。
そして撮影も滞りなく終え、姉さんが運転する車に乗り込み、デビュー会場まで向かっていたのである。
あと数分で会場へ到着できる。人通りの少ない道へ入ったその直後だった。突然数台の車に囲まれ停止を余儀なくさせられたのだ。
当然姉さんが「何のつもり!」と抗議に出たが、その直後に姉さんが頭部を殴られて倒れてしまった。その光景を車から見ていた私は、すぐに飛び降りて姉さんのもとへ駆け寄った。
しかし私一人で何ができるのか、当たり前のようにそこにいたガラの悪い男たちによって拘束されてしまい、男たちの車の中に連れ込まれてしまった。
恐怖でどうにかなりそうだったが、それでも傍に怪我をした姉さんもいることで、自分が何とかしないといけないという使命感を覚え、両手両足を紐で縛られつつも姉さんの傍に陣取り、震えながらも男たちを睨みつけていた。
そんな私の虚勢を愉快気に見ていた男たちの車は、どこかの建物内へと入っていき停車する。すると男たちはこぞって外へ出ていき、車内には私とまだ意識を失っている姉さんだけになった。
私は必死に姉さんに呼びかけると、彼女もようやく目を覚ましてくれたので、現状を私の知る限り伝えたのである。
どうやらスマホは奪われていて、社長たちに連絡を取る方法がなかった。なのでどうにかここから逃げて誰かを頼るしかない。
姉さんも同じ考えだったが、まずは後ろ手に縛られている紐を何とかしないといけない。そこで姉さんが自分の口を使って、私の紐を噛み千切ろうとしてきた。
いつ男たちが戻ってくるか気が気ではなかった。それでも姉さんは比較的冷静を保ちながら何度も何度も口を動かして紐を少しずつ細くしていき、ようやく私の両手は解放された。
解放された手で足の拘束を解くと、姉さんが助手席にあるダッシュボードを探れと言う。もしかしたら武器になるようなものがあるかもしれないと。
姉さんの言う通りすぐさま助手席へ行ってダッシュボードを開けると、そこにはスマホが二つ置いてあった。間違いなく私たちが奪われたものだった。
「姉さん、これ!」
「間抜けな誘拐犯だったようね。早く助けを呼びなさい」
私は返事をすると、すぐにスマホを操作し始めた。しかし警察に電話をと思ったその時、後部座席のドアが開いて、そこから現れた男に見られてしまった。
当然私の拘束が解かれている事実とスマホを手にしていることに気づき、私がいる助手席の方へ走ってくる。
これでは電話をしている暇はない。そこでハッと思いついたのは社長へのチャット連絡だ。あれならすぐにアプリは開けるしメッセージだって慣れているから即座に送ることができると思い、運転席の方へ逃げると同時にアプリを開く。
そしてすぐさま〝助け〟という文字まで入力した直後に、髪をグイッと引っ張られて助手席へと身体ごと持っていかれる。その際に反動で送信してしまい、中途半端な言葉しか送れなかった。
私から二つのスマホを奪うと、男は地面に叩きつけた上に踏みつけて壊してしまう。
「良い度胸してんじゃねえかぁ!」
相当怒りが込み上げていたのか、男が私を殴ろうとしたその瞬間、男は横に弾かれたように吹っ飛んでしまった。
一体何が起きたのかと思ったら、そこに一人の少女が立っていたのである。
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