第63話

「一人は少し遅れています。ですが安心してください。本番は問題なく全員が揃ってパフォーマンスをお見せできますので」


 社長のその言葉に、原賀が「ほう」と空気を吐くように出し、


「リハーサルにも来ないとは、ずいぶんと自信がおありのようで何より。ですが、この業界で仕事に遅れるというのは致命的にもなり得る大失敗。しかもまだデビューもしていないヒヨッコが」

「ですから問題ないと申し上げています」

「確か、以前にも仕事に遅刻をしたらしいじゃないですか?」


 そこを突いてくるか。


 だが彼の言う通り、少し前に夕羽は仕事に遅刻してしまっている。十羽が入院することになった事件だ。状況的に仕方なかったとはいえ、遅刻は遅刻。評価的に言うのならばマイナスなのは事実だろう。


 何せこの業界、運の良さも大きく左右されている。実力だけではない。巡り合わせや運が太い人材は、やはり息長く在しているのだから。

 特殊な仕事環境ということもあり、肝心な時に運の悪さが働くような人物を重宝しにくいのだ。たとえ本人に実力があってもだ。


「もし、この大事なデビューライブに間に合わないとなれば……始まる前に終わるということを覚えておいた方が良いですよ。これは大手のプロデューサーとしてのアドバイスですが」

「……忠告痛み入ります。ですがそんな心配は無用ですので安心してください」


 微笑を浮かべながら答える社長ではあるが、明らかに怒気が孕んでいるのは分かる。無論、空宮たちもまた今にも怒鳴りそうな様子だ。


 それでも我慢しているのは、やはり騒ぎを起こしてスキャンダルにしないためだろう。せっかくのデビューを自らで潰したくなんてないはずだ。


「あーちょっといいですかね?」


 そんな張りつめた空気の中、俺がスッと手を上げて注目を浴びた。

 当然皆が俺を見つめる中、少し原賀が訝しむような視線を俺に向けている。


「そろそろリハーサルが始まるのでは? それに……今あれこれ言ったところで仕方ないでしょう」

「おやおや、たかがドライバー程度が、トップ同士の会話に割り込んでくるのとはね。身の程を弁えたらどうかな?」


 おいおい、勘違いするなよ。それを言うなら、こっちは間違いなくトップだけど、そっちはたかがプロデューサーだろうが。

 そんな正論をぶつけてやりたいが、これ以上、相手の挑発に乗るつもりはない。


「それは申し訳ありません。ですが互いに――結果で判断すればいいだけのことですから。優秀なプロデューサーなら、それくらい理解されていると思いますが……違いますか?」


 そう言い放った俺を、面白くなさそうな表情で睨みつけてきた原賀だったが、すぐに見下すように鼻で笑う。


「君の言う通りだね。結果がすべてのこの世界。そう……ならすべて終わったあとを楽しみにしているよ。では我々はこれで。お互いに、本日のライブを成功させましょう」


 含みのある言い方をして、その場から去って行く。【ブルーアステル】の三人もそれについていくが、一人――雪華だけがふと俺を一瞥して、何か言いたげな感じを残しつつ、他の者たちと同じようにその場を離れて行った。


 原賀たちがいなくなった直後、緊張の糸が切れたように「ふひぃぃぃぃ~」と情けない声を出して脱力する社長。


「はぁ……危なったわぁ。もう少しで私の奥義――《唐辛子ガトリング》が火を噴くとこだったわよぉ」


 言いながら、懐から妙な小箱を取り出した社長。その箱の中には、何故か大量の唐辛子が詰められていた。


 ああ、確か俺と初めて会った時も、マイ唐辛子と称して持ち歩いてたっけ?


 そういえば前に叔母から、電車で痴漢をしていたオッサンに対し、マイ唐辛子を投げつけて撃退した社長の話を聞いたことがあった。

 さすがは俺が名付けた『唐辛子お姉ちゃん』だけはある。


「次にうちのアイドルをバカにした時は、この《トリニダード・スコーピオン》を目に突き刺そうかしらぁ。それこそサソリの毒針みたいにぃ?」


 間延びした声音で恐ろしいことを言う。そんなことをすればそれこそ眼球から火を噴くほどの痛みに襲われるだろう。下手をすれば失明直行コースだ。


 ちなみに《トリニダード・スコーピオン》と言うのは唐辛子の品種の名前で、最もイメージしやすいであろう《鷹の爪》よりも三十倍ほど辛いとされている。ギネスにも載ったことがある、初心者が手を出していいような代物ではない。まさに凶器。


 大人しい人ほどキレたら怖いって言うけど…………俺も怒らせないようにしよう。


 そんなどす黒いオーラを醸し出す社長に、月丘と小稲がそれぞれ身体を寄せ合って怯えているが、空宮が大きな溜息を吐いて「ほら、戻ってきなさい社長」と声をかけた。


「あ、ごめんねぇ。ちょ~っと自分の世界に入っちゃってたわぁ」

「別にいいわよ。ところで控室はどこ? さっさと案内してほしいんだけど」


 仮にも社長に少しも恐縮する態度を見せない空宮だが、彼女の態度をまったくもって気にしていない社長が「じゃあ、案内するわねぇ」と返事をした。

 さすがに控室兼更衣室になるであろう部屋まで俺がついていくわけにはいかないので、そこで皆と別れることになった。


 そこでライブが行われるステージで、【ブルーアステル】の三人がリハーサルを始める姿を目にすることになる。

 大手のライブといっても、規模は小さい方だから飾り気はそれほどないが、それでも自社で用意したのか、カメラマンやらスタッフやらがステージの周りで動いている。


 調べれば、生で動画配信を行う予定らしい。一応こちらも横森さんの意見で、動画を撮って【ジョブチューン】にはアップするつもりだが、間違いなく向こうの方が画質やら音質やらのクオリティは高いだろう。


 ステージで立ち位置などを入念に確認しているアイドルたち。その中でやはり視線が行くのは雪華だ。

 現在、彼女の表情は真剣そのもので、他の二人のアイドルに指示を出したり、キレのある動きで軽くダンスをしてみたりと、まさにプロの仕事ぶりを見せていた。


 一応動画では彼女たちの歌やダンスを視聴したことがあるが、こうして直接目にするのは初めてだ。

 というよりもライブ自体が初めてなのだが、どこかワクワクしている俺がいる。


 そういえばと思い出すことがある。かつて、異世界で歌姫と呼ばれる者のステージを見たことがあった。

 とはいっても、こっちの世界のような派手な演出なんてほとんどない。街中に設置された舞台の上で、一人の少女が観客の前で歌を披露するだけ。


 それでも観客たちの熱量は凄かった。あれもライブといえばライブなのかもしれない。ただ、俺はその護衛として、警戒しながら見守っていただけなので、楽しめていたかというと素直に首肯はできない。


 だからか、純粋にアイドルたちのパフォーマンスを見るということに若干に興奮を覚えているのかもしれない。


「――――――あーっ、おにーちゃんだぁ!」


 その時、甲高い声が俺の耳朶を震わせた。





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