第59話

 プロデューサーこと原賀さんが運転する車中。

 後部座席で、私と妹の氷華は互いに寄り添い合っている。氷華は私が買ってあげたココアを美味しそうに飲んでいて静かにしているからホッとしていた。


 もし騒いだりしたら、プロデューサーに叱られてしまう。そうすれば余計に氷華が泣いて彼の機嫌を損ねてしまうだろう。

 今、私……いや、私たち【ブルーアステル】にとっては大事な時期だ。最近ようやくデビューを果たし、露出も徐々に増えてきているが、芸能界というのは小さなきっかけでも落ち目になることなんてザラと聞く。


 実際、それなりに人気だったアイドルグループが、あるトラブルが原因で即時解散してしまう事態に陥ったのである。傍目から見ると、そこまでの問題だったかと悩むほどのものだったが、事務所の意向として解散を発表したのだ。


 それから残念ながら彼女たちをテレビで観ることはなくなった。

 だから私たちも、何がきっかけで今の立場を捨てなければいけなくなるか分からない。


 そのためには、プロデューサーの機嫌を損ねてはいけない。そう、先輩アイドルや事務所の社員たちに教えられた。


 特にこの人――原賀プロデューサーは、社長直々にスカウトされた腕利きであり、彼がその気になれば私たちなんてすぐに業界から追放されてしまうだろう。


 そんなこと……絶対ダメだもんね。


「……おねえちゃん?」


 すると、左に座っている氷華から声が飛ばされてきた。見ると、どこか不安げに私を見つめている。


「どうしたの? シートベルトきつい?」

「んーん……おねえちゃん、こわいおかおしてた……もん」


 その言葉にハッとしてしまう。

 どうやら無意識に表情を強張らせてしまっていたようだ。私はすぐに氷華に向かって微笑む。


「あはは、今日のご飯何しよっかなぁって考えてただけよ」

「そうなの? あのね、ひょーちゃんはね、チョコたべたい!」

「もう、それはご飯じゃないでしょ。本当にチョコが好きなんだから」


 アニメの『まじかるチョココ』の影響もあって、氷華はチョコやココアなどの甘いものが大好きだ。私の目を盗んでは食べたりして、いつも注意することになる。


「えー、じゃあ……チョコたべられないの?」

「うーん……じゃあちゃんとご飯食べたら、チョコのアイスをあげる!」

「ほんと! うんっ、ひょーちゃんね、ちゃーんとごはんたべうぅ!」


 うんうん、エライエライ。ならご褒美に用意しておこうかな。


「おい、少しは静かにしてくれないかい」


 イラついたような声音が運転席から聞こえてきて、私は咄嗟に「あ、すみません!」と謝罪をした。

 氷華にもシーッと、人差し指を立てて示した。すると、彼女も分かってくれたのか、コクリと頷くと、再びココアに夢中になった。


 しばらく沈黙が続くが、不意に私の脳裏に浮かんだ人物がいた。

 それはついさっき会った青年のこと。

 最初は氷華に近づく変質者かと警戒したが、話しているとごく普通の人だということが何となく伝わってきた。いや、普通というのは違うかもしれない。


 どこか不思議な……妙な雰囲気を醸し出す男性だった。顔つきは少し怖かったけれど、彼からは何か優しい温もりのようなものを感じたのである。

 言葉にするのは難しいけれど、一緒にいると陽だまりの中にいるような気分になるというのが、一番感覚的には近いのかもしれない。


 だからか、つい気が抜けたのか、自分から話しかけたり、思わず趣味についても気づいたら語ってしまっていた。……恥ずかしい。


 こんな小娘が野球を好きなんて、あまり共感はされないのだ。少なくとも周りにいる女子たちには「変わってる」と言われる。

 でも、あの青年は嫌な顔を一つせずに聞いてくれるので、凄く話しやすかった。


 あんな男の人もいるんだなぁ……。


 それにこの子……氷華が泣いていたというけれど、この子は一度泣いたらなかなか泣き止まない。私でも、ギャン泣きなんかしたら、対応に困るほど。それこそ初めて会う他人が泣き止まさせようとしても非常に困難だろう。にもかかわらず、すぐに泣き止んだとのこと。


 子供の扱いに長けた人物なのか。それともそういうオーラを元々持っているのか。

 中には後者のような人物がいるのだ。子供は本能的にその人を感じ取る。初対面の人が近づくだけで恐れを抱いたり、逃げてしまうことだって多い。


 けれどある人が近づくだけで、フッと泣き止んだり、むしろ喜んだり、心地よいというような表情を浮かべることだってある。そういうのは持って生まれた資質であり、保育士の中でも、女性に多いような気がする。


 そんな人物は子供だけでなく、老若男女に好かれる気質をしていると思う。俗にいう人たらしと呼ぶ存在ではなかろうか。


 私が自然に会話できたのも、もしかしたら……なんて。


 青年のことを思い出して、つい頬が軽く緩む。そこでふと気になった。


 まさか、同じ業界に関係している人だったなんてなぁ。


 そう思った時、カッと顔が熱くなる。何故か。あの青年に対して勢いで発した言葉を思い出したからだ。


 はうぅぅぅ…………何が運命的だよぉぉぉ……っ!


 でもあの時は本当にそう感じてしまったのだ。何ていうか、出会い方が少女漫画に出てきそうなシーンだったから。

 こう見えても、私はまだ高校生。花も恥じらう乙女なのだ。少女漫画の主人公に感情移入し憧れることだってある。


 特に運命的な出会いというものに小さい頃から憧憬を抱いていた。

 いつか白馬に乗った王子様が、とはさすがに思ってはいないが、それでもいずれ素敵な男性が目の前に突然現れるくらいのことは夢想したりする。

 そんな夢を持つ、普通の女の子でもあるのだ。


『雪華、女の子はね、たくさんの夢で輝くのよ』


 不意に蘇ったある記憶。それは優し気に微笑む母の姿。

 私は、眉を僅かに顰めると、氷華の頭をそっと撫でつけた。


「んぁ? おねえちゃん?」


 無邪気に見上げてくる大きな瞳。

 そうだ。この子のためにも、私はアイドルとして輝き続けなければならない。


「ううん、何でもないよ。ほら、口の周り汚れてるよ」


 ハンカチを取り出して拭き取ってあげる。

 そこへ「もうすぐ着くから降りる準備をしておけ」と、プロデューサーから指示が出る。

 事務所のすぐ近くまで来ていた。


 プロデューサーが続いて、私に「例のライブのことだが」と口にしたので、私は「はい」と言って耳を傾ける。


「後半の部でデビューする他者のアイドルがいることは聞いてるな?」

「はい、聞いています」

「全力で叩き潰せ」

「叩き……潰すですか?」

「そうだ。格の違いを見せつけろ。それが今回、お前らの仕事だ」

「それはどういう……」

「いいからお前は僕の言葉にだけ従っていればいい。分かったな?」


 この人はいつもこれだ。高圧的に押さえつけてくるだけ。でも逆らうことはできない。


「…………私は、私ができる全力のパフォーマンスをするだけです。アイドルとして」

「フン、それでいい。まあ……見せつける必要もなくなるかもしれないがね」


 最後の言葉はどういう意味だろうと思ったが、すぐに車は停車した。どうやら事務所に到着したらしい。

 そうして私は、若干不穏なものを抱えながらも、氷華と一緒に車を降りて事務所へと入っていった。




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