第60話

 いよいよ我が【マジカルアワー】のデビューライブの日がやってきた。

 それまで紆余曲折あったものの、まだ終わってもいないというのにもかかわらず、昨日事務所に顔を出した時、社長はどこか感無量といった表情をしていたのを思い出す。 


 初めてのアイドルデビューということで、もちろん緊張や不安などはあろうが、それでもここまで漕ぎつけられたことが嬉しいようだ。

 とにかく事務所側としては、アイドルたちを万全な状態で送り出すこと。そして成功を祈ることだろう。


 アイドルたちには何も問題はない。俺も、彼女たちがこの日まで頑張ってきていることを知っている。まだ出会って日も浅いが、それでも支えてやりたいと思わせるほどの魅力を持っているのだ。


 当日の午前九時過ぎ、アイドルたちを迎えに行き、そのまま事務所へと送り届けた。ちなみにライブは午後二時からなので時間にはまだ余裕がある。

 それでも社長はすでに【クオンモール】へ行き、最終調整として打ち合わせに向かった。


「ねえ、香苗さん、ちょっとは落ち着いたらどうかしら?」


 そう口にしたのは空宮だ。実際、横森さんは席に座っていられないのか、先ほどからソワソワしながらウロウロしているので、さすがに気になったようだ。


「で、でもぉ! 今日ですよ! デビューですよ! 初なんですよぉ!」


 お姉さんな彼女も、やはりアイドルたちの初ライブにはド緊張している様子だ。気持ちは分かるが、アイドルたちよりも緊張してどうするのだろうか。


「はぅぅ……震えが止まらないよぉ」


 ソファに座りながらも、小刻みに身体を震わせているのは、どちらかというと気弱な印象が強い小稲である。


「だ、大丈夫だよ、小稲ちゃん! だって、私たちこれまでい~っぱい練習してきたんだもん!」

「うぅ……姫香さん……はいぃ」


 おいおい、月丘さんや。君も表情が強張ってるぞ。


 無理に元気よく振る舞おうとしているが、彼女もライブのことを想って身を固くしているようだ。

 しかしさすがは空宮というべきか、子役出身の彼女はからは、それほど緊張した様子は見当たらない。むしろ今すぐにでも舞台に立てるほどの気迫すら感じる。ここらへんはやはり経験がものを言うのだろうか。


 ただもう一人、しるしも特に普段と違った様子ではなく、憮然とした態度で好物のアイスを頬張っている。この子が驚いたり緊張したりする姿を見たことないが、内心ではどう思っているかまではさすがに分からない。

 現在、事務所にいるのは俺を含めてこれで全員。


 さて、残り二人、八ノ神姉妹はどこか問われることだろうが、彼女たちは昨日撮影で他県まで行っていて、朝一でこちらに帰ってくる予定である。何の問題もなければ、もうすぐ事務所に着くという話だ。実際、先ほど電話で確認したところ、あと一時間ほどらしい。


「横森さん、確か向こうでリハーサルもするんですよね?」


 俺が問うと、彼女は「は、はい」とまだ緊張した面持ちで答えた。

 一応予定されているリハーサルは、正午ちょうど。多少前後するだろうが、今回アイドルたちが披露するのは一曲だけなので、そう時間もかからない。立ち位置や、本番での動きを軽く行うくらいと聞いている。


 これがもしドーム会場など、大規模なものになると、前日に本番さながらの流れを行うというが、デビューライブ程度の小規模は、事務所にもよるがリハーサルすら行わないことだってあるらしい。


 けど、デビューかぁ……。


 彼女たちを見ていると、少し懐かしい気持ちになる。

 俺もこれまで様々な初めてを経験してきたが、中でもやはり異世界での初体験は強烈だった。何せ日本で暮らしていれば、恐らく経験しないことばかりだったろうから。


 本物の剣を手にした時、モンスターと対峙した時、人間とは違う人種に会った時、一国の王と謁見した時、戦争に参加した時などなど。


 どれも鮮烈で記憶に残るようなものばかり。その度に緊張で身体が震え、場合によっては逃げ出したくなることもあった。それでも必死に耐えて、今までの努力を信じ立ち向かった。


 当然そんなものと比べることはできないだろうが、彼女たちもまた努力に努力を重ね、本番を迎えていることには違いない。だから少なからず気持ちは分かるのだ。


「ね、ねえタマモちゃん、ちょっと身体とか動かしておいた方が良いんじゃないかな?」

「ん、姫香の言う通りアップは必要だけど、まだ九時なのよ? ちょっと早くない?」

「そ、そっかな? けどほら、本番でダンスを間違ったり歌詞を間違ったりとかしたら……」


 そんな月丘の不安が伝線したのか、傍で聞いていた小稲もまた顔を真っ青にして、カバンからノートを取り出して凝視し始めた。そこには今日歌う歌詞が書かれていて、何やらブツブツ言い始めているので、ちゃんと覚えているか確認しているのだろう。

 そんな小稲の頭をコツンと軽く叩いた空宮。


「こーら、今更そんなことしててどうすんのよ、小稲」

「はやや!? で、でもタマちゃん! わ、わたし緊張しててぇ!」

「今からそんなんで大丈夫なの? 姫香も小稲も。ほら、しるしを見てみなさいよ。まったく動じてないわよ」


 彼女が指を差すと、二人の視線が同時にしるしへと向く。

 件のしるしは、アイスを食べながらスマホで動画を観ている。内容は小猫の日常を撮ったもの。ミルクを飲んだり、飼い主に遊んでもらったりしている癒し動画だ。


「し、しるしちゃぁん、何でそんないつもと一緒なのぉ~?」


 声を震わせながら月丘が聞くと、しるしはスマホをテーブルに置くと、膝に抱えていたぬいぐるみのニオを持ち上げる。


「ニオといっしょ。だからなにもこわくない」


 どうやら彼女にとって、ニオは精神安定剤でもあるらしい。何と愛らしい薬なのだろうか。


「うぅ……私もベッドにあるぬいぐるみを持ってくれば良かったぁ……」

「わ、わたしもぉ……」


 月丘と小稲も女の子らしく、大事にしているぬいぐるみがあるらしい。


「まったく、この子たちは……。ちょっと、六道。年上として何か言ってあげなさいよ」


 いやいや、そんな無茶ぶりされてもな……。


 しかも何やら期待された眼差しを二人からぶつけられている。


 さて、どう言ったものかな……。



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